オーディオファイルの特徴


「弱音を吐くのは地に足のついてない証拠」

…。

途中までオーディオの話だと思って聞いてる





まとめ。主にケーブル絡み。



PLAYER
オーディオは国によってメーカーによって音色が違うけどデジタル音源では音色的な違いは生まれにくい。情報量の差になるんだと思う。既に進化が終わって収斂しているものと思う。DACの音はパッシブアッテネーター式プリアンプだと音質の差は出やすい。パワーアンプ無しでパッシブ型スピーカーを鳴らせばもっとプレーヤーの違いがわかると思われる。逆にバッファアンプ搭載プリアンプは音をかなり支配していて、PanasonicのSL-PS700とTEACのVRDS25xを比べて違いがわからなかった。TAPEデッキ等のアナログ系はぜんぜん機種で音が違う。各メーカーで音色が違う。アナログディスクプレーヤーは今もなお進化しているようだ。また、信号(電流)が小さいので、オーディオケーブルでの違いも出る。
AMPLIFIER
スピーカーほど大きな違いは生まれないが、日本製、ヨーロピアン、アメリカンなどお国柄が出てくる。出力は小さいほうが繊細な音が出る。もったりした音が嫌いな人は小型でシンプルなアンプやガレージメーカーの製品を攻めると意外に安くて満足度が高い音になるかも。また真空管と半導体では真空管の方が微小音が減衰しにくい。半導体の方がレンジはフラットだが微小信号がある段階でスパッと切れるので余韻は出にくい。参考:HiT LTC101055S
SPEAKER
スピーカーは再生音を一番決定づけてる。エッジを交換するだけで音は変わる。不思議だったけど振動板に接触しているので当然だ。また基本的な音はマグネットで決まると言う考え方もある。電流を川の流れに、ロー出しハイ受けをダムに例えられたり、スピーカーの波形をプラズマシートで図解してみたりするけど、音の物理は瞬間的なもの。
スピーカーもアンプも今世紀と前世紀ではまるっきり音が違う。70年代のユニットもリファービッシュすると結構良いと思う。ネットワークはコンデンサーを取り替えると音が蘇る。スピーカーは一番原始的で機械的に単純な物だが、一番経験が必要らしい。メーカーはプロトタイプを何十台も製造する。
HEADPHONE
定価20万クラスでハイエンドの愉悦を楽しめる(ヘッドホンアンプに18万+本体8万でも)。スピーカーに比べるとコストパフォーマンス的には多少優位であるような気がする。だが…オーディオ歴(真面目にやってる歴)の長い人はお金かけてもスピーカーで聴く方を選ぶ傾向が顕著。ヘッドホンには限界がある。同時に比較すると非常に 薄 い 音 である [参考AKG K-702]。スピーカーに比べると人体に馴染みにくい音でもある。愉悦的にはともかく、再生音としては必ずしも鼓膜に当たる音が明瞭でさえあれば良いというわけではない。日記:ストラヴィンスキー『兵士の物語』
LINE CABLE
CDP→プリアンプに使ったRCAケーブルの違いは識別しにくいが、プリアンプ→パワーアンプに使うと違いがよくわかる(特にパッシブプリだと出力インピーダンスが高くて影響が出やすい)。CDP+プリメインアンプならRCAケーブルには拘らなくてもよいかもしれない。また、RCAケーブルはなるべく短いほうが外来ノイズの影響が少なくて良いようだ。導体は日本のメーカー製が信用できる。ACROLINK(三菱電線の導体)とか古河電工(今はもうオーディオやってない)がよかった。海外のやつは価格の割に微妙なのがおおい。ortofonはハイエンドならいい。スタジオ用のケーブル;マイクケーブルは安上がりだしフラットだが個人的にはいまいち。ケーブルも同じくどれが高品位な音であると感じるは好みや目的次第で、円熟した音を曇った音と感じる事もあれば、クリアルな音を安っぽい音だと感じる事もある。しかし大体は価格相応の音が出てる。
SPEAKER CABLE
ケーブルは導体断面積の細い方が静電容量が少ないというメリットがあるが、スピーカーケーブルは太い方が3WAY以上のスピーカーに向いている傾向がある(シングルワイヤリングの場合)(周波数レンジには多分違いは出ない)。重点的に出てくる帯域に個性の感じられるモデルも多くあり、ときとして音がもたついて鬱陶しいこともある[Ortofon 6.5N SPK-300等]。そんなときは「片チャンネルだけ」でも純銀ケーブルをあてがうと、色域が広がるからか埋没していた要素が出てくるからか、かなり気分がすっきりする。箱庭から外に視界が開ける感覚(定位は落ちるかもしれない)。音色的にも線材が純銀か銅かの違いは大きい。導電率は銀も銅もほとんど変らないが固有共振音が違う。普段と違った音が聴けるので純銀を使うと人はフィーバーする。尚、ケーブルの音の違いがわからない場合は間接音成分の少ないニアフィールドで聴くか、スピーカーに背を向けて聞くなどしてみるといい(気配に敏感になるから)。聴覚の良し悪しではないと思う。可聴帯域が狭くなってもその範囲で人は音を楽しんでいるので。
AC CABLE
オーディオ展示会・試聴会のケーブルメーカーの催しに参加するとケーブルの違いがよくわかる。CSEの電源を使ってるからなのかな、自分の家で実験してみても全くわからないが。自分はオーディオフェスタのナノテックシステムズのブースにて電源ケーブルの違いを初めて堪能できた。パワーアンプの電源ケーブルをPOWER STRADA PREMIERに交換すると果実のジューシー感が出た。SACDプレーヤーの電源ケーブル交換後も多少変化した気がしたが、アンプのときほどではなかった。ナノテックシステムズのケーブルは本当に良い音でした。PS#306は8800円/m。でも自分の家で取っ替え引っ替えしても全く変りませんのはなぜ。デモで使用されていたパワーアンプはHiT開発研究所のLTC101055SでNON-NFB。SPは聖新陶芸のOptimista。ナイーヴで裸の音のするシステムだったからだろうか。…『良いもの』『純粋なもの』は生かしにくく滅ぼしやすい。ケーブルの微妙な違いが面白く思えたらいっかんの終わりだがそれを感じるためにはエーテル的な成分が死んでなくて心地よいシステムでなくてはならないのだろうか。再生音が至福であればオーディオやっていて意味がある。






