Stereo Sound


左:JBL DD66000 右:KEF Blade

『Stereo Sound』の読書感想文 なまえ:犬介


僕は好きな本はいくつかあるけどステレオサウンドは相当好きだ。やはり趣味はこうでないといけないという道標になる。必ずしも物質的には満たされてなくても良い、と言える趣味でないと趣味とは言わない。買い物が趣味というのならともかく。
おぎゃーと産まれたときから動物には好奇心がある。それが満たされないといけない。買い物が趣味の場合は物自体に触れて次から次に好奇心を満たしているうちは良いけどお金は続かないから普通は趣味として成り立たなくなる。本当にオーディオが好きなら触っていて時間が過ぎるもの。新しいモデルが出るたびにきゃーきゃー言ってるもの。オーディオ誌読んでるだけで楽しめちゃうぐらいでないと間に合わない。年に何百モデル出るのか。
インターネットには音や使い心地に関する記事はある。買い物するためには有意義な情報だが特にハイエンドの製品になるほど凄いことやってるのでじかに取材をされた記事の方も読んでほしいし面白いし深い。百人の技術者がいれば百通りの考えがある。オーディオは芸術作品だしステレオサウンドは写真が綺麗だから眺めていても楽しめる。
逸れることない純粋な好きな気持ちに満たされないと脳みそが満たされない。座禅や瞑想をする坊さんは背内側前頭前野が通常の人とくらべ分厚く、実際頭でっかちなようだが、飽きずによくやるなと思えることを好きでやってるから厚くなる。僕も毎日神棚に祈ってるが意味があるからやっている。精神論はともかく精神性を高めないと趣味なんてものは面白くもなんともない。読んで見てるだけで楽しむ事が出来れば共感能力も高まるし想像力も豊かになって世界が広がる。好きならば知るべき。知れば好きになる。
とはいえ相手は生物じゃなくて静物だから、僕はよっぽどのものじゃないと感動しなくなってきた(泣。最近8桁(\)の製品が増えてきたけど、設計者やデザイナーも、ある程度儲けたら、あとは自分のやりたいことをやってしまっているんだろう。職人はとことんまでやらないと気が済まないものだけど、それやってたら10,000,000円を超えましたと。世の中5万円を超えるご祝儀袋もあるのだから、オーディオが1000万を超えたって悪くないだろう。




左のステレオサウンドは容量を半分に減らしたもの
ステレオサウンドは結構分厚くてスペースを取る。
薄地でピンと張っていて滑らかな紙。マンガなどの単色刷りの紙に較べて比重が高くて重い。
なので僕は分解し、選別して、バインダーに綴じてる。

ステレオサウンドは背表紙の接着剤の強度に節度があるから、うまく分解出来る。
分解したらペーパーカッター等で背を3mmほど真っ直ぐに切る。するとバラける。
ページを取捨し、不要なものはリサイクルの袋に。

次にバインダーに挟むために穴開け機で穴開ける。
僕は26穴のバインダーに綴じ込めてあるけど
ゲージパンチを使って全部に穴開けするのは大変だった。
2つ穴(80mmピッチ)のバインダーでいいと思う。

cf. KOKUYO、キングジム、maruman、2穴パンチ、リングファイル


C.O.T.Yの選考談話。画面右は受賞機のVictor SX-9000。
解体後のステレオサウンド
自分は会社の裁断機で背表紙を切った




ステレオサウンドのページ数は600ページぐらい。サイズはB5。
冊子の厚みは徐々に減ってきている。
僕が初めて買った1995年 WINTER号の3/4ぐらいかな。
価格は2012年の時点で2300円で、1995年当時より300円ほど上がっている。

カラー印刷の画質は年を追うごとに綺麗になっている。写真屋でプリントしたみたいに綺麗です。
雑誌の中では最高クラスの紙を使い、取り扱う製品群に見合った製本をしているのだろう。

ベストバリューの選考委員の数は年々減ってきて、昔のステレオサウンドを読むと懐かしい印象すらあります。
なかなか洞見の深い評者を育てる事の難しい世界でもあります。
オーディオが売れない時代に入り、やりくりも厳しくなっていると思います。
選考するメンバーが変わり、順位が変動するのもまたヒューマンで面白いことです。
正直にやってる証拠でもあります。
昨年まで一位だったSONYのSCD-XA5400ESが二位に後退し
 marantzのSA-15S2が一位になってるなど。(共に2008年の発売)

また、上杉氏は昨年2011年に亡くなられました。
よって今年冬号は上杉製作所の新作がBest Valueの対象になり、その結果も面白かった。

SSGPの選考委員にも変動がありましたが
ステレオサウンドの精神を受け継いでいる面々で良かったと思います。




別冊STEREO SOUND 往年の真空管アンプ大研究 保存版
STEREO SOUND 往年の真空管アンプ大研究 (別冊ステレオサウンド)
定価2800円。広告の量が少なく、通常版のステレオサウンドより軽量化されていた。
そのかわり定価は割り増しになっていた。〔保存版〕と銘打たれてる。




