■過去ログメニューに戻る■
ピエの法則- 1 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/04/06 19:38
- 天才と馬鹿を掛け持ちできるのは天才だけである。馬鹿は天才にはなれない。天才になったのなら、そいつはもとより天才だったということである。
天才にときにある異分子な気味の悪さは、屹度馬鹿としての気分の悪さとは異質なもの。天才が無償の人なら聖人君子に、第六次元に快さを求めればお笑いとか芸術家になる。純粋に秀才なら高學歴に、育ちのいい馬鹿なら癒し系になるだろう。
天才は常に独特(queer)である。
幻想を高次に逸脱しておらねば天才とか君子たりえず、そうでない者における常識の低次元な逸脱は、「パーソナリティ障害」と診断される。
- 2 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/04/06 19:39
- 天才にはゆゆしさとまがまがしさがある。
評論家でもないのに鋭い眼光を光らせる目付きをしない。
天才は、秀才ぶることを、馬鹿にしている。
- 3 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/04/06 19:39
- 『無門関』南泉斬猫
南泉和尚、因東西両堂争猫児、泉乃提起云、大衆道得即救、道不得即斬却也。
衆無対。泉遂斬之。晩趙州外帰。泉挙似州。州乃脱履安頭上而出。
泉云、子若在即救得猫児。
- 4 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/04/06 19:39 [URL]
- 或る日の事、東西両堂の雲水達が、一匹の猫をつかまえて、この猫にも仏性が有か否かについて論を戦わせておりました。騒々しいので、南泉老師が出てきました。そして争う両者の中に入り、左の手で猫の首をつかみ、「道(い)い得れば助けよう、道い得ずば斬る」と、怒気を含んだ言葉を放ちました。見れば、右手に剣を持ち今や斬らんとしているではありませんか。「道い得ればよし」、何を答えればよいのか?雲水達は気をのまれ、水を打ったように静まりかえってしまったのです。南泉の剣は、無惨にも猫を斬り捨ててしまいました。
夕方、高弟の趙州和尚が帰って来ました。南泉老師が、猫を斬った次第を話すと、趙州和尚は、何とも言わずに、履いていた草履を脱いで、それを頭の上に載せて出て行きました。それを見た南泉老師は「趙州さえいれば、猫を斬らずに済んだのに、かわいそうな事をした」と合掌したのです。
- 5 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/04/06 19:40
- これは趙州という天才か電波が不立文字で出した答え。頭に載せて去るというおよそ不可解な行為で堂々巡りを止めてしまう。ああだこうだと論を述べても所詮は論にすぎない。どんなものでもジョークにすることができるのが最高の知性。…でもそれが社会通念の劣化コピーのような模切型の行為だったのなら、はぁ、つまんない、とやはり南泉老師は切っていたことだろう。
- 6 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/05/04 00:23
- 天才と馬鹿の境界は紙一重だけど、
常人にはロートレアモン脱文学の狙いは難解すぎる。
秀才には理解できる。
電波はそれをやる。
猫の頭を撫でるだけでは終わらない。
猫をおもむろに追いかけている。
- 7 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/06/20 21:51
- 中断
- 8 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/06/20 21:51
- あぼ〜ん
- 9 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/08/09 01:05
- 再開
- 10 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/08/09 01:05
- 音楽とか言葉とか人体、環境、すべてが性質〔空〕であるのなら
低次元の正論は人の足を引っ張ることになるのでなるべく述べない
- 11 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/08/11 00:27
- 人は頑張った分だけしか幸福にも天才にもならない。イチローを見ていればわかる。最近は言葉の調子からして難解になってきたし感動する。球場以外でも全体が見えていて敵味方関係なくよいものはよいと言うそれだけでなく深いコメントを残すその批評内容に相手を本当に想いやっているところがみてとれる。気高い努力を継続しているので優れて正しいことの内容が今わかっている。ゆえに「朝青龍さん、まさかテレビで放映されてるとは思いませんでしたよね。」と飛行場でマイクを向ける記者の素性に嫌気をさすのも当然で。(だから受け答えも洗練されてゆくのか)
苦労と努力の内容に比例したものが組成される。杜子春は鉄冠子に仙術で洛陽一の金貨を掘り与えられたけど三年で使いつぶし、二度目も同じことを繰り返し、贅沢に飽きたのではなく人間に愛想を尽かした。杜子春は馬鹿だなぁ、そこで生涯無駄に働く必要がなくなったその時間で世の中のために何かを創作するほうがよかったのに。人間を向上あるいは自然性に戻すために神社に寄付すればよいのに。と吝嗇の人は思うけど、そうしたところで結果は同じである。創造の生活をしたいのなら自力でその金貨を得る建設的な労苦を組まないと芸術もやはり同価で、隠しても平坦な人生を表現するだけのものとなる。小説はマラソンにたとえられるけどひとつやふたつのポエジーすら生み出せまい。人の生活苦が減るはずもない。また神社に寄付してもそれにより安心しきった豚のような信仰力とか怠慢な儀式しか得られなくなれば稜威の威力も減退し、結句コストパフォーマンスが悪くなるだけである。また仙術で人々のシガラミやオエツを無くし幸福にしても人はより一層、魔障に耐性のない軟体動物となり世界はソドムになりやすくなるだろう。一度自作Vistaの速さとリアルさに慣れるともう省エネのコアとかVGAなんて想い出のケース以外では使いたくないだろう。
