神が貨幣に、信仰が貨幣信仰に置換されたのが戦後でしたね、今やそれはリチャード・ドーキンス信仰に置き換えられています。


暗黒物質.*.ヒッグス場 ∫神霊がいる場所∫…素粒子の世界はオカルトだ。隠されている。僕は人がオカルトとして手易しく片付けたがるその世界に、最大の興味を置いている。


クオーク 2/3e アップ [u] チャーム [c] トップ [t]
-1/3e ダウン [d] ストレンジ [s] ボトム [b]
電荷
第一世代 第二世代 第三世代
レプトン 0 電子ニュートリノ [νe] ミューニュートリノ [νμ] タウニュートリノ [ντ]
-e 電子 [e] ミュー粒子 [μ] タウ [τ]

 LEP(観測装置の一つ)は電子と陽電子を衝突させたのにたいして、LHCは陽子と陽子を衝突させるので、比較は難しいけれどLEPのほぼ10倍の高いエネルギー状態を作れる。エネルギーが10倍になると、まったく変わった様相になります。1桁しか上がっていないけれど物理の法則にはじつは不思議なことに何かスケールがあって、エネルギーが低いと見えないのに、あるエネルギーより高くなると新しいものが見えてくるということがある。クオークも、昔はエネルギーの低い実験しかやってなかったので全然わからなかった。ところが、あるエネルギーを超えた実験が走りだしたらクオークがだんだん見えてきた。LHPの少し上、LHCでは、ヒッグス粒子の質量まで到達できるところだと思われています。ヒッグス粒子というのは今考えているような単純なヒッグス粒子ではないかもしれないしもっと複雑なものかもしれない。また、クオークと同じく、あるエネルギーを超えると、何か新しいことが見つかるかもしれない。たぶん、そちらのほうがヒッグス粒子が見つかることよりおもしろいかもしれないですね。ほんとうに今の素粒子のさらに下の階層みたいなものがあるかもしれません。理論のほうからいちばんありそうだと考えられているのは、いわゆる「超相対性粒子」。これは今われわれの知っている素粒子に対して何か対称な粒子があって、ある理由ですごく重くなっていて、LHCでないと見つけられないと考えられているものです。もしも超相対性粒子というものが存在すると、そのうちのいちばん軽い粒子が、現在の宇宙にたくさん存在するということになります。宇宙は昔、温度が非常に高かったので、重い超相対性粒子は宇宙にいっぱいあったんですね。それが宇宙がだんだん冷えてくるに従って、重い粒子はどんどんこわれてふつうの粒子になった。けれどもいちばん軽い超相対性の粒子というのは、対称性のためふつうの粒子にこわれなかった。それがじつは宇宙にある暗黒物質、ダークマターではないかと考えられているのです。ダークエネルギーの正体というものはまだよくわかっていませんが、ダークマターの正体の候補として超対称性粒子があるというわけですね。もしも超対称性粒子が発見されると、自然界に存在する4つの力のうち3つの力、電磁気力と弱い力と強い力が統一される可能性が非常に高くなります。この力の大統一は宇宙初期の急激な膨張、インフレーションを引き起こしたと考えられ、そのおかげで現在の宇宙があるのかもしれません。ただ、じつはそれがいちばんおもしろくないシナリオかもしれません。ほんとうはもっといろいろな可能性があります。たとえば宇宙に次元がいっぱいあって、それがLHCで見えてくるかもしれない。そうするとLHCで重力の効果も見えてきて、たとえば小さなブラックホールをつくって、その崩壊を見ることもできるかもしれないのです。(サイエンスウェブ 2006.JULY \790)

 われわれが観測できている4%の物体化の世界のみでなく、暗黒物質と暗黒エネルギーの96%(階層的)がいかなるものかを解読し、正しく認識していけば、創造論も進化論も無理なく止揚できる〔S/C〕。まぁ不可能だが。仮想モデルでしか想像できないので。クオークやレプトンの形態は4次元リサージュ図形のように不可解なものである。それが分かるというのは現象に対する傲慢。セキュリティーホールだらけの知ったかにしかならない。

