497641
絵日記
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【現在投稿できません】
URL
暗証キー (英数字で8文字以内)
文字色

知立神社にて 投稿者:tukipie 投稿日:2005/01/08(Sat) 23:39 No.368  

右の神棚に神札をいれている産土の神の神社。
池で鯉が踊ってる



牛田八幡 tukipie - 2005/01/09(Sun) 00:00 No.369  

自分との関わりが厚いのは八幡様。八幡様はいくさの神だけど、自分の拝んでる八幡様は産土なので特に敵を攻撃したりする必要も今のところはない。むしろ癒ししてなだめる性格をもつのが神様かな。歩いて5分で行ける小さい神社だからそこまで霊性は高いとは思ってなかったけど、ちゃんと管理人にまつられていてかなり高いみたいだ。今日は神主さんらが中でなにやら儀式をやっていた。
宗教は団体にならないほうがよい。と、シルバーバーチは言うが格式が保たれないと霊性も保たれないな。習慣にならなければ継続されることもなく。しかし団体の体質に沿わないことを言わないなど都合がよい風になると普遍性は遠のく。オーディオみたいだな。信者を増やせばダイナミックレンジは拡大するが、産業と違ってシェアの問題ではない。低いところのものも受け入れることになって仕事が増える。良い人が離れたりする。格式をうまく保つのは大変だ。霊性の高さはそういうところと相関している。
最近の趣味は家の神棚で、そこの水を入れ替えるとうれしい。心経を10貫唱えると気が高まる。コップは青い柄の入った透明の綺麗なもので、この古びた茶色い神棚にわりと似合う。家の神棚はめずらしく、どういう理由か左右の二つに分かれていている。左の大きい神棚には天照と牛田八幡のお札などを、右の小さな神棚に一畑山薬師寺とか知立神社のお札を入れている。本来は一つの神棚に三つの扉があって、左に産土の神(土地の神)、中心に天照大神、右に自分の信仰したい神様をまつるというのがならわし。
家の神棚はやたらと古い(家も築80年ぐらい)。11月に扉の中を見たらおじいさんの形見か、すごい古いお札が入ってた。母親はお札をそこに入れる仕組みになってることなんて初めて知ったらしい。
神札が三枚束ねて入れてあったけど褐色になってた。おじいさんが亡くなってから13年経つので16年ぐらいの間ほったらかしだったようだ。神様は怒るね。天照と知立神社は新しいのがあるので、大晦日の夜に神社の焚き木の中にお返しした。明治川神社のお札は、先生にはとくに必要ないなと言われたけど、大晦日のとき放すのもったいなく思えて、形見として右側にまつることにした。
http://boo.arinecoinco.com/
ここに祝詞やお経がたくさん載せてある。
神棚をまつるのは楽しい。先生に般若心経を10貫唱えるといいと言われて、般若心経自体には素晴らしい効能があるけど、仏教のものだけどいいのかと疑問に思ったらオールマイティーに使えるお経だからよいと言われた。
はじめは心経を10貫も唱えるのは辛いしめんどうでたまにしかやってなかったけど、やってるうちに神威が伝わってくるのがわかってきて、なかなか気持ちよいので、最近は霊性をあげるためだとか自分が不愉快な目に遭う可能性を減らすためだとかそういう「やる理由」を考えず、好きでやっている。
今日はみかんの位置を変えてうれしかった。神棚をまつるのは結構ハマるのでお勧めだ。祝詞とか唱えてると呼吸が長く続くようになって健康にもいい。



熱田神宮 tukipie - 2005/01/09(Sun) 22:25 No.371  

今日は熱田神宮いってきた。人が多くてかなり並んだ。その間流れてた神楽の調べがよかった。なんという曲かは知らないけれど映画の陰陽師にも使われている有名なもの。横笛の微妙な音程にはまる。
有名なところは大体そうだけど熱田神宮も神社のわりに暗〜い雰囲気はない。人が訪れるので気が淀んでない。
しかし相殿神には スサノオノミコト とか ヤマトタケルノミコト とかイケイケな神が祀られている。スサノオノミコトはヤマタノオロチを倒した。ヤマタノオロチの尾から出てきたアメノムラクモは熱田神宮に納められている。ヤマトタケルノミコトはなんらかの英雄。日本の神で最強だと言われる。やはりおっかないらしい。IQ120の人にはIQ155の人間の思考が恐ろしく映るように、人間にとって神はどれもおっかないものだと思うけど、強い神ほどおっかないものはない。

(写真は2002年11月に友達と行ったときのもの。平日はこんなに空いている。去年の八月にも一緒に行っていて、そのときはその友達が袋に大量の一円玉と五円玉を持っていて、一円玉の袋のほうを僕に投げさせてもらった。すごい大量にあってじゃーっと投げてもまだまだって感じだった。気持ち良かった。爽快。自分の手柄ではないけど、こんな経験をしたことある人は稀だろう。2002年に来たときは僕は神とかぜんぜん信じてなくて、おみくじひいて、人間学として勉強になる内容だなぁとカメラにおさめたのだった。帰りには鳥居に石を乗っけようとがんばってた。がんばった甲斐あってか、乗っかってしまった…。去年の八月は、その時に負った鳥居の厄を返しにきたという設定だった。)



よろず tukipie - 2005/01/09(Sun) 22:25 No.372  

有神論か無神論かで人間のかなりの部分までがわかる。心のどこかで神を信じている無神論者も多いので無神論だからといってものの考えが物質化しているというわけではないが、子供はサンタクロースを信じている。信仰やスピリチュアルに対して無価値感漂わせている人は義務教育の何か欠けている感を省みたことはないのだろうか(まぁ放課後にはポケモンとかあるからいいんだけど)。神を信じる人は文化人類学的な本能に逆らっておらず、よきにせよ悪きにせよ(ほとんどよい)主観的に生きているケースが多い。ふとしたことを偶然だと気のせいだとして片付けないから充実している。
しかしふつうに信じているぐらいならともかく、真面目に神を語りだすとなるとニュアンスはかわってくる。「神」だとか「気」だとかいう言葉は気が触れた(あるいは学のない)人間の口から出るものだとされているからだ。だから神智学などよく知ってる人も、その内容を世間のうちには漏らさない(け)。
大人はたいして人生経験や読書量が厚いわけでもないのに、いかに自分の科学を過信しているものだろうか(宗教的活動が憲法20条3項で禁じられているという背景もあるけど)、多くの人間は実に大切なものをないがしろにしていたり人生を変えうるほどの真理に触れられないでいる(「真理」という単語がまた宗教臭いニュアンスをもっていて嫌いなんだが)。霊験のあらわれについても、一度きりなら偶然とか夢すら見る脳みそだとかいえるが、あることをするとそう反応するというものがある。偶然や錯覚ではない。憑依妄想とか宗教妄想とかいって妄想族扱いされても困る。
たしかに意識は脳の産物である。しかし魂は脳という物質から独立したものであろう。魂があるならば。と、普通の人なら最後にそう付け加えるところだろうが、「プラーナ」は確かに存在すると五感&第六観で経験しているので、魂なんて存在しないという論理について、自分は懐疑的なのである。

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75]
- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー

「END」キー押せば一番下までワープできるYO

- Joyful Note -
Modified by isso