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ピエの法則(ヒット数:1)
12 名前:ピエピエV自閉的MENSAV 2007/08/11 01:30

思えば「敵のために祈れ」と言う訓も、いかにも正論で美徳らしい輝きはあるけれど、敵を弱体化さす策術ととれる場合もある。その意識はなくとも、敵を隣人とは見なせない、むしろ境界をつくり、敵をより一層敵と見なすこととなる仕組みの見出されることも多い。(ゆえにテリトリーが拡大してゆくのだろうが)
敵に攻撃されることよりも敵の成長のほうが恐ろしいが、をより乗り越えられまい跳躍力にすれば、こちらはいつまでも聖人となっていられる。敵がそんな状態だから神は依然、こちらの味方となったままであられる。また敵からみた此方の姿は聖なる方でありつづけ、此方とは違う別の方角からくる普通の攻撃は、コントラストにより一層敵めいてきて、より肥大の許された我の衝突により一層潰しあう。
彼らの身代わりに懺悔をして、彼らがその我執を乗り越えられないようにすれば、彼らは勝手に潰しあってくれるだろう。でも現実の総てを計算に入れるのなら、現実はそんなに甘くはない。動物よりは一歩進化した、という段階である。それもまた、我執を育み、別の新たな保身の壁を乗り越えられない高さにまで積み上げていくのである。キリストは偉大だが凡人の扱う聖論なんてそんなもんである。敵が自分よりも優れた賜物になろうものならその教えに素直に従うか勝負して成長させてもらえばよいが、敵を低次元のままにしておきたいというのはひとつの怠慢あるいはこうしておきたい自己像世界観の崩壊を免れたい傲慢の表われで、その囚われがあると何も磨かれまいし、盆踊りも踊れないことになる。恥を棄てきれてない聖人がどこにいようか?我を超えていない覚者が
キリストより上から見ればキリストもまたシガラミやオエツの構造内にいるのかもしれないが、そういう上下は努力の量密度と合理性の二次関数で決まる。ここで合理的というのは自然に忠実なことで、自然というのは天地一切あらゆる総てのありのままの姿のままのこと。よりいっそう優れて正しいことは、より淡くて捉え難く、より信じきることが難しい。いにしえより形成されたこの世界を、一瞬のインパルスで志気衝天してみても、定説を誤るどころか空をより一層離れている。キリストが万が一神の子ではなかったとしても、キリストのみる神の姿の自然さと真実味Yと、それに向かう努力とそれにゆだねる信仰度胸Xは、二次関数上、神に近似するほどであったのだからいまや神の子と見なして見てもいい。

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