 測定器の方が人体より優れているのだろうか。人体より測定器の方が優れているのだろうか。科学カルトの人間は測定器の方が優れているとか考えているから観測できないものは実在しないと結論づけている。[因果応報]は半永久的に証明できないが、だからといって存在していないわけではない。いじめの摘発は難しい。「暴行が立証されても自殺との因果関係まで示すのは難しい」URL
 世の中、悪意や因果関係を認めてしまわない限り罪〔Crime〕から逃れる事ができる事例が多い。それをいいことにシロサギ行為を繰り返す者までいる。罪を犯す事は無料でも犯罪を摘発するには人件費がかかる。電気を消耗するのは一瞬でも原発廃棄物はこの先十万年地球を汚染し続けている。衆生は無神論無宗教化に正比例してサイコパス化している〔先進国の虐待件数の増加など〕〔サイコパスの特徴…「人」にたいしても「モノ」にたいしても同じ反応をする。罪〔Sin〕の意識がない。情が浅く、知能指数が低い。〕URL
:自分は無宗教者と宗教者、有神論者と無神論者、一般的宗教者とカルト宗教信者の犯罪率には有意差があると思っている。国や人種や時代で民度が違うので、条件揃えて統計をとってみると良いと思う。

 色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。「空」の概念を空虚としての「実体の無いもの」と捉えれば虚無主義になる。論理的にも成り立つ。一切は空虚。妄想。虚無主義ならわざわざ修行とか信仰なんて形態はとらなくてもよい。ごろ寝をさせて神は馬鹿を養う(ロシアのことわざ)とも言われるし、悟りに至るにどの道が正しいかは解らない。そもそも何が悟りなのかも解らない。ゆっくりいけば遠くへいけるとも言うし。
 もうひとつ通じる論理がある。「空」とは空性という実体の無いものが生きているという論理。空性が、縁起として生起している []。生命と呼べる様な葉脈的な仕組みや音楽的運動が空性のうちに有るのなら、それに応じて生きることが生命の発露・生命の謳歌と言える。シンクロニシティもそこに付随する。運動の反意語は「静止」。寝ていては勿体ない事になる。
 このように前提を静止した寂静のにするか躍動的なにするかによって後続する体系の全てが変わってきてしまう。

 全知全能の神とはありのままのすべてのこと。霊の世界はspermataの雲世界。 (ゆうれいの詩
 神霊は愉しげなところにしか降りてこない。それすら意識されてない無為自然に愉しい空間にしか。

 ある種のエネルギーに浮動すると夢を見る。想像力があれば。動物はインスピレイションの受作用後に脳内で綜合が行われている。普通、起きてる間には大脳の観念的な働きが強いから霊性などの繊細な働きについてはわからないが(年老いてくれば白昼夢は見るかも知れない)、たとえ無自覚でも素粒子には満たされている。(中略) 純粋にはインスピレイションのないものは想像困難なものである。創造の苦しみを伴う。逆に、誰かの行いはすべて、素粒子を伝って (エントロピーの法則で拡散して希薄化して) 全ての人に影響を与えている。
 脳科学者は脳の外部に意識の浮動することを(物理学的な根拠がない限り)素直に認めるのは困難だろうけど、本殿で祝詞唱えてみるとなんかふさわしいものが作用してくるそれをいざ自分自身が経験した場合どう解釈したら良いのかワケわからなくなることだろう。クオリアってどこにあったの?~(゜゜∀゜゜)~?脳の外にもあったの?

 人により脳細胞の質感・弾力・並び方の傾向・パルプコーンを顕微鏡でみるとニューロン的つながりに見えてメタルコーンにはない弦楽的な細やかさを醸すのも頷けるがその繊細さ・滑らかさ・優しさ・強度・若さ・柔軟性・・・同じであることはないので人によりけりて神が違うのは当然。でも靈的存在としての神は人のイメージで変わるものではない。もちろん受想行識亦復如是で念の影響もミクロにはある。とはいえ観念の上で破壊しようがその物質が消滅するわけではない。それではエスパー。「あの世」の科学 カスタマーレビュー

 幻覚:アディクト
 神仏:相互作用

 音響は粗密波。エネルゲイア。細分化すればスペクトルがある。スペクトル(意味を持たない情報)全体が、連続した時間のうちに音楽(情報)となる。文学でも建築でも同じ。原子の構造も、原子核の大きさは原子全体を甲子園だとすると小石ぐらいの大きさになる、ほとんどスカスカなもので、そのスカスカの中に核力や斥力がありのままに働いている。ただプランク粒子には時間と空間がないのでどのような音楽となるのか。
 霊的エネルゲイアは音や重力とは違い誰にでも感応できるものではないので普段からそういう影響は受けていても説明はたやすくないが、修行をして細胞を浄化して感覚を磨いたり、霊場いくか霊感のある人と一緒にいれば感覚や霊体のダイナミックレンジが広がって感じられるようになっていく。五感的霊感は原子でいうと核力や斥力、光子や電子の入射やクーロン反発という作用におけるモダール間現象で、純粋にはエネルゲイアそのものの質感ではない。情報は楽譜としよう。音楽を演奏するのは御霊で、その発された音楽を僕らは聴く。譜面の読み方にも恣意があり、気感(音響)は意思そのものではないし(近いとは思う)、気感そのものすらもモーダル間現象である可能性がある以上、無意識層に干渉した有機的な現象(が慣性をもって意識に浮いてきたもの)を正しく聴くには、ただ現象に対して素直で正直であるしかない(色不異空)。音楽内容に通底ダイレクトするには、夢は夢状のままに得べし、夢状のままに表現すべし。 [関連:音響工学]