「評論と広告は違う」 なまえ:犬介
ステレオサウンドはメーカーとの癒着が疑われると勘ぐってる人もいる。菅野先生はMcIntoshの輸入に関わっていて自分に利益がある立場にいるのに☆☆☆を投じるだとか。人間関係の質的なものを度外視して「癒着」と言えば全ては「癒着」になる。お金の話になると人は黙っちゃ居ないから上杉先生のように自分の利益に関わる製品は選考から除外するなど神経質になった方が良かったのだろうか、意義や質的なものを考えて無視すべきなのか、難しいところである。クレーマーの言いなりになれば文化は滅ぶであろうし。
しかし、そもそもステレオサウンドはオーディオを買うための雑誌ではない。料理誌や旅行誌のように読んで味わうための雑誌である。買うなら『Stereo』とか『AudioAccessory』とか『サウンドレコパル』を多くの人は選ぶだろう。自分はさほど賢い生徒ではなかったが高校時代は直ぐにそう位置づけることができていた。「大文字の『STEREO SOUND』は見て空想して楽しむための雑誌」と。もちろんどんな価格設定であろうと普通にハイエンド・オーディオを買い換えていく人もいるし、そう臨機応変に位置づけられない人もいるだろうから問題視する人もいるのだろうが。キリがない。そんなの少数派である。人と人との付き合いまで癒着にされていたら評者は機種自体にしか接したらいけない事になる。…まぁ即物的に考えればそれでも良いだろう。自分含むネットレビューのほとんどはそうなのでネットを見れば済む事である。人の意見が信用できなければ測定値で選べば良い。人間の聴覚よりヘボいが、測定器を使えば(現象の密度は度外視された)周波数特性なら精確に把握できるであろう。
ステレオサウンドは je pense.. 知見を広めるための雑誌である。オーディオを骨董趣味のごとくに楽しんで、サライとかミシュランのように見て味わうための雑誌である。特にオーディオは音楽という芸術に物理的に密着した物体であるので精神性も深まる趣味である。もちろん浅い目的を満たして完了してもいい。人それぞれである。
高級な骨董芸術になると創造した人を知ることは重要になってくる。菅野さんはレビューを書く際にはそれを創った人のことを想って書いているという。人柄を見ているからより正しく批評できる側面もあるし、被造物には創造者の個性そのものが出てくるものである。もちろん大企業になるとそれなりの制約が出てくるが。
一方で我々は、オーディオを単なる機材ではなく趣味だと位置づければその製品をより深く知る必要性も出てくる。オーディオが芸術作品となり精神性の深い領域に入るほど(または高額商品になるほど)それを深く知り表現してくれる評論家が居てほしいと思う(居なければ自分で成るしかない)。反対に、評論家が要らないとすればオーディオは趣味というより単なる機材であり音さえ良ければ良いわけである。人間の宗教性を無視するのであればそれでも良いであろう。この方向性には自分もよく傾倒するものであるが、そこにあるデメリットとしてはオーディオへの情熱を装った現代の巧妙な宣伝文句や過剰な書き込みに乗せられる可能性が高まる事である。そこに生身の人間関係はないのだから。また、音さえ良ければ良いという考えで作られたオーディオは、音さえ良ければ良いといった感じの良い音になる。音をリニアに高解像度にするのは良い事だが本当に良い音とは何であるかを見失いがちになる。かくいう自分も、音さえ良ければそれで良いわけであるが、そんなオーディオにいくつか巡り会っているのでもう満足。音は良かった。現代は音樂にたいする敬意を持たない人が多いと思う。形而上的な表現をすると、音楽や自然環境の音源を神聖なものとして捉える場合、演奏者や演奏する機材に魔が入っていてはいけないと思う。音楽や野鳥の声を俺様を悦ばせるための媒体であるとかいう魔にとり憑かれてる人ならともかく。
なぜ評者と作者(メーカー)との関わりが重要かの話に戻そう。現代美術の評論家であるサム・ハンター氏は「何を表現しているのかわからない作品をどのように優れた作品であると認めるか」との問いに『創造者のことを優れた芸術家だと信じるかどうかが大切』と答える(STEREO SOUND No.165 2007 WINTER - P.489)。新しい美術作品を発掘するにもベンダーはまず人間を見る。レコード演奏家訪問に出ていた五辻さんという方もそういうスタンスで、それがやはり確実であり堅実な方法なのだと思う。作者を信じる。創造者の表現の領域には踏み込まない。その代わり自分の解釈で使わせていただく。オーディオ作品にも同じことが言える。
エンジニアは調香師のようなもの。『SS Interview』〔メーカーの人へのインタビュー〕を読めばより深くオーディオ製品についての造詣が得られる。『SS Interview』とか『メーカー訪問記』とか『新鋭ブランド』の特集を読んで僕は出来上がった機種ばかりを追いかけるよりはエンジニアの話を聴くことの方が面白いことに気づいた。






