⇒Cz101詳細 |
世界最高レベルの音楽表現力 従来の小型スピーカーの概念を刷新する、素晴らしくリアルな臨場感を持ったスピーカーです。超小型でありながら、大型フロアー型スピーカーとは一味違う、 ハイスピードでがっしりした重低音再生が可能。従来は大型システムだけのサウンドであった、漂うようなオーケストラの低域感や、振動体感領域までの超低音域を再現します。また小音量再生時でも音楽のバランスを保ち、音楽のエモーションを余すところなく、リスナーに伝えます。オーク材の優しさが、リビングの 雰囲気を和やかにし、暖かい響きを加え、CDから演奏家の人柄を感じさせる演奏を間近に感じることができます。
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一言で言うと森林のような音。オーディオオーディオしてない全体的に素朴で伸びやかな音。箱が活き活きとしていてユニットは伸び伸びとしている。 子供を見ると癒やされる。またはむかついて虐待する。忘れていた自然精神を思い起こさせる。自然精神は原始的な処に通じている。ゆとり教育にも人間さまざまな感情を抱く。理想論だと不安視する向きもあれば、損した気分を抱く人もいる。しかしゆとりを馬鹿にする世論が強いのもわかるが、生粋の素性を葉脈的に伸ばすには自然教育でなければならなかった事もまた事実である※。人間は、覚えて忘れて、教わったことも忘れて、ふと思い出したときに、考えるもの。管理教育では座り続ける辛抱強さが得られるけど、タブーが拡大し、メンタル内で好き嫌いは助長され、詰め込み教育をすればキャパが足りず、歪んでしまうこともある。たしかに野ざらしでは野蛮人が増えるが、管理教育では天才がほとんど育てられない。知能の高い子供はアメリカに行ってMENSA教育をさせるしかないらしい。音でも同じだ。天稟とは果実のフルールのように、生態系のバランスように、人為によってスポイルされやすい性質のものなのである。(※:東京大学の学生は親に「勉強しろ」と言われた経験が少ないとの統計がある。これは諸刃だ。強制しなければ本当に子供が勉強を一切しなくなる事もある。しかし管理教育は平均値は上がるけど、そのデメリットの側面が悲惨である。大声を出す人と自殺する人が多い。親や教育に劣等感を植え付けられている。10代の宝石の時間が水の泡とならないようにしたい。落合監督配下の中日が強かった理由を考えるといろいろ出てくる。落合野球は管理体制にあるが、それは大人のプロの世界。野球以外の世界では自分で考えて自己管理するよう促していた。マスコミは選手から引き離すようにはしていたが、自分で自分を制する事ができない人は落ちるだけ。落合とイチローは前田智徳を天才だと言っているが彼のどんな側面が彼を天才にしているか。) さて、カデンツァはあくまで素性的だ。高域は地平に付随して乖離せず低域は余分な増加なく鳴っている。ヴァイオリンの調べは懐かしい木霊たちがどこ行ってたの?と語りかけてきた田舎での出来事で低域は山犬の夜の遠吠えを思わせる。あくまで主観的で世上の足かせにはならずとも大地の自然には溶け込んでいる。それが生き物の素性で何を生産するわけでもないし太陽と地球に養われている。ごろ寝をさせて神は馬鹿を養う(ロシアのことわざ)。 このスピーカーで普段聞かないシューベルト聴いてたら遠い昔の記憶、といっても3年ぐらい前のことだけど、J.J.ルソーのエミールという小説を思い出した。そのあくまで人為的でない音に、自然そのものに戻ろうとする意図が感じ取れる。といっても、「森林のような音」というのはルソーの命題を暗喩しているものではない。ナラのエンクロージュアの響きに因るところか、ほんと森林を感じられる音。ハーブでも入っていそうな。 |
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J.J.ルソー 『エミール』 |