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ヘーゲル哲学に対峙する
1 名前:ナナシンクロニシティ 2007/04/30 20:50 [URL]
z第一課程 {法理論、義務論、宗教論}
   諸  論
 本論の對象は人間の意志であるが、それも特殊的意思の一般的意思に對する關係から見たそれである。意志の面では精神は實踐的である。實踐的態度と精神の理論的態度とは分けて見なければならない。と云うのは、精神は實踐的態度をとるとき、自分の無規定性に或る規定性を與えるものであり、云いかえると精神のはたらきなしに精神の中に存在するいろいろの規定の代りに、他の規定が精神自身の中から立てられるものだからである。

2 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/17 01:48
意識一般とは、自我の或る對象――内的であれ、外的であれ、――への關係である。我々の知識は一方では我々が感性的知覺を通して認識するところの諸々の對象をもつが、しかしまた一方では精神そのものの精神そのものの中にその根據をもつところの諸々の對象をもっている。前者は感性界を形成するものであり、後者は叡智界を形成する。法的概念、倫理的概念、宗教的概念はいずれも後者に屬す。

3 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/22 21:38
自我と對象との相互の關係について見ると、自我は(1)受動的なものであるが、對象は自我の中の諸規定の原因と見られる。この場合には、私が私の中にもつところの特定の各表象は、直接的に存在するそれぞれの對象が私に印象を與えるということから生ずる。これは理論的意識である。理論的意識は知覺的であれ、想像力としてであれ、或いは思惟的であれ、それの内容は常にすでに與えられたものであり、存在するものである。特に思惟においては即自的に〔それ自身で〕存在するものがその内容である。――(2)これに反して自我の諸規定が單に自我の表象作用や思惟作用の規定であるにとどまらず、外的定在にまで亙ると考えられる場合には、自我は實踐的意識と見られる。ここでは私が、諸物を規定するのであり、云いかえると私が與えられた諸對象の諸々の變化の原因である。

4 名前:ナナシンクロニシティ 2007/05/22 21:56
實踐的能力は一般に自分を内的に規定する。すなわち自分自身から規定する。その諸規定の内容は實踐的能力に屬し、從って實踐的能力は諸規定を自分のものとして認識する。――これらの規定はしかし、まず最初は單に内的なものであり、それ故に外部の實在性とは分離している。ところが、それらは外的なものとならなければならない。つまり自分を實現しなければならない。このことは行爲(Handeln)によって起る。行爲によって内的な實踐的諸規定は外面性を、すなわち外的な定在をもつようになる。――逆にこれはまた、直接存在の外面性が止揚され、内的な規定と一致させられることだとも見られてよい。

5 名前:ナナシンクロニシティ 2007/07/14 01:26
ところで、實踐的意識の内的規定はそれ自身衝動(Trieb)であるか、本來の意志(eigentlicher Wille)であるかである。衝動は自然的な自己規定のはたらきである。それは一方的に限定された感情に基くものであり、越え得ない一定の目的をもつものである。云いかえると、衝動は不自由な直接的に規定された、低級の欲求能力である。この面では人間は自然存在である。――反省(Reflexion)によって人間は衝動とその束縛をも飛び越える。人間は反省によって衝動とそれを滿足させる手段との比較をするのみでなく、またこれらの手段を互に比較したり、これらの衝動そのものを相互に比較する。また衝動を自分の存在の目的と比較して見る。こうして反省の推論によって衝動の滿足に身を委ねることにするか、またはそれを抑制し、それを斷念する。

6 名前:ナナシンクロニシティ 2007/07/14 01:35
本來の意志、或いは高級の欲求能力というのは、(1)自分の純粹無規定性である。この無規定性はそれ自身何らの制限をももたず、また自然界に直接的に存在するような内容をももたない。それ自身としては一切の規定性と無關係である。〔だが次に〕(2)私は同時に何らかの規定性に移って行くことができる。私は一つの、または他の規定を自分のものとすることができる。しかもこの場合には、私はその規定を現實の中に立てるのである。

7 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/15 23:12
實践的教養としては、人間がいろいろな自然的の欲望と衝動とを充足するに當って、それらの必要さの限界、すなわち自己保存の限界を越えないように思慮し、節制することが必要である。人間は(1)自然的なものの束縛を脱し、それから自由でなければならない。(2)これに反して彼の職務、すなわち本質的なものに没頭しなければならない。従って(3)自然的なものの充足を必要の限度内にとどめるのみでなく、それをも更に高い義務のために犠牲にするだけの用意がなければならない。

8 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/15 23:20
人間は知的教養と道徳的教養とによって、他人に對する義務を果す能力を身につける。他人に對する義務は實在的(レアール)な義務と名付けられてよい。これに對して、教養に關する義務はむしろ形式的(フォルメル)なものである。

9 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/15 23:19
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれにくっついた外的必然性の形式はすてなければならない。職業は自由に選び、自由に續け、また果たさなければならない。
説明。人間は、運命がもついろいろの外的な事情や一般に人間が直接的にもっているようなすべての外的な事情に關して、それを自分のものとし、それから外的定在の形式を取り除くようにしなければならない。人間が自分の使命に忠實であるなら、すなわち人間が自分の職業を全面的に果すなら、自分が運命によってどんな外的状態におかれているかは重大なことではない。或る地位にある職業(或る地位に召されていること Beruf zu einem Stande)は、一個の多面的な實體である。職業は云わば素材(シュトッフ)であり、材料(マテリアール)であって、不純な點や欠け易い面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとするかぎり、私はその中にあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何よりも充たされない。ところが、人間は眞實に自分のものと思えないような關係におかれることがある。しかもこれは同時に、その人間の身分である。人間はこの身分から自分を解放することはできない。すると、人間は自分自身の意に反した關係の中に生活し、行為することになる。

10 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/15 23:21
人間の職務における忠實と服従、並びに運命に對する服従と人間の行為における自己忘却は、絶對的で必然的なもののために虚栄心、自惚、利己心を放棄することを根本條件とする。
説明。職務は普遍的なものであり、必然的なものであって、人間の共同生活の一面をなしている。従って人間の全事業の一部分である。人間は職務をもつとき、普遍的なものに参與することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職務はもとよりそれぞれ限られた領域ではあるが、それにもかかわらず全體の必然的な一項を形成するものであり、またそれ自身一個の全體でもある。人間がものになるためには、自分を制限することを知らねばならない。すなわち、自分の職務を全く自分の事とせねばならない。すると、職務は彼にとって何の拘束でもなくなる。その時には人間は自分自身と、その外面性、すなわちその職域と一體になる。ここでは職務はすなわち普遍的なものであり、全體である。人間が――空虚なもの、すなわち非本質的なもの、無価値なものを自分の目的にする時には、事柄そのものに對する關心でなく、自分のこと〔事柄〕についての關心が元になる。空虚なものは何らそれ自身で存在するものではなくて、主觀によって支えられているものにすぎない。人間はそこではただ自分自身を見るのみである。例えば、人間が一般に自分の行為において自分の卓越さを意識するとき、従って事柄についてではなくて、むしろ自身に關心をもつときのように、道徳的な虚栄もあり得る。―― 一寸した仕事を忠實に果す人間は更に大きな仕事に對しても能力のあることが分る。と云うのは、それで彼の従順の精神が分り、自分の願望とか傾向とか妄念を捨てるものであることが分るからである。

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