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歴史に埋没しかけている音楽
272 名前:若葉 2006/02/22 10:52
録音の「継ぎ接ぎ」についてですが、(それを潔しとしない)月☆ピエ〜ル嫌いさんご自身、演奏を「通し」のみで録音されているというのは、一つの立派な見識だと思います。
ただ、私は、若干異なる考えを持っています。月☆ピエ〜ル嫌いさんにはご納得頂けないとは思いますが、考えを述べさせて下さい。

楽譜には練習番号が書かれており、「じゃぁ、第二楽章のE(イングランド、大抵そう読みます)から」「次、Aa(ドッペル・アー)から」とか、「こま切れ」で合奏練習します。
そのとき、「中途から演奏するのは、音楽の冒涜である」とか、「これでは音楽の流れが分からず、演奏できません」とか、言う人はいません。瞬間的に流れを再構成して、そのポイントにふさわしい演奏をするというのが、(あまりに当たり前すぎて考えたことすらない)定着した考えです。
「継ぎ接ぎ」が音楽を駄目にしているとは、月☆ピエ〜ル嫌いさんに限らず、しばしば耳にする議論です。しかし私は、「継ぎ接ぎ」自体に問題があるのではなく、それによって安直な演奏(家)が録音されがちなのが問題なのだという考えに賛同します。
そして、果たして、グリュミオーは安直なヴァイオリニストでしょうか? ならば、直接そこをご指摘下さい。もしそうなら、同時代人ではない私にとって、興味深くためになります。
ただ、私は、その時代を代表し、ハイフェッツやオイストラフとはまた違った「山」を築かれた方と思っていますし、おおむね今の標準の(とりたてて珍しくない)評価だと思っています。決して安直な演奏家ではないと考えるので、ご紹介致しました。

映画の女優さんが涙を流すシーンがあって、その作品を、「いや、あのシーンの5分前には、女優はお弁当食べていた(のを見た)。観客を愚弄するものである」と評したら、いかがでしょうか?
冗談としてはいいのでしょうけど、まともな「評論」ではないと思います。
順番も入れ替わって、登場人物の人生と違うではないか、と言うでしょうか? 私は、それらは全て、「程度の問題」だと思っています。
エネスコの時代は、間違えようが何しようが関係なく弾き通し録音だったそうです(と何かで読んだのですが、何だったか忘れてしまい、出典を明らかにできず申し訳ありません)。そしてそれも一つのあり方だと思います。しかし、それのみで評価を決め、それ以外認めないというのはあまりに狭く、楽しみを失わせるものだと思います。

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