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洗脳の角笛(256)
244 名前:ナナシンクロニシティ (2009/04/22 22:33)
[霊性]は非我の影響で性質が変わる。電車でも前後駅で人が乗ると重くなる。金山駅で人が降りれば軽くなる。平均より気の重い人はその逆になるだろう。お墓も一千体もいるから重い。御霊の心が空から程遠いのだろうか。でも供養を続ければいずれ平等覚に近づけるはず。昭和天皇は伯家の鎮魂法を受けられ、三千柱以上をご浄霊されたという。
霊性は多分魂の振動(エランヴィタール)したもの。となると[魂]の機微はもっと繊細で個性的で、直接的な影響を受けるものになる。好きな子が乗ってくると(向こうがこちらを意識している場合)その影響で背中が温かくなったり嬉しく緊張する。その子の生きている世界、青春のみずみずしい感性を楽しめたりする。勝手に想像が膨らむ。それが僕の経験できなかった青春となると僕はその力によって救われたり(補完療法)、その力を受けたあとで自分の人生に比較してしまい自棄になりその力を無駄にしたりする。
ネット上は非我からの作用がなく気軽に自己の魂の性向のみで記述できる。話題になっているその世界を実際には知らなくても主観で判断できるので自己の魂の性向がそこにダイレクトに現れることになる。人が介在してない。よって臨床心理を行うにはその記述が一番客観的に判断できるものになる。でも臨床心理師が見ていることとなれば裸の自己は現れにくくなる。ネットの意思表明は裸同然に弱い。弱いものほど匿名性の井の中で吠える。暗ければ可能になるという世界。そういう弱い者は海に流せばよい。
エランヴィタールとか霊性というものには意識の問題が介在している以上、意識を無視して語ることはできない。認識することもできない。「以心伝心」が(作られた意識よりも多く純粋無意識によって)フラットに往還している様子は、それを意識をしていなければ解らない。無い。神棚に神饌を供えて反応(祓い清めの作用)がくるという日常についても、それを意識して...

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245 名前:ナナシンクロ・v・シティ (2009/04/25 02:22)
道徳の善悪の物理的な考察----性の煩悩を避けると月を重ねるごとにかっこ良く、可愛いくなる。
かっこかわいい、それは主観によって判断された善性であるが、かっこかわいいとモテる現象があるゆえ、主観に留まっていない。自我の主観が非我による主観に一致してモテている。(なぜだろう?一体何が退廃で、何が美なのだろう?なぜ性行為をやめると美になるのだ?なぜ「美」となる?なぜそこで「かっこかわいい」が出てくる。なぜまたそれを求める。肉体がかっこかわいくなろうとして、以前よりキモがられたというオチにはなぜなりにくい。太古のゲロゲロした爬虫類からふわふわのイーブイへと進化す、それを進化と仮定するなら、なぜ進化によって美となるのか?ゲロゲロの爬虫類のほうに進化してもいいのではないのか。またなぜイーブイがかわいいと言える。美意識や無意識を無視する進化論で進化は説明つくのだろうか。進化に精~論やエランヴィタールの躍動はかかわりないのか?いつも唯物の論理はそこで止まっている。なぜ性行為をやめて精気が身体を満たしだすと、かっこかわいくなるという、かっこかわいいの現象が、なぜかっこかわいいのかが考察されてない。)
人の自然発生する行為には共通項がある。なぜ親が病気になったとき人は「祈る」のか。応援するチームの健闘を「祈る」のか。なぜ祈りを捧げる。「ふぉげる」ではだめなのか? 容貌や所作以外に道徳の善悪についても同じことが言える。自尊棄他は悪である。瞋恚や恨みは悪である。精~が病めばその度合いに応じて悪夢を見るようになる。悪とはそういう波動をもっている。善を保つには努力も必要で、努力相応のものになるというものでもある。そこで反証してみるに、精~的な協和と不協和は普遍的な協和と不協和であるのだろうかどうか?…なぜ精~修養をして協和したものが"挙動不審"と品評されにくいのか。精~論抜きにしては解らない。八正道も...

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246 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/06 18:56)
食べれば下痢するほど体の調子が悪いと世の中に疑問を持ち出す
タバコを吸って脳の状態が悪いと地球の状態が悪いと思える
射精すると電車の中みな無気力で機械的に思えるように


247 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/10 21:03)
人はカルト批判なら意気揚々とすることができるのに
自身の宗教を肯定することはできない。
自身の宗教を無化することにより、大切なものを喪ってゆく。
やがて子供ができた時、子供を見て過ちに気付き後悔する。
後悔するわけでなければイラついている。業を忘れているのだ。


248 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/14 22:34)
僕は宗教に関して、『宗教は思想であり哲学だ。神というのは宇宙の捉え方の話に過ぎない。だから別に祈る必要は無い。宇宙はこういう物だ、と認識しておくだけで良い』などと言うほど甘くない。~の力・霊性の作用を毎日吸引して生き延びているのに今更そんな無知相手に構えるほど小心ではない。坊さんの中にも存在するとは言わずに『心の中にいるもの』『信じる人の心の中にだけいる』と達観するのがいる。一般人のように心に嘘をついた欺瞞的な客観はされていないが、裏を返せばその人の修行の成果がその程度だったともいえてしまう。仏説聖不動経 ― 無相の法身は 虚空と同体なれば その住処なく ただ衆生の心想の中に住したもう ― このスタンスは〔存在する。でも心の中に住む〕。
唯脳の発想で明らかに霊性観応しておらずとも、モーリス・ブロンデル※のようにそこそこ霊性の高そうな人もいるが、たいていは純粋に信じている方が位が高い。(※wiki=有限性を超えるものにあこがれる人間の思慕は、単なる行為によっては満足させることができない。それを満足させられるのは~だけであり、それゆえブロンデルは~を「最初の原理にして最後の名辞」と呼ぶ)<‥むしろ知能のキャパに制限されていてしかも恣意的な認知をする知能世界などは存在しないものであり、生命の本能により肉体は自然に適応し精~も真理のありように適合する方がストレス{有限性}がフリーになるので宇宙の無限性のほうを求めて変化してゆくのだろう。生命は進化するほどデカすぎず小さすぎず無駄に尖っておらず無力でもなく性格は偏っておらず円くなってゆく。宇宙の真のありよう{空}に適合した最後の姿は一つの国津~として均衡がとれているものでそれぞれありのままで美しい。>
お寺の子供達のキャンプで管長様が『最近の人は人目を非常に気にする。将来に不安が多いから占いが流行る。人目を気にしない方法は何かに一生懸命打...

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249 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/30 01:05)
善良な宗教と邪悪な宗教は違う。善良な霊性・邪悪な霊性、あるいは美しい音・醜い音、その形容詞などでも決まってくる。(霊性とか音とかそれ自体は判断に関係なく存在している)。もうそんなことどうでもよい。うまれたるままの心が崩壊しているからカルトになるのだ。崩壊していないのなら宗教になるだろう。


250 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/31 22:20)
善悪とか正しいとか間違っているは無意識の演算のうちにある。
宗教への偏見はカルト宗教によるストレス障害が主な牽引になっているが、
そうでない人の場合は危機感や吝嗇や虚栄心が主な理由になる。
そのイドラに気付けないことそれ自体もまた総合的に見てマイナスを生じているので
間違い(認知的不協和)に近い。魂の成長する方の足を引っ張ってる。


251 名前:ナナシンクロニシティ (2009/08/31 22:21)
我々は~を超えることはできない
かげぼうしを追い抜くことができないように


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