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1 名前:ナナシンクロニシティ 2006/04/10 00:48
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2 名前:ナナシンクロニシティ 2006/01/14 22:50
天之御中主神(天主・御中主):絶対神>>高御産巣日神・神産巣日神:以上、造化三神>>> >>別天神・神世七神>>イザナギ・イザナミ>>>> 『天照大御神(高御産巣日神の命令で高天ヶ原の統治)>>スサノオ・ツキヨミ:以上、三貴神>> 天皇関連の神>>産神>誕生神(氏神)・他>広意義での八百万の神>人間神(乃木や豊臣など)>自然神(川や木や岩に宿る神)>霊獣>人工的な霊>他

3 名前:ナナシンクロニシティ 2006/08/12 03:42



序第一段 稽古照今
臣安萬侶まをす。それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。然れども、乾坤初めて分れて、三神造化の首となり、陰陽ここに開けて、二靈群品の祖となりき。所以に、幽顕に出入して、日月目を洗ふに彰れ、海水に浮沈して、神祗身をすすぐに呈れき。

4 名前:ナナシンクロニシティ 2006/10/19 16:47
たいそはえうめいなれど。

5 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/01 20:52
故、太素は杳冥なれども、本教によりて土を孕み島を産みし時を識り、元始は綿ばくなれども、先聖によりて神を生み人を立てし世を察りぬ。

6 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/07 20:20
寔に知る、鏡を懸け珠を吐きて、百王相續し、劒を喫ひ蛇を切りて、萬神蕃息せしことを。安の河に議りて天下を平け、小濱に論ひて國土を清めき。ここをもちて、番仁岐命、初めて高千嶺に降り、神倭天皇、秋津島に經歴したまひき。化熊川を出でて、天劒を高倉に獲、生尾徑を遮りて、大烏吉野に導きき。舞を列ねて賊を攘ひ、歌を聞きて仇を伏はしめき。すなはち、夢に覺りて神祇を敬ひたまひき。所以に賢后と稱す。烟を望みて黎元を撫でたまひき。今に聖帝と傳ふ。境を定め邦を開きて、近つ淡海に制め、姓を正し氏に撰びて、遠つ飛鳥に勒めたまひき。歩驟各異に、文質同じくあらずと雖も、古を稽へて風猷を既に頽れたるに繩し、今に照らして典ヘを絶えむとするに補はずといふことなし。

7 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/15 01:25
序第二段 古事記撰録の発端
飛鳥の清原の大宮に大八州御しめしし天皇の御世に曁りて、潜龍元を體し、せん雷期に應じき。夢の歌を開きて業を纂がむことを相せ、夜の水に投りて基を承けむことを知りたまひき。然れども、天の時未だ臻らずして、南山に蝉蛻し、人事共給はりて、東國に虎歩したまひき。皇輿忽ち駕して、山川を凌え渡り、六師雷のごとく震ひ、三軍雷のごとく逝きき。杖矛威を擧げて、猛士烟のごとく起こり、絳旗兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けき。

8 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/30 21:53
未だ浹辰を移さずして、氣れい(妖気)自ら清まりき。すなはち、牛を放ち馬を息へ、がい悌して(心楽しく安らかに)華夏に歸り、旌を巻き戈をおさめ、イ舞詠して都邑に停まりたまひき。歳大梁に次り、月夾鐘に踵り、清原の大宮にして、昇りて天位に即きたまひき。道は軒后に軼ぎ、徳は周王に跨えたまひき。乾符を握りて六合をハべ、天統を得て八荒を包ねたまひき。二氣の正しきに乗り、五行(水火木金土)の序を齊へ、神理を設けて俗を奬め、英風を敷きて國を弘めたまひき。重加智海は浩汗として、潭く上古を探り、心鏡はゐく煌として、明らかに先代を覩たまひき。

9 名前:大碓命 2008/05/25 23:07
吉備津日子と針間の伊那毘能大郎女の御子
櫛角別王の次の子

10 名前:久延毘古 2008/08/05 22:57 [URL]
久延毘古(くえびこ):日本神話に登場する神

概要
大国主の国づくりの説話において登場する。大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。そこでヒキガエルが「この世界のことなら何でも知っている久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので久延毘古を呼ぼうとするが、久延毘古は歩くことが出来ないという。大国主らが久延毘古の元へ行くと、それは山田のそほど(かかしの古名)であった。久延毘古に訊くと、「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた。
久延毘古はかかしを神格化したものであり、田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。
田の神、また、学業の神として信仰されており、久氐比古神社(石川県鹿島郡中能登町)や大神神社(奈良県桜井市)末社・久延彦神社などで祀られている。

出典: フリー百科事典『Wikipedia』

11 名前:ナナシンクロニシティ 2010/01/30 22:50
http://denpark.net/wanwan/gaoooo/4660.jpg
http://denpark.net/wanwan/gaoooo/4661.jpg
http://denpark.net/wanwan/gaoooo/4662.jpg

12 名前:補足リンク 2011/06/21 22:39 [URL]
曹洞宗では修行即ち仏であり、頭で考えているうちはまだ未熟だとします。修行の世界は冷暖自知で学ばないといけません (cf. 真似ぶ)。涅槃寂静を言葉で示すことは出来ない(不立文字)ので、経典は悟りを示すあくまで仮説です。現実を知ろうともせず(もともと知ることは出来ない)かつ知ろうとして現実と一体となるところに大方の宗教の目的がある。現在修業している最中の人のみが(そこに生きる喜びがあれば)仏になっている。現在呪っている最中の人のみが(そこに死んだ喜びがあれば)悪霊になっている。偉い坊さんでも修行をやめればただの人。魔術師も呪いをやめればただの人である。
なんで日本人がこう学んでばかりで現実を知らなくなったかと言うと宗教が神の存在を認めているからでしょうね。無神論者が多いから学門を先に置いて面倒なもの・不可解なものを拒もうとするわけです。しかし現実には「神の手」も存在するし「以心伝心」も起きます。現象は小さなおつむで覆い尽くせない不可解なものです。学門が先に来て行動に進むでは唯物論者や経済アニマルになるのがせいぜいのところ。既成の科学で説明つく範囲の現実を知ってそれが現実の全てだと思って終わる。時にその欺瞞に気づくも埒外を認めぬ「範疇の世界」に納得する。稀にパワースポットでパワーという想定外のものを与えられたとしても情弱扱いに抵抗できる免疫力も知識(既成の科学)もないのでいつの間にか自身、「あれは妄想だったのか」となっている。「プラーナ」も「神の力」も自然科学で解明できるようなものではないですね。…そうなると現実が先に来てなくてはならない。今の社会には根本から変わらなくてはならない事(特にメンタル面)がたくさんあります。自分が知らないという事を知るのは(大人になるほど)難しい。

13 名前:病気や傷の治りが遅いとき 2011/08/19 14:59
自分の肉体を愛する。または愛される。
興奮しすぎても体力消耗していけないけれど
愛で肉体が出来ていることを考えると愛は治癒を早める。
形状的理想;ロゴスでは直るけど治りにくい。
肉体美が豊満なほどエーテルがある。
ロゴスの形状美とエーテルの濃密さが合わさればミュトスに成る。
子供のように成る。

14 名前:ナナシンクロニシティ 2011/08/24 01:33
╰⋃╯ ╰⋃╯ ╰⋃╯ ╰⋃╯ ╰⋃╯ ╰⋃╯


    ○ !
   ,丿|
   ╰ー╯

15 名前:ナナシンクロニシティ 2012/01/18 17:24
ariiiiiiiiiiiiiiii

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