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シルバーバーチとは

シルバーバーチ
霊界での霊媒役をする精霊
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 宇宙人のように理知的な人は宗教・ニューエイジ・内観世界を極めたその先にケプラーの法則を見たり反面空疎虚妄を見たりするが、通常は精神世界に心地よくたゆたっているうちにその生涯を終える。宗教は面白がって嗜んでいるうちは温かく掴み取ろうとすればユーフォリアに至るが、科学視してみたり敵対する教派に抗おうとすると途端にディストピアする。取り扱い方法を間違えてはならない。宗教とは悪いものを否定するものではなく、よいものに向かおうとするものである。宗教的に高揚していたい。
 改宗に改宗を重ねることは詩人でもないかぎり好ましくない。僕はある宗教団体に関わっていた。スパークするものがあってどんどんのめり込んでいった。祈りを覚えて神を知って、精霊に満たされることを経験した。みんなとの思い出もあの日々の特殊な空気の中に包まれている。あの方々にはたくさんの恩義がある。しかし心情が乖離してゆくにつれ、醒めていった。所詮カルトなので霊性は低かった。
 やめる前は精神が不安定だった。ここまで霊的思考に埋没して、どうやったら元に戻ることができるだろう。共感があまりに深かったので、飲み屋や賭け事や虚栄心などにたいするタブーや偏見が抜けきれない。続けるのには苦痛が伴い、離れるのはまた寂しさが伴う。心が行き来して葛藤に苦しんだ。依存する心は共鳴を生み出すが孤独をも生み出す。無宗教に戻りたい気分と無宗教を無趣味であるかのごとくに感じる空洞感に宙を泳いでいた。毎晩行くあてもなく何キロもほっつき歩いた。若葉台で電車を降りて聖蹟まで歩いた。自分でもなぜそこまで歩かずにはおれないのかわからなかった。帰って疲れて葛藤はしっくりこないまま寝た。正確だと思っていた自分の歩きは少し重心が偏っていたようで、左足の膝が痛んでいた。そんななか、シルバーバーチに巡り合った。信仰をすることは幸福でこそあれ世間との隔たりを生み出すことが多いが、シルバーバーチなら個人的にスピリチュアリズムにたゆたうことができていいなと思った。
 テーゼはアンチテーゼとの綜合によりジンテーゼとなる。ジンテーゼはやがてテーゼとなりアンチテーゼが生まれジンテーゼとなる。どんどんその真理は高くなってゆく。霊性についても同じで、霊格は高い・低いと表現されることが多い。指導霊や守護は、自分の適正に合ったものが来る。魂が成長したらさらに次元の高い神や仏の眷属が来てくれる。僕はカルト宗教によりかなり低い霊性に纏わられていたが、シルバーバーチに手助けされた心持ちだ。

 シルバーバーチの霊訓:
 霊媒役をする精霊からのオラクル。今になって思うとバーチは高級霊といえど人間レベルだけど、カルトの不浄霊レベルと違いニュートラルで、一つの安全的な基準がここには感じられる。
弱み産業的でないのが安心である。地球は宇宙の中で二番目に霊性が低いとか言っているところからはバーバネルのルサンチを感じてしまわないでもないが、急進的でも保身的でもないので、キリスト教に疲れた人、改宗に改宗を重ねてジンテーゼのついていけてない人、過去の宗派が恨みになってしまった人、宗教なしに霊的なものを知りたい人、ライトに精神系に接したい人などにはちょうどよい。
 チャネリング系にはちょっとヤバい人が多いようだが、バーバネルさんならまぁいっか。勉強するぐらいならいい。オカルト的なものに慣れ親しんだのち、次第に伝統的で格式の高いところにつながればいいと思う。

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