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2021年のお神籤



師匠の界隈でも「そのことは師匠から聞いて下さい」などと、他の人が教えることを許されていない雰囲気。ほんとうは自分ごときがこんな事書いていて、正しく伝わらないとか神仏の印象が悪くなるなどで、許されないだろうけど、書いてしまったからには勿体ないから消さない。
15枚中7枚が大吉だった。暮れに向けて運気が上向きかけている。この年は厄年だった。前回の後厄では死にかけたけれど仕事で精神的に疲弊したぐらいで死にかけることはなかった。今年は卒業後初めてかなり筋トレを頑張った。厳しくても高い給料が欲しいと思ったので、ヤバイ厳しいところで働くため鍛えていた。でもホワイト中のホワイト企業で居心地が良いのに給料高くて、なんか今まで本当に損してたと思った。そういう経験も必要か。




不乗森神社



1.11







3.14


ぼっちの皆さん勇気を持ってけださい。友達の数と知能指数は反比例するらしい。URL
Ameba







3.27







5.22








5.24


人は他人のことをヤバイ人と言ったり経歴的に下に見たりしている。実際より。しかし相手のほうが吉凶が高いとしたらどう解釈するか。ルソーによると自分がその地位に落ちないと保証されている限り、人間はその地位の人を虐げる。でも霊性に関してはそう簡単には保証されない。「変な人」を変だと言って嫌う風潮然り。でもその変な人より自分の方が全体的に吉凶が低いことが多い。異質な風習を許容する度量が無い=苦行が足りてないから。
―格率―

人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

 「不幸を知っていればこそ不幸なかたをお助けしたいと思うのです」
 この詩句のように美しく、意味ふかく、心にふれる、真実なことばを私は知らない。
 なぜ王たちは臣下にたいして無慈悲なのか。けっしてふつうの人間になるつもりはないからだ。なぜ金持ちは貧乏人にたいしてあんなに苛酷なのか。貧乏人になる心配はないからだ。なぜ貴族は民衆をあんなに軽蔑するのか。けっして平民になることはないからだ。なぜトルコ人は一般にわたしたちよりも情けぶかく、快く人をもてなすのか。かれらはまったく恣意的な統治のもとにあるために、個人の地位や財産はいつも一時的なもの、変わりやすいものなので、卑しい身分や貧困を自分に無縁の状態とは考えないからだ。以下略

(J.J.ルソー『エミール』 今野一雄訳 岩波文庫)






6.26






7.22









9.08







9.25


神社仏閣で清々しくなるわけでもないしとりわけ何も感じない人のカルマも、与えられる人は背負わないとならない。御祭神や御本尊は、そういう期待で与えているらしい。その人の徳に見合ってなくても与える。感応して気持ちよく、自分由来なのか他人由来なのか知らないが低霊性な邪気がすっきりしても、自分の霊格がそれを受け取るレベルに至っているからではない。
なぜそのような構図が生じるか。Makuake(金持ちが必要資金を支援するサイト)みたいなものだろうか。その人が今世のあいだにそういうことをしてくれると踏んで、与えている。今世中にわからない人に与えてもドブに捨てるとまではいかないがエネルギーの無駄になる。かといって与えられても、それを返すまでは適わないらしい。神様仏様の考えはよくわかりません。?
与えられた人は清々しくなり、その世界を知って意気昇天するが(場合によっては占い師のように語る)、そういうわけなのでたいして霊格が上がるわけではないだろう。他人の分まで背負えば相対的に霊格は上がるが、この世的な評判はゴミになる。他人のうんこを処理していればそういう職業の人。モラハラの構図然り。それを含めてやっと背負ったことになる。

ということを9.20にタイムラインに投稿していた。負気を背負うとこういうことを書き出す。師匠の師匠がいうには苦しみが無ければ行じゃないらしい。むかつく相手とコミュニケーションをとってうまく処世してこそ魂が成長するとのことだ。それが出来ないなら感じるだけの信者さん。利他行も好きな相手にだけする利他行は本質的には利他行ではないらしい。








10.6


旅行:tt楽しき宇井t旅になるjktthj?部kbjj1

10月15日に富山県に赴任するのが楽しみだ。富山ってどんなところだー。





10.9


旅立ちよしさはりなし。

このおみくじは友達と一緒にひいたけど、「筒のおみくじは箱の中に手を入れて引くおみくじより、迷いがなくていい」と言いつつ、「でも3回振るか4回振るかで(運命が)変わってしまう」とか言って、沢山振って、納得いかなくなってしまい、結局途中で出してしまった。こういうときはだめですよ。筒のおみくじは振りすぎたらいけない。振りながら自分で目的を出そうと探らず、神様仏様に委ねて、すっきりと数回でいかないといけない。おみくじコーナーで受付をして一日中みんなのおみくじの姿を見ていても、僕ほど迷いのある筒の振り方はしてなかった。みんなあっさりとしている。





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