Nakamichi IA-1



1993年発売
定価110,000円
出力80W×80W (8Ω)



全体的に音のヌケは悪いけどシンプルで良い音。
過度の膨らみや華美になったりする箇所がなくフラットにレンジが伸びている。
ソースそのままにタイトに締まっている。
虚飾がなく正直なサウンドながらデジタルアンプのように無機質ではない。
もっと聞こえてほしい気持ちは音楽的に昇華される。
昔のマンガはこうだったと思う。
ジャングル大帝』はあまり多くの背景は用意されていない。
パンジャに始まりレオがジャングルを社会化しルネに継続される。
とんとん拍子の進行。拍子の間は想像力に任せられる。
とても500ページほどのマンガだとは思えない内容がある。
それはむしろどうでもいいけど『どろろ』とかには
いろいろもどかしいシーンがあってそれは空想で補完される。
またルナールの『博物誌』は淡々としている。
考えればわかることは書くだけで品位が落ちるというのは
論文ではなく詩作の世界。
わかっている人はレトリックより含蓄のほうが重い。
また世の中にハミコンしかなかった頃が個人的に一番夢膨らんでいたけれど
リアリティが満たされると飛躍しなくなってしまうのかもしれない。
Nakamichiのリアリティはどこか古くハイカラではあるが
自然と想像をさせるのが上手い風に鳴っている。
画家が一心に筆をふるって制作に打ち込んでいるとき、
かれは、われを忘れているが、
そのときかれは一層かれの個性を発揮しており、自由である。
本来アナログにはそんな純粋な精神のはたらきがある。
元始、女は太陽だった。















【旧約聖書の世界】
 聖書に書かれていることは内層世界の裸形に近く、人間の中に実際に起こることである。歴史に人間の内層の世界を見ることができるというより、歴史は必然の摂理であり、内層の世界が現実化したもの。ペンテコステの祝福は無神論者が有神論に傾いたときに起こる。極度の迫害の中で、普通の精神力ではノイローゼになっておしまいであるところを諦めず神に委ね [参考:下痢]、生きる道を求めた人はメシアになりうる。平和を切に願う心情の中に、神がその重要な役割を与えてくれるという宿命が起こる。また、バプテスマでは誇りまみれの地上で生きる人間の霊の汚れを洗い流す。人間は海の中にいにしえの世界を見る。バプテスマは受けたことないからわからないけど(キリスト教徒じゃないから)、それによって道が開くというのは、もともとは魚であったあの頃の世界を想起させるからだろうか。最後の審判であるハルマゲドンは、原理主義の立場に於いてはいつか訪れることとされているが、もうとっくに起こっているだろう。どこに起こっているかというと生死の中で起こっているのだ。それは走馬灯のように沸き起こる。そこでは恥ずかしかったり怨憎に満ちていたり、うれしかったり神への感謝に至ったりして時間性を逸した中に自己の行いや過去の想念が錯綜している。神と悪魔が戦っているとも見える。人によってそれの生じ方は違っても聖書の中に書かれていることは現象として自分の内部に生じるものだ。夢の世界は内的な事実であるように、聖書は比喩ではない。すっぽりとはいってきて昇降するものである。それはナカミチにもいえる。ナカミチは無響空間で裏ごしされた音楽的事実をリスナーの中にそのままの裸形で投影してくれる。そしてその透明な光は無重力な精神宇宙に波及していく。(と評するとPA-70になるけどね)。













〔組み合わせ〕
OLSのときはクラシックが絶硬調だったけど
柔軟なD-77RXにしたらアグレッシブになり、ショスタコなどに聴き応えが出た。
3WAYなら、とても低域と中域が分離しているのがわかる。
低域はとても力がある。その低音に力が宿っている。
出そう出そうという音ではなく役割を果たそうとした音だ。
ViennaAcousticsのS-1は低域よく出るからどうなるかな、と鳴らすと
これは音楽的でないアグレッシブさで、いまいち安心感が足りない。
ウイアコはAuraがよかったなぁ。
ROTELのほうがレンジが広くしっかり調だけどAuraはマジックだった。
Nakamichiはニュートラルながらの音楽性になるのが美点。
フラットなレンジに浮く遠近の分離、個々に分解された具像
それらが色のないアクアの中で音楽的に昇華されてくれば面白い。