『レコード演奏家訪問』の読書感想文 なまえ:犬介

今年2011年、世界の人口が70億人を突破したけど、オーディオの世界にもいろんな人がいて、いろんな音を出されてる。単に購買意欲を満たしてついでに自己顕示も満たして趣味だとか思ってる人も多いけど、いや、普通でござりますけど、『レコード演奏家訪問』を読むとそうでもないな、と思える時があります。いろいろ個性のある人たちが出てきて、顔の見えないネットじゃ味わえない優しい談笑をされていて、評論家の菅野先生は彼ら個人の中に深められた哲学を見聞されています。「レコード音楽の再生は忠実性を追求しつつ、美しさを追求することに意義があると考える」(菅野沖彦:新レコード演奏家論)という筋の通った誌面に自分の姿勢が正されます。
『レコード演奏家訪問』は成功の企画だと思う。出て来る人の意識のレベルがみな高いから。『ベスト・オーディオファイル』とか別の企画かもしれないが、自分の高校の英語の先生も出たことあるらしい。
対話形式だと筆者が一人で書く文章より抑揚とか奥行きが出るから面白い。百人いれば百通りの生き方があり、人生経験があり、論点や視点や価値観がある。毎度話が新しいから毎度楽しめる。あっちいったりこっちいったり。登場するのが毎回同一人物ならばいつかは話も陳腐化するが、日本人口1.3億人ってのはすごい事、それだけ個性的なオーディオファイルが世の中に沢山いたからこそ成り立った企画なのだと思う。一方の菅野さんは相槌を打つだけ。菅野さん自身の話はワンパターン化していたけど相手を独白させないために必要な役割を担っていた。うまく消えていて演奏家を引き立ててる印象だった。




「まとめ」
評論と広告は違う。評論家とは小林秀雄によれば創造の役割を担っている。また上に書いたNo.165号の『レコード演奏家訪問』の話を応用すれば世に知られていない芸術を探し出す事とその芸術家を信じる事の役割も担っているのだろう。
ステレオサウンドはオーディオのどちらかというと「精神的な」深さが知れる雑誌だと思う。どうも近頃はこの雑誌のような高尚な趣味が理解されなくなってきて我が輩は悲しいでござる。個人でオーディオなんて打ち込んでいても「物欲」でしかなくなってくる。ステレオサウンドは即物的な現代において、最もネットの弊害を受けている部類の雑誌だと思う。なぜなら口コミでも成り立ってしまうから。オーディオがたかが機械に成り下がってしまう。オーディオは精神だと思って欲しい。もう少し趣味性に踏み込んで欲しいと思う。オーディオを購買目的ではなく手に入らないものとして博物館的な視点で眺めると、奥深さがある。『SS Interview』ではオーナーやエンジニアの考えが聞き出されてる。国籍も違えば音響哲学も違う。科学といえど一筋縄にはいかない。みんなが独特なオーディオ観を持っている。SSGPの選考談話は盆栽とか骨董の趣味のように洒脱したオーディオの趣味のありようを示してるかのよう。『開運!なんでも鑑定団』と同じである。『レコード演奏家訪問』の対話は高尚すぎて人によってはつまらないと思う。笑いの意味を嘲笑だと捉えててそれ以外想像つかない時期には円熟した方々の談笑などわからない。ストレス社会と言われて久しいが、ステレオサウンドが悪く言われると、そういった現代人の特質が見えて少し悲しいでござる。機種を評価するのは自分の耳と感性で良いというのに。
買うだけがオーディオではない。どの世界でもそうだけど、作り手の考えを聞いたり、いろんな人の趣味世界を覗き込んで学んでいった方が良いと思う。そうして妙好人が増えれば、またオーディオ趣味も見直される日が来るかも知れない。
オーディオファンには機械好きの人間嫌いな人が多いと思うけど(根拠…Amazonにて、オーディオ製品のレビューには「このレビューが参考になった」の投票率が低い。同じように書かれていてもマンガとか食品とか傘とか線香には「このレビューが参考になった」の投票率が高い。オーディオ製品でも1,000円ぐらいの安いものには「参考になった」と投票が入る。高級品になると人と同じものを所有していたくないのか羨望からか途端に他者の意見に厳しくなる。書物でもジャンルによりけりで人間好きと人間嫌いの傾向が見られる)、機械好きの人間好きになって肩肘張らず、不染汚心で読んで欲しいと思う。趣味の有りようにも高尚なものと程度の低いものがあるけれど、悪貨は良貨を駆逐するとも言うように、悪い部分しか見れない者は良いものをまで滅ぼしてしまうのが世の常である。皆様がその一員とはなりませんように。