 宇宙の意識そのものであるブラフマンと心身を象ったアートマンもまた、切り離せない関係にある。梵我一如とかいう境地がある。水の上を走るバシリスクは、水面にいる生き物が好物のワニから一瞬で逃れることができる。そのように、進化してきている。

 最近アンビリーバボーで気功の特集をやっていた[フジテレビ]。気の正体は超音波でも電子でもなく、ゼロ磁場との仮説がある。特に湖北省の蓮花山では反対方角からの磁場の衝突圧によりゼロ磁場エネルギーが大量発生しているとのこと。自分は自然界の現象をひとつの理由に片付ける事には違和感があるっていうか辟易してるんだけれど、中国の気功の大家の張志祥という方はその山に高い感受性を示していたとのことで、気功の気の範囲ではそうなのかもしれません。
 この番組を覩て、ゼロ磁場のように新たなエネルギーが生じるのなら、瞋恚や恐怖やらの煩悩を(合理的に)正しく相殺する智慧と力のある者ほど、未知なるエネルギーが発生されてるかもしれないなぁと思った。(不浄な雲があり、自身に引き寄せられる。そのときにいびつな怒りや悲しみが生まれる。それを相殺することができるのは慈悲の光である。死後は目もない足もない夢の空間で、生体ソナーのような能力で浮遊している。時間が違うし空間的でもないので様態もまちまちだろう)。
 建長寺の坐禅会はよかった。坐禅を指導してくれた方は、存在感というのが滅せられてた。存在感が薄いという意味ではなくて、なんか安心感があった。あれでも教学部の方らしい。半年後にまた行って、そのときの方は喋り下手な感じだったけどなんか雰囲気落ち着いた。格式の守られてるところはやっぱ違うなぁと思った。「坐禅をすると結構長くて、べつに逃げ出してもいいわけで、ちょっと姿勢を崩そうかな、とか、よそ事を考えようかな、とか考え出すのだけど、その反応が自分自身です。」と教えてもらった。とはいえ普通は痛いし坐禅なんて嫌なもんだけど、あの場所では没入しやすかった。線香一本の燃え尽きる時間が適切だけど、もっと長くやりたくもなった。初めてのときほどのインパクトはないけど、戒に安住できた。

 リードビーター『チャクラ』より
 〔イダーとピンガラとスシュムナーについて〕
 第一段階ではイダー、この力の女性的な相に作用を及ぼして修行者の情動や感情のコントロールを容易にする。第二段階ではピンガラ、力の男性的な相が強化され、精神のコントロールを容易にする。最後の第三段階において中心エネルギーであるスシュムナーが目覚め、それによって純粋な霊的作用を上から受ける道がひらけるのである。ヨーガ行者が彼の肉体から自在に離れ、高次の存在領域に入ってもなお明晰な意識を保持し、再び肉体に戻ってきつつ、その間に経験したことを鮮明な記憶として脳に止めることができるのは、このスシュムナー気道を流れる力によるのである。
 〔チャクラのスポークに沿って生じる複合した力の放射〕
 上方から降りる原初の力と下方から昇るクンダリニーの力とは、逆方向に廻転しながらこの点でぶつかり合って新しいエネルギーに変換するので、表面に新しい流れが生じ、大きい圧力が発生するのである。インドでは、この現象は古くから、活動的で男性的な天上の神聖な生命力と、常に女性的性質をもつ大地のクンダリニーとの「結婚」として、象徴的に表現されてきた。ここで合成されて発生したエネルギーは、ふつう人間の個体的磁気(人体磁気)とよばれているものである。それは各チャクラの付近にある神経叢のはたらきを活発にする。それは身体のすべての神経に沿って流れ、主として体温を保つ役目をする。それはまた、生気を一緒に運んで、最後は脾臓のチャクラに吸収されて分化される。
 このようにして二つの力が結びつくと、お互いの力の要素をなすものが一種の結合関係になる。上方から降りる原初の力は、数種類のちがった形のエーテルになることができるようである。最もふつうにとる形は、正方形の中に配列された四つの原子から成る八面体である。その中心にあるもう一つの原子は、四辺形の中心を通って、四辺形の面に対して垂直に、上下しながらたえず振動している。(以下略
 流出力の関係〔

