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洗脳の角笛(ヒット数:1)
200 名前:創造論と進化論・v・ 2006/11/13 22:23

創慥論も進化論も八百万の概念があれば矛盾しないでいられる。進化はDNAの構成からの評価で結果論。創慥は、指南とも考えられる。~の見えざる力、暗在する力によって進化する。というか、變化する。寺社の気をかむると表情が良くなる。それと似てる作用で。その小さな進化の積み重ねである究極に長いスパンを一瞬に結論付けて見れば、創慥とも云える。論理思考の西洋かぶれに語らせると結論のみの解釈になる。それでは中ヌケしてるので、本来なら歴史の敷衍が必要になる。「霊的真理」以上に霊的に大切なものが、日本人にとっては古事記や日本書紀の叙述。それらは高天原(宇宙)についてはほとんど書かれていないが、国づくりに関わった天津~や国津~の噺は日本人の魂の規定になり、靈の彩りにつながる。実際~社で祀られているのは宇宙の抽象的な~ではない。ほとんどが伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み以降の~になる。その~気が人間、特に日本人の個性に近く、魄は次第に実相を帯びてゆくのである。

洗脳の角笛(ヒット数:1)
215 名前:(・v・ ) 2011/09/14 01:57

宇宙の創造神とか全知全能の神とかそれ以前の宇宙の状態とかそういう事については『古事記』では冒頭で鼻からいきなり「それは解らない」と書かれている。

序第一段 稽古照今
臣安萬侶まをす。それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。

古事記を読む限り日本人は自然観察に長けた民族であったと思うけど、そればかりは「調べようがない」のだと。

洗脳の角笛(ヒット数:1)
216 名前:( ・v・) 2011/09/24 15:55

全知全能の神を批判するための量子力学的不確定性ベルの不等式アスペ実験の引用が散見されるが、自分が知っていることを全知全能の神が知らないと言うのだろうか。宇宙の根源神や創造神に相当する~が[無から始まってから現在までの全て]にあるのならその~は宇宙の全てを経験してることになる(この宇宙の範囲内においては)。不確定性という現象そのものがここに実在するのならそれを含む~である。
ただ物理学的には過去も未来も無く「現在」しかない様だから、あくまで「過去」は経験と記憶にあり「未来」は予測になる。「全知全能」の神は未来とか過去については含まない事になる。発生起源やそれ以前の様相のことは「名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。」であるが、この世の全て(我々の脳内も含む)の物理現象の現在のすべてが全知全能の神とすれば、過去未来妄想は脳内の物理運動としては存在する。
脳内の意識内容が実在しない場合、それによる指示も実在しない。そこで~に願をかけ、一つでも出来ない事があれば「全能」ではない。だから神などいない、と詰る人が多いけど、人間の指示は人間の脳内の現象に過ぎない場合は脳内の現象としてしか実在していない。よって叶わない。指示する念がそのまま慣性を持ち不確定性で時に聞き入れられることはあるけど人間の想定どおりには現象は動かないものである。現象は、現象そのものとして運動している。そもそも認知ウェブではなくスーパーエゴ的には(一般的には)全知全能という言葉は神の凄さを賛辞する言葉である。基準下げて頼み込めば何でも出来るっていう神ではいけないのだろうか。「その神」に。
この世は仮の世として認識するは原始仏教。願掛けもしない。自分の肉体は借り物だとするスピリチュアル。これもやはり過去も未来も記憶と推測に過ぎないという処に基づいている(現実そのものではない)。この「現在」というものも脳による瞬間を積み重ねて認知された世界であり自分を座標軸とした世界である。そこから解脱せよと解かれてる。無神論者は性格的に根拠を求めるゆえ結論までの過程が短すぎる傾向にある。○○だから○○。だから「神などいるはずがない」という前提で構想する人が多い。あらゆる前提を疑わないといけない。

訂正…物理的に存在するのは「現在」のみ…ではないことになりそうだ。
CERNが光速超える粒子発見!とのこと。3年前に「光速を超える速度はない」ことが観測・証明されたと科学誌で読んだばかりなのに。観測の限界がもたらした、特殊相対性理論に基づく巨大な循環論法…だったのかな。
「想像力は、知識よりも大切である」「我々が経験できる最も美しいことは、神秘の知覚である。それは、すべての真の芸術とすべての科学の源泉である。この感情を知らない人、物事を不思議に思うことができない人、畏怖の念を抱くことができなくなった人は、もはや死んでいるのと同じである。」と言って夢中になって紡がれた、かの論理系でも、いづれ破れる日がくるのだな。物理学の定説ぐらいは間違えていてもそれ自体によって(記号によって)人は死ぬことはないからなんの問題もないけど。正しいことを言っていた人は魔女狩りに遭って間接的に殺害されてるかもしれないが。物理学が調和をもたらすのはおおかた人類の論理系の中になのかも? 神も物質に限定されるものではないのかもしれない。

