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シルバーバーチの霊訓
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超高級霊 シルバーバーチ より

・地上では特定の神を信じれば救われ、反対にその組織が崇拝する神を崇拝せねば救われないと説く宗教がいますがそのような事はありません。神とは自分が崇拝されたからと言って喜ぶような人間的存在ではありません。もしそうであれば神の公正が根源から崩れてしまいます。邪悪で利己的な人生を送った者が、神を崇拝したからと言って素直で利他愛に富んだ人生を送ったものを差し置いて神の恩恵に浴する事になります。

・神を崇拝し自分は選ばれた一人のつもりになり宗教的行事に傾倒している人間よりも、転んだ人に手を差し伸べ、飢えた人にパンを分け与え、悲しみに打たれている人に励ましの言葉をかける無神論者の方が遥かに神に近く尊い人物です。

・因果律は絶対の摂理です。どんな偉人でも狂わす事は出来ません。因果律は自動的に機能します。ツキ(運)と言うものも、偶然も存在しません。賞罰は自分でこしらえているのです。しかし肉体と言う鈍重で霊的視野の限られた人間からは、その存在(因果律)が感知できないのも無理ありません。死後こちらの世界においでになれば、そしてその時あなたが過去の転生を見渡せるだけの資格に至る霊格を身に付けていれば、自分が送ってきた幾度にも渡る転生の地上人生を見渡し、そこに神の公正(因果律)が行き届いているのが分かります。

・宗教に教義、経典、教祖、礼拝堂、賛美歌は必要ありません。宗教とは利他愛の実践、一言で言えば「サービス」。これにつきます。大切なのは利他愛の実践であって、神を信じるかどうかは関係ありません。神を信じるからと言って神から寵愛される訳でもなく、また神を信じないからと言って罰せられる事もありません。

・私(シルバーバーチ)は一霊にすぎません。信仰の必要もありませんし、信仰したところでなんら苦しみが除かれる訳ではありません。お金が入ってくる事も、苦難が取り除かれる事もご利益もありません。私は神でも神的存在でもありません。元はあなた方と同じように地上人生を歩んだ人間です。あまりにも地上に霊的知識が乏しいので霊界から使命を受け、メッセージを伝えに地上に戻ってきました。あなたが地上に再生してきた主な理由は、霊性の向上とカルマの滅却です。地上に学びにきているのです。苦しみは人間から見ればごめんこうむりたいものでしょうが、霊界側から見れば人間の霊性を進化させるものです。それを無闇に取り除く訳にはまいりません。

・あなたは肉体を備えた霊的存在です。霊を備えた肉体的存在ではありません。決して肉体と言う鈍重で低俗な存在ではありません。死を迎え古い衣服を脱ぎ捨てるように肉体から離れる時がくれば、あなたが住むべき霊性に応じた本来の世界へ行きます。
そこが地上に近い幽界付近であるか高級霊の住む世界であるかはあなたの霊性の程度によります。神を崇拝しようが宗教に入ろうが関係ありません。貴方の内面、霊性に応じた世界へ赴きます。地上と霊界の異なる点は、地上では様々な霊性の霊が肉体をまとう事により一緒に生活している事です。

・神を崇拝しているからと言って、その人物の魂が高いランクに属している訳ではありません。地上界には無心論者でも素晴らしい霊格を備えた人物もいれば、毎日賛美歌を歌い「主よ主よ」と唱えていても霊格が幽界付近に属している人もいます。また霊能力と霊格の高さは関係ありません。霊が見えるか、霊の声が聞こえるかは霊格とはなんら関係ありません。

以上「シルバーバーチの霊訓」より


2004.03

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