便 利 情 報


 学習リモコンがあればリモコンはひとつで済む。Meridianとかカッコイいのがある。リモコンが古くなり効きが悪くなってきたら新しい学習リモコンに覚えさせるのも一つの手。
 音が悪くなってきたらお経を詠む。少なくとも脳の血の巡りは良くなる(音読効果)。経験上、部屋の浄化や先祖供養になってる。最大では国家復興になってる。
 オーディオはCoffeeと似合う。ゴールドメッシュフィルターで酩酊すると音楽も高揚する。でも健康的な澄んだ意識になるにはコーヒーよりは紅茶がいい (個人的感想)。コーヒーはたまに飲むからこそヤバい。
 水道で手を洗うだけで身体に溜まってる静電気は落ちるようだ (そういった報告がある)。機材や携帯電話も濡れたタオルで綺麗に拭こう。ORBのSN-03はハイテクで便利だがローテクの極みである「水」を使わない手はない。






セッティングにつひて



セッティングにつひて
ニアフィールドは和室とか洋室とかいう部屋による影響がほとんどない。
価格コムでレビューを読んでるとトールボーイは足で音質が結構変わるような感じだ。でも2WAYは一般的には足ではそう変わらない気がする(Victor SX-V1やFRANCO SERBLIN 「ACCORDO」のようにスタンド込みで設計されているスピーカーは別として)。でもツイーターが耳の高さにくるとか、反射面には気をつける必要はあるかもしれない。スピーカースタンドの材質(音叉や共振)よりも、スピーカーユニット周辺の乱反射・平面反射の方が音に大きな影響をもたらすと思う (たとえばLs3/5Aはツイーターの周辺にフェルトが貼ってあるけど、それは高音は回折現象でキャビネット表面を這っていくのでそこで吸収している。イメージ的にはプラズマシート)。スタンドを使用できない環境ではこのように 斜 め に す る だ け で だいぶマシになった。
オーディオのデッキはインシュレーター系ではそんなに変化しないかもしれない。変化がわかれば飽きないとは思う。デッキはなるべくなら重ねて置かないほうがよいらしい。重ねるならインシュレーターを挟んで距離を離すとか。
ロジャース スタジオ9 8 7
部屋はコンクリートで囲われている方が音が逃げない分痩せない。音の素に包まれる。また地下室は理想らしい。環境騒音や電波が入らない。自分は屋根裏部屋なのでニアフィールドで楽しむことにしてる。音量出さないのでセッティングとかどうでもいい。写真はRogers Studio9
 …坂本龍一 『RIO』 : スピーカー(BOSE 363)の音をICレコーダーで録音。前半はAcoustimass方式のバスレフ付近を集音。後半は壁沿いにあるL側の低音。L側は実際に聴いてもR側より大きいし整っている。低音というのは摩訶不思議でよくわからない。