どの道、タダとか便利より安いものはなかった。
タダで「人のため」に尽くしても、相手もタダで得られたことによる名誉追従をするし、労働のできない眷属しか集まらなくなるだろう。金持ちになればお世辞を言い、貧乏になれば口を頑固に閉ざす、その構造と変わりはない。二酸化炭素は増える一方で。
ちょっとした議論のときに、相手が最大多数の最大幸福の見えていない論理がわからずヌースの運動もわからず、仕方ないから「これがどういうことかわかるか」と答えを念じ、それは●×だからだろと上からその答えを述べさせて、自分はその答えに「なるほど」この人は聖人だと屈辱を味わって、それだけでない議論にも倫理にも負けたのだからその対価に誰にもその人にもみえていない因縁や禍津日を自分が被って(霊的なやり方)、その替わりにその人に誉れとか美徳を与え、心から彼を先生と呼びその人が先生であるという幸福を共に喜ぶことは、敵にしかしない。
- 12 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/08/11 01:30
- 思えば「敵のために祈れ」と言う訓も、いかにも正論で美徳らしい輝きはあるけれど、敵を弱体化さす策術ととれる場合もある。その意識はなくとも、敵を隣人とは見なせない、むしろ境界をつくり、敵をより一層敵と見なすこととなる仕組みの見出されることも多い。(ゆえにテリトリーが拡大してゆくのだろうが)
敵に攻撃されることよりも敵の成長のほうが恐ろしいが、我をより乗り越えられまい跳躍力にすれば、こちらはいつまでも聖人となっていられる。敵がそんな状態だから神は依然、こちらの味方となったままであられる。また敵からみた此方の姿は聖なる方でありつづけ、此方とは違う別の方角からくる普通の攻撃は、コントラストにより一層敵めいてきて、より肥大の許された我の衝突により一層潰しあう。
彼らの身代わりに懺悔をして、彼らがその我執を乗り越えられないようにすれば、彼らは勝手に潰しあってくれるだろう。でも現実の総てを計算に入れるのなら、現実はそんなに甘くはない。動物よりは一歩進化した、という段階である。それもまた、我執を育み、別の新たな保身の壁を乗り越えられない高さにまで積み上げていくのである。キリストは偉大だが凡人の扱う聖論なんてそんなもんである。敵が自分よりも優れた賜物になろうものならその教えに素直に従うか勝負して成長させてもらえばよいが、敵を低次元のままにしておきたいというのはひとつの怠慢あるいはこうしておきたい自己像世界観の崩壊を免れたい傲慢の表われで、その囚われがあると何も磨かれまいし、盆踊りも踊れないことになる。恥を棄てきれてない聖人がどこにいようか?我を超えていない覚者が
キリストより上から見ればキリストもまたシガラミやオエツの構造内にいるのかもしれないが、そういう上下は努力の量密度と合理性の二次関数で決まる。ここで合理的というのは自然に忠実なことで、自然というのは天地一切あらゆる総てのありのままの姿のままのこと。よりいっそう優れて正しいことは、より淡くて捉え難く、より信じきることが難しい。いにしえより形成されたこの世界を、一瞬のインパルスで志気衝天してみても、定説を誤るどころか空をより一層離れている。キリストが万が一神の子ではなかったとしても、キリストのみる神の姿の自然さと真実味Yと、それに向かう努力とそれにゆだねる信仰度胸Xは、二次関数上、神に近似するほどであったのだからいまや神の子と見なして見てもいい。
- 13 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/10/06 23:43
- 今の時代は霊性が滅び、物体だけが残っている。
野菜とか食物は、昔はもっとすぐに腐ったみたいだけど、今のやつは腐らない。
昼に一年ぶりに食べた台湾たんたんめんはうまかった。
あまり洗練された味ではないけど材料の味わいが消えていない。
そういう店は比較的店内の店臭さも消えていない傾向がある。
店をクリーンにするよりも手打ちにこだわってるようだった。
繁盛はしていないけど東京のラーメンのうまさに慣れた僕でも、おいしいと思った。
- 14 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2011/09/03 22:36
-
『「天才 創造のパトグラフィー』講談社現代新書
「子供の創造」
@先生や同級生から、おかしな考えをするという評判をとっている
A行動がふつうの型から逸脱して、標準に沿わない
B行動にユーモアや遊び半分の面があって、慎重さに欠ける
C自制的な面と、衝動的な面の両方を持っている
D不愉快な体験でも思い出すことができる
E両親にとって、かならずしもお気に入りの子供ではない
mixiからちゃくってきた
- 15 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2010/07/27 21:04
- 死んでもベルグソン時間は変わらない
生命は振動で、振動してない間は虚空になる
- 16 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/11/16 22:53
- 感応とは、青い看板にはブルーの車の反射光のほうが、白よりも深く反映するようなもの。
最高に清い心を込めて祝詞を唱え続ければ、どんどん感応度は増してゆく。
自然になればなるほどに、自然なものに心惹かれてゆく。音叉してゆく。
■過去ログメニューに戻る■- Flash CGI/Mini Thread Version 3.31β -