加藤

加藤は一時的にグレていて親とも縁を切っているし常にお金に困っているけど育ちはいいようだ。
互いに金持ち自慢をしてみてわかった。
加藤の親は西洋かぶれなところがあって使う必要もないのに食卓には食膳を運ぶ台があって
その上には銀色の鐘とかが置いてあるらしい。
朝はその鐘をわざわざ部屋の前まで運んできてチーンチーン鳴らして起こされていたらしい。
そんな日常の高級そうなところを自慢しあっていた。
あと、自分はどれだけモテたかを競う際にはそのベクトルがかわいさランキングに通じていた。
あんなダパンプのイッサをヤンキーにしたみたいな奴が
「かわいさランキングは地元でも一位」とか言っていることに笑えた。
子供の頃はデパートの更衣室を「ばぁ」と開けてもかわいいから怒られずに
キャーかわいいとか言って頭を撫でられていたらしい。
そんな出来事を自慢しあっていた。


僕がストレスなく過ごせるのは動物的な直観力に優れた人間だけだった。たとえば内的な事柄になると人類はバランスを欠くから「恥じらいが32%あり、必ずしもおろそかさが90%だったわけではなかったのです」なんて説明しなければならない。直観力が鈍っている人間はなんか薄いのでわかる。しかしスノッブとはかけ離れた獣性人間は、論理的には甘いところがあるが、普通よりも直観力が優れているからか、僕よりもわかっている感覚がする。論理的な問いかけをしても思い通りの言葉は返ってこないが、動物的な感性でもって生の言葉が返って来る。
加藤はその典型例で面白い。
物まねがうまい。身体を張っている。人物分析も電波がキテいた。
あの滝沢分析の紙はどこに消えたんだろう。川崎分析も無くしてしまった。パソコン持っておけばよかった。

『もちろんジョニーは日本人で、ヒロシのあだ名だ。彼は青春ぶっているのでそう呼ばれる。を軽く外に曲げ、微妙に小指を立てながら颯爽と歩く。んん?という風に眉毛を少しあげ、教室の人はみな僕を注目しているかのような表情で廊下を歩く。それを真似してからかうとすぐに怒り、顔を赤くして「それは一面的な側面にスギナイんだよね!勝ちたいんダッタラ!!」と言うのだ。それが面白いというのにジョニーはまた怒った…』

これは加藤が滝沢を物まねしたときの光景を借用した。
毎日のように物まねはするのだが、あまりにもおかしかったので、記憶に浸透していて忘れられない。
滝沢は3年にもなると、怒ったフリして喜んでいた。これも面白く、相互に陽性なスペクトルが醸されていた。 おちょくられてドロドロするようではいけなかった。こうしておきたいという自己が固まっている人間は宗教でも冒涜されたかのように、ものすごい暗さを発揮する。早く脱皮して欲しいと思っても、あの高校の教師のように、来世になってもそのまんまなんだろう。人間はそうは簡単に今の輪廻を越えられない。
そんなことはどうでもいい、そういえば加藤は僕のことを『笑いながら「こいつ殺す」と思ってる』と評価していた。加藤の人間観は動物的に鋭かった。僕は無口だったので、いじめっ子だった加藤は平気な気分で僕を分析してきた。今思えば幼少期の自慢も僕の波長に面白がって合わせていたのかもしれない。
なにはともあれ、僕も滝沢と同様、加藤には強制的に骨抜きさせられた。それが目的だったような雰囲気すらある。おちょくっていればもっと面白くなるだろうという動機は、大西系の僕には芽生えない種のものだった。川崎もどんどん電波を出すようになっていった。いいクラスだった。

みんな卒業して僕は五年生で一人になってしまい孤独だった。
思い出すことが限定されてしまい無常の泡沫を知る。
でも孤独は孤独なりに面白かった。一人が合っているのかもしれない。
孤独な夢想は一層abに輝いている。
ダンプ松本っていたなぁ。ダンプカーをイメージしているのかな。
アジャコングもなつかしいなぁ。そういえばクラスの笠原は最近どうしてるかな。
いろいろ連想してたら変な思い出がよぎった。
加藤が「僕、笠原に轢かれたの」とか意味不明なことを言い出して
僕に「加藤が交通事故にあったらしい」とクラスのやつにいたずらでメールさせた。
僕がユーモアに乏しい人間のイメージなのか真に受けて、次の日騒ぎになってたようだ。
電話がかかってきて詳しい事情を聞かれたので、「笠原に轢かれたらしい」と答えた。
いろんなことが思い出されても、それらは走馬灯のように消えてもう戻ってこないことが多い。幼少期の想い出が相対的に少なくなるのは、これは必要な情報なのか確認のためによぎらせて、特に生きるに必要でなければ捨てるか奥に仕舞い込んでしまうからかもしれない。人生に必要なときにはおじいさんが夢に出てくる。宗教的に言えば、おじいさんのほうから出てきた、ということかな。どちらでもいいけど。