洗脳の角笛(ヒット数:1)
217 名前:( ・v・ ) 2011/09/24 22:48

科学的根拠のないことは実在しないとする人は進化論における「意志」を否定するけど、何千・何万年とかけても生体は、環境に適応しようと「志す」とおりには進化しないのだろうか。意志を否定するのならなぜ「このように」進化をしてきたのだろう。現代人のように都合が良くても都合よく進化するのだろうか。
「あまり目が欲しいとか思っていなさそうなクラゲやホタテガイにも小さな眼がある」という論理があるけど論理上の話ですね。思っている/いないってのは人間のジャッジだろう。植物にも植物的な意志;エランヴィタールがあるだろう。先進国の知能指数が軒並み低下傾向にあることを考えると科学の便利さに負けて意志を持たないのは退廃的な結果をもたらすような気がする。

洗脳の角笛(ヒット数:1)
230 名前:・v・創造論の形成~~ 2008/08/02 20:02

有随~経を伝った五感より
ガラス(絶縁体)を通過する霊性感応のほうが
より精確で速いから
全知全能という感覚になるんだろうな

洗脳の角笛(ヒット数:1)
242 名前:ナナシンク・v・ニシティ 2009/03/14 21:30

― 何をもって全知全能とデファインするのか ―
「あなたには持ち上げられない岩を作ってください」
と、俯瞰できるはずの全体を「単子」で評価すれば破綻する。
素粒子を含む現象全体で見ると、そこには縁がある。おのおのが単独で宇宙全体を構成しているわけではない。善因善果 悪因悪果は 關係性に於いて プラマイゼロになるわけである。それも演算可能な数値ではなく立体の図形や次元や時間を含めて初めて可能になる性質によって、イコールになってる。音が逆相でキャンセリングされるように。cf. MDR-NC32NX
よって、音における音叉のような間接的な作用を含めたときに、我々の識別が分類するところの霊性における相互作用のみならず、はじめて可視光通信〇肉体含めた全てにおいて全知全能となり得るわけである。― 我々の知能でも個々の細胞は個々で各々活動しているわけではない。一般的には統合されている。
~は至高の霊性をもっている。こちらの個別的な倫理主観よりも優れている。

洗脳の角笛(ヒット数:1)
245 名前:ナナシンクロ・v・シティ 2009/04/25 02:22

道徳の善悪の物理的な考察----性の煩悩を避けると月を重ねるごとにかっこ良く、可愛いくなる。
かっこかわいい、それは主観によって判断された善性であるが、かっこかわいいとモテる現象があるゆえ、主観に留まっていない。自我の主観が非我による主観に一致してモテている。(なぜだろう?一体何が退廃で、何が美なのだろう?なぜ性行為をやめると美になるのだ?なぜ「美」となる?なぜそこで「かっこかわいい」が出てくる。なぜまたそれを求める。肉体がかっこかわいくなろうとして、以前よりキモがられたというオチにはなぜなりにくい。太古のゲロゲロした爬虫類からふわふわのイーブイへと進化す、それを進化と仮定するなら、なぜ進化によって美となるのか?ゲロゲロの爬虫類のほうに進化してもいいのではないのか。またなぜイーブイがかわいいと言える。美意識や無意識を無視する進化論で進化は説明つくのだろうか。進化に精~論やエランヴィタールの躍動はかかわりないのか?いつも唯物の論理はそこで止まっている。なぜ性行為をやめて精気が身体を満たしだすと、かっこかわいくなるという、かっこかわいいの現象が、なぜかっこかわいいのかが考察されてない。)
人の自然発生する行為には共通項がある。なぜ親が病気になったとき人は「祈る」のか。応援するチームの健闘を「祈る」のか。なぜ祈りを捧げる。「ふぉげる」ではだめなのか? 容貌や所作以外に道徳の善悪についても同じことが言える。自尊棄他は悪である。瞋恚や恨みは悪である。精~が病めばその度合いに応じて悪夢を見るようになる。悪とはそういう波動をもっている。善を保つには努力も必要で、努力相応のものになるというものでもある。そこで反証してみるに、精~的な協和と不協和は普遍的な協和と不協和であるのだろうかどうか?…なぜ精~修養をして協和したものが"挙動不審"と品評されにくいのか。精~論抜きにしては解らない。八正道も十誡も、協和した状態で行えば、なぜか精~特性がコヒーレントに向かいトランスペアレントになり、肉体も滑らかに弾力を帯びて、表情も所作もおのずと協和してゆく。森羅万象"偶然論"なら、そこで挙動不審な人物に進化してもおかしくないのではないか?滑らかではなくゲロゲロに進化してもおかしくないのではないか?表情も所作も不自然に形成されたものこそが進化と云っても正しいのではないか?それを求めていては頭おかしいのか?人それぞれ趣味があるだろうに。その美意識がなぜ道徳的でないのだと言える。それが神的な愛の形だとはなぜ云いきれない。

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