オーディオにつひての独り言


オーディオに金かけるより録音の良いソースを選ぶ方がオーディオ的には至福に思えるけど現実そうはいかない。古典的な名演とか音質的にはどうしようもない。最新のダイレクトカッティングの録音等はオーディオのイベントでよくメーカーの方が再生に使っていて紹介してくれる。気に入ったらメモですよ。
耳は慣れる。久々に自分のリファレンス・システムで音楽を聴いた時の耳の歓びは、普段は何段階か落ちた音質で聴いているとひとしおになる。苦行をしたあとの静養みたいな高音質(参考:Play Station)。そのように工面をすれば、オーディオの愉楽は人・為・的・に得られる。
一見、低い解像度の地味なオーディオでも、その音調に馴染んで来たあとで、良い音だなぁと思えるオーディオは良い音をしている。高解像度のオーディオやヘッドフォンで聞き慣れたあとに、そういったシステムの音を聴くと、なんというのっぺりした音だと思うけど、その音に馴染んでくると、本当の意味で良い音のオーディオはまた至福に至れるのである。
音楽再生か忠実再生か。よく「正確な音」と判断されている音はレスポンスが俊敏でスピード感があり、周波数レンジがフラットで高域がストレートに聞こえる。市販の多くのスピーカーはスイープ信号で測定すると高音の音圧はネットワークの抵抗でミッドバスよりも抑えられている。レンジを平坦に揃えるとキンキンで細い音になってしまうみたいだ。僕や私は疑問に思う。ホールで聴く音はそれほど細いだろうか。高級オーディオのブースで耳にする音は「実のところ味付けされた」音と言われるが忠実再生とはストイックな再生音のことなのだろうか。私生活の周波数帯域はそんなにフラットだろうか(ちなみに上の画像は昼の食堂で撮った周波数レンジ。周波数が高くなるほど回折しにくく音圧が落ちる)。僕は私は断食はするけど音楽再生で断食のような修業はできない。まぁ製作する側の人間はフラットじゃないと困ると思うけど。
厚みがある音を音楽性のある音だと言って忠実再生ではないと置換するのは誤りである。分解能力の高くかつ各々の楽音の音圧に凹凸の出ない「モニター的」な音ならば忠実再生と言えるけれど、一つ一つの振動成分の減衰の仕方が急峻だったり、カーステレオのプロのチューニング等にて必要悪だが人為的な強調が出てくると、「機械的な音」となる。機械的な音というのは「忠実再生」にも「音楽性」にも属さない。独自の音である。オーディオフェスタ等のイベントでは、ハイエンドのシステムの音は個性がなくて各々の違いが見抜けない(というと大げさだけど。どこまでいっても機械なので)。技術が収斂するとみんな同じく1つの地点に至ると考えられるが、音楽再生も忠実再生も、どちらも不完全な時点では分派すると思われる。
オーディオにつひて考えてしまえばなかなか無無明 亦無無明尽は難しくなる。
「オーディオにつひて考えてしまう」といふのも物欲的か音執着的かに分かれる。― オーディオファンは文系理系半々ぐらいだと思う。
理系脳で論理的な活動が多くを占める人は音楽の愛好からオーディオに入るものの、オーディオからは抜け出せない。音楽になかなか戻らない。ソクラテスな音執着的思考にハマっている。
文系脳・感性的な活動が多くを占める人の場合は音楽の愛好からオーディオに入るものの、やはりオーディオからはなかなか抜け出せない。シャルマンな物欲的思考にハマっている。でも物欲さえ満たせてやれば原点に戻っている。3日間ぐらいは。

どんなあり方でも純粋でさえあれば昇華する。どちらでもいいから純粋でさえあれば良い。(神の御教え
オーディオ人口を増やすには、オーディオの魅力を人が味わってないといけない。音楽感性も、ある一定の時間音楽を聴くと仮定して、その音の密度が高い方がその積算分深まる。そういう吝嗇があれば…。
大手量販店はセレクターや分配器?を介在させ、接点が増えてケーブルは長距離になるセッティングをするので、高いだけのオーディオという印象で終わってしまう(セッティング以前に騒音の問題があるか)。本屋とか喫茶店とか床屋とかハンコ屋等の店舗で静かなら、高音質の見たことのないオーディオを展示品として置いてBGMやラジオを再生していれば、売れるかもしれない。また古い喫茶店は古物商の資格を取って往年のオーディオをメンテして、中古品限定1台を、殊にオーディオに関しては新しければ良いというものではないとでも言いたいかのごとくに。また学校の音楽室、図書館、総合体育館、市役所などでもリファービッシュした古いオーディオを使いつぶしてもらえばファンはうれしいしこんな厚い音が存在してるのだと啓蒙になると思う。喫茶店に普通のミニコンしか置いてないってのは虚しい。VictorのSX700 Spiritあたりを置いておけば雰囲気が出るのに。
オーディオにも魂が宿る。一緒に過ごせば過ごすほど。でも壊れたら捨てなくてはならないし、金が無くて売らなくてはならない事も多々ある。そんなときには神社やお寺の拝殿に行ってあの物品の想い出が供養されますように、余所でも大切にされますようにと祈る事。