■掲示板に戻る■ 検索 全部 1- 最新50
鸚鵡返し
9 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 01:46
ファンダメンタリズムも科学至上主義も共にルサンチやら人間卑下からきているケースが多い。苛めの復習をしていては意味がないことを小学生時代に学ばないといけない。どちらかが先にそうした被害を受けて、共にその道に進んでいるのだ。その輪廻に呑まれて。
他宗教批判はいずれ裏目に出てくる。特定の聖典のみに権威を置くというのでは争うことにもなる(修羅界)。もちろん純粋な信仰ならば逆に高い霊性にも至る(この辺が諸刃)。まだ自身が信徒であるうちはよい。彼が聖書とキリストを何らかの理由で手放したときが問題だ。神を熱心に掲げていた者がその信仰を手放すと「穢れた霊は、人から出て行くと砂漠をうろつき休む場所を探すが、見つからず、それで出てきた我が家に戻ろうと言う。戻ってみると家は掃除されていて整えられていた。そこで出かけていき、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで住み着く。そうなるとその人の状態は前よりも悪くなる。」(マタイによる福音書12章43節〜45節)
この7つというのはチャクラ(意志・感情・知性・愛・インスピレーション・霊的・超意識の7つ)に相応するものだろうか。
何れにせよ負債の分だけ地獄に落ちるだろう。なぜならそう望まれてきたのだから。聖書に良く出てくる「滅びる」というのは「滅ぼされる」という意味だよたいてい。また自分が滅びようとする原理をほかのものにコンバートしようと思っても殆ど無駄だ。それはその目論みのとおりにしか伝わらないのだから。霊のことがわかってない。人に好まれるようでなければ霊にも好まれない。もっと柔和になるべきところ、因果して、地獄へと落とされるのだ。その後唯物論に陥っても仕方ない。それは唯識哲学の毅然たる態度とは違う。現実的な霊障から目を背けているだけだ。ファンダメンタリズムに進むのなら、それくらいの覚語はあるんだろうか。純粋に信じる人は少なく、自尊他毀の手段に転じている人間があまりに多いのを愁える。暗在する世界をなめてはいけない。怨念の坩堝に嵌れば簡単には抜け出せなくなる(蟻地獄)。
唯物も裏目に出てくる。神の加護を拒むのだから憎しみを殺す愛の助けが届かない。要するにカルナーとかマイトリーのオーラを運んでくるのだが。受け付けない。
Sin=宗教的な罪 Crime=法律上の犯罪
殺すと思うことは既に罪[Sin]である。それを裁く資格のあるものは神仏聖人のみである。しかしその不可侵の領域に入る存在物がいるから自棄を起こすのだろう。

16/1000k

名前: 〔空欄〕:
メッセージ:


投稿する前に
Ctrl+A→
Ctrl+Cしておく
〔空欄〕:
 sagestay等幅画像投稿パスワード:

- Flash CGI/Mini Thread Version 3.31β -