PERREAUX PMF2350


西の屋敷に呼ばれた桃色とんぼは、雀たちと草道を遊行し、車輪の下をくぐって到着した。



PERREAUX PMF2350
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(・∀・) < 童(わらわと読むのでごじゃる)は愉快でごじゃる。これは南津国、ニュージィランドからあがなひたものと言づてされたものでごじゃる。そちはこれを聴いて何を思うかの。
そこそこ、か。わがままに育っておるでごじゃる。
童がその値(あたひ)を聞へ知らすに、これは米国人のやうなジャズの低音楽器の豊けしきことが云々とか、英国人のようなブラームス交響楽の弦における弾遊が云々なんて特別なこだわりなしに、作られておる。童はさような素人伎の中に、すはすはそそめきたる潔さも聞いておる。夜はうちしなひて、あやうくももの憂げで、ひるのうちに勢を出してみてもじゃじゃ馬でスサノオみたいなところがあるでおじゃるが、耳はその声を拒んでないのでおじゃる。出雲の氏素性のごとき、わざとならぬ解像を保持しておる。河岸での沽券は三十五両だと聞くぞ。重量は十五`でありける。おや耳を澄ますと花野にて駿馬が暴れておる。椋鳥やら瑠璃蝶やらが困った悲鳴をあげておるけん。童はモンスター化した御霊は嫌いじゃ。力を誇る天狗馬はどうもこうもしようがないただのスケレトンじゃ。
そちの齢(よはひ)も十五か。花盛りの花が甘く実る季節じゃの。そちは美しいの。何も知らず、ただ感じいるだけのあどけない顔つきをしておる。そうじゃ(・∀・) 。この舶来の増幅器も、何げなく、まだ何も知らぬ白の容貌をしておる。畏きことでありけり。触れると赤子の肌のようで、さわさわとそれは、幸福な無知による賜物じゃ。この濃厚な白は、純白ではありぬれど、純粋な感傷としての白でおじゃる。純白ではつれなき。そう思うと内に秘められぬる想ひが、ゆめにも音に出せぬ「あめき」となり、なほさら一生懸命に保たれき物憂くも優しい咆哮のなかに、それが垣間見えてしもうてないこともないぞ‥。おや、この増幅器は動じておらぬのに、そちが紅葉してどうするぞ。




PERREAUX パワー
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(・∀・) < 童(わらわと読むのでごじゃる)は愉快でごじゃる。これは南津国、ニュージィランドからあがなひたものと言づてされたものでごじゃる。そちはこれを聴いて何を思うかの。
そこそこ、か。わがままに育っておるでごじゃる。
童がその値(あたひ)を聞へ知らすに、これは米国人のやうなジャズの低音楽器の豊けしきことが云々とか、英国人のようなブラームス交響楽の弦における弾遊が云々なんて特別なこだわりなしに、作られておる。童はさような素人伎の中に、荒削りじゃけんどすはすはそそめきたる潔さも聞いておる。夜はうちしなひて、あやうくももの憂げで、ひるのうちに勢を出してみてもじゃじゃ馬でスサノオみたいなところがあるでおじゃるが、耳はその声を拒んでないのでおじゃる。出雲の氏素性のごとき、わざとならぬ解像を保持しておる。河岸での沽券は三十五両だと聞くぞ。重量は十五`でありける。おや耳を澄ますと花野にて駿馬が暴れておる。椋鳥やら瑠璃蝶やらが困った悲鳴をあげておるけん。童はモンスター化した御霊は嫌いじゃ。力を誇る天狗馬はどうもこうもしようがないただのスケレトンじゃ。
そちの齢(よはひ)も十五か。花盛りの花が甘く実る季節じゃの。そちは美しいの。何も知らず、ただ感じいるだけのあどけない顔つきをしておる。そうじゃ(・∀・) 。この舶来の増幅器も、何げなく、まだ何も知らぬ白の容貌をしておる。畏きことでありけり。触れると赤子の肌のようで、さわさわとそれは、幸福な無知による賜物じゃ。この濃厚な白は、純白ではありぬれど、純粋な感傷としての白でおじゃる。純白ではつれなき。そう思うと内に秘められぬる想ひが、ゆめにも音に出せぬ「あめき」となり、なほさら一生懸命に保たれき物憂くも優しい咆哮のなかに、それが垣間見えてしもうてないこともないぞ‥。おや、この増幅器は動じておらぬのに、そちが紅葉してどうするぞ。
(・∀・) < この増幅器はまことに威勢がいい。スイッチに触れらば即起動じゃ。じゃが正気湛ふるのは熟成したあとじゃけん。待つのじゃ。大器はゆっくりと持傅(もてかしづ)きてゆくことが肝要なのでおじゃる。そちの御心はたしかでござる。そちが季節の移り変わりに、特にその夕暮れ時に、どうしたらいいのかわからない気分になり、犬の鼻、いとせつなく鳴きゆくまにまに溢れ出てしもうたもののあはれは、そうして人々に大切に想われてきた証しじゃ。だが気を抜くでない。スイッチを消してもまだパワーの残りがあるので、すぐにケーブルを外したりするのはあぶなっかしいでおじゃる。勝手に触るでないぞ。
思わば、この増幅器が童の指に威勢よく応答し、椋鳥のようになよびかに謡うのは、はかないあいだかもしれないのぅ。そちのほうはしゃべるでない。世界で最も美しいとされる音色がすりきれるのがもったいないでごじゃる。

―優しい春の日の光は、かすみと峠を昇降し、暖かく大きくなり、庭にいるクジャクは羽根を広げた。そのとき二人には、「まゆらきらんていまゆらきらんてい」というかすかな声が聞こえる(気がした)…

こりゃたまげたでごじゃる。大地の息吹はそちの盛りを歓迎しておるぞ。童は愉快。ん?そちには経験ないのかの。震えるでない。童の周りではよくあることじゃ。




PMF2350の背後
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( ・∀・) < うむ? 今そちが手にしておるのは仏蘭西の教育者の書簡じゃないか。そちの手にするものは、心優しい是是たるものばかりでおじゃるね。童はくどいやつは嫌いじゃが、そいつは好きでおじゃる。
この増幅器も気まぐれじゃ。よくもあしくも。いや、それはよいことでごじゃる。そちはいたいけじゃの。そちの身体はそちの考えのまにまに動作しておる。そちには言い聞かすまでもないが、我々には惟神の道がある。うまれたるままの心に生きるのじゃ。それが真心につながるというのでおじゃる。
そうじゃ、素子も軽いほうが軽びた音が出る。と童は思うのじゃ。童のようにうんちくの実ばかりがなると腰が重くなるのじゃ。はかなさとは無縁でおじゃる。そちのめでたき声やいたいけなる所作の起源は、無垢なる心色や勘案なき操にあるのかの。童はジェラシィじゃ。








 
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(・∀・ ) < はてはて羽を少し広げん。須弥山のなりわいが、きれいになる頃おいじゃ。そちも金斗雲に乗れる者。だからシャグジ様に招かれたのじゃ。
脚の火傷は障りじゃ。神霊に導かれるものには必ず物の怪がつきまとふ。〜 蝶のように舞い、蜂に刺される というのじゃ。神のふりして我々を乗せおる性質わろい奴らじゃ。でもそちは無垢は無知による恩恵か、たいして苦労もせずにここまでやってこれた。そちにはここに生えるアロエを塗ってやる。アロエは何にでも効く。喰ってもよし、塗ってもよし。

―脚の火傷にアロエを塗ると、純粋な肌にはいやに冷たき様子であった。アロエにうめく声が艶かしいといけないので、塗られる間必死に忍んでいた。本来南の島に住むはずのアロエ仙人が、千切ったアロエ枝のぬめりから出てきて無口ににやついていたので、しみる痛みはすぐにおさまった。火傷もつられて無口ににやついたように見え、その後肌色の肌の中にたちまち消えていった。気味の悪さだけが残った。

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(・∀・ ) < こうもはよ消えるとは。うちのアロエも捨てたもんじゃない。ん?顔色が悪いぞぬ。そんなにアロエが気持ち悪かったかの。まぁよい光触をかむるときには一切の有無は消え失せるから。そこで白馬舞うであろう。かの孔雀よりも遠白しく舞うでおじゃる。

―祝詞を唱えると、天つ空は嬉々として、さらに晴れあがった。遠く彼方の楠木が踊り、幼少の夢のおぼろげな薫りを運ぶ。やがて白馬が飛んできた。参照:白馬とお空を飛ぶお

青葉の頃の風ふく群青の空はきれいじゃの。生物は愉快な音を出しおる。ぼんやりとした花野に、かまししや椋鳥やらが吹いて、おのずから心踊らむけん。