 川面凡児という人が体系化したこと・・・稜威と三霊三魂、宇宙万有の本体としての霊・魂・神、その大本体としての天之御中主神、生・足・留の三霊魂、表の宇宙・裏の宇宙・中枢的宇宙、宇宙万有は十二霊と十二神より成立、世界の構造は三位相、高天原、根国、底国、海原、夜食国等の三位相、などなど一番上の票と照らしてみると面白い。人間が生魂-足魂-玉留魂、直霊-和魂-荒身魂から重層的に形成されていることも、キリスト教の三位一体も、分子の構成に通底するものがある。スウェーデンボルグでは三位一体ではなく三神論としているので物理系になる。ついでに火の鳥未来編はガイア理論。「3」。キャラクター的にも3人はバランスがよい。道案内する妖精はオス+メス2人とか、『おじゃまじょどれみ』でもどれみ+あいこ&はづきちゃんとか。バランスがよいと感じるものには物理的理由がきっとあるはずだけどなんででしょう。それは音符のようなものかな。

 最近浅間大社に行った。桜が異様にピンクだった。空気も磁場?も生命に満ちていた。― なぜ浅間大社はあんなに生きた霊性が満ち満ちているのか。たかだか富士山が背景にあるだけなのに。観念的にはそう思うのだけど、富士山も梵我一如なのかもしれない。

 「論理的か」
 この世界たしかにあまり論理的には説明されない。でも「論理的でない」を恐れる卑小な中年とか職業病は、はたから見ていて空しい。花鳥風月を楽しめぬ現実離れした感性では、霊性という現実に触れることはできない。知能以上のところに審美眼とか漏神通は働くのだから。
 NHKホールと東京芸術会館、どちらのほうがオーケストラの音がいいのかな? 「それは人それぞれで音の好みとか趣味による」と言うのなら、その人には評価力がないようだ。少なくとも自分の音をもっていない。NHKはスタジオなので、減衰が早く、音の響きはドライだ。日本民謡とかポップスなど幅広い音響を想定されてる。オーケストラの場合、ホールにはほどよい大きさというものがあり[音楽]、上野の東京文化会館は不思議とぽわ〜んという響きをする。池袋の東京芸術劇場は広くて(チケットは安い)、若干音の良さは負けるが、空気砲がありよく醸成される。その美音は直進音のみではないのに、やはり美音で、機械的な状態が生命的には無化力であることに気がつける(伝統的な世界に奥の深さを発見すると尚良い)

 仏遺教経
 あらゆることに懐疑的になれる人は自分の料簡についても懐疑的になれるが、それをポリシーに恣意的な判断を下せなくなってゆくと発育的には厳しい。集中力と記憶力は比例する。
 怒りは知能の葉脈的繊細さ滅ぼす。負のスパイラルは、はまるほど極まるという事例が数知れないが、それは脱出する方法を信じられなくなるので極まる一方になる。神社仏閣の祈祷で人間の想念ぐらいは徐々に清めることができるが、それに足が向かわないのが現実的なところである。(足を向けさせない)(娑婆世界へ)

 早く理解しろ…(キリスト教では神以外は存在しない)(その神もいない。神がいるのならなぜ宗教で戦争が起こる)(結局洗脳によって救われた気分にさせるだけなのである)(それなのに祈祷を受けに行くとは、なんという愚か者なのであろうか)

 (信者とは宗教に洗脳されている善人で偽物の明るさで気味が悪い)というのは邪神懸かってるところではその性質のとおりに見られるが、普通の神社・仏閣の崇敬会・修養会は普通に明るい。訪れに来る人は普通の人より普通。そういう優しいところ・人の悪口を言ったらいけないところではモラハラが横行するが、そういった一部の頭のおかしい信者を除けば普通なのである。
 明るい人がいる一方で、暗い人は普通に醒めた見方に支配されている。唯物的に醒めてしまうので、唯心による共感に乏しい。
 落語は話術がおもしろい。「この地方で、おばあちゃんがいったん亡くなって生き返る出来事があった。おばあちゃんはそのときどこまで行ったんでしょうね。聞くと、トンネルの途中でこの世へ引き返したそうです。青函(生還)トンネルだったんですね。」盛り上がる会場を白目に「ただの駄洒落やん」。おばあちゃんのボケた感じも連想しておもしろいはずだけど、それに先行して唯物の回路が自ずと興ざめを催してしまう。記号しか見えなくなっている。
 どちらが洗脳でどちらが現実かなどという二元論にて「活性しているほう」を「洗脳」で締めくくる絞搾した眼球には、愚痴などにキャパが占められるとよく陥るものだが、笑えば笑うほど健康になる(潤滑する)のなら醒めれば醒めるほど腹直筋や外腹斜筋は固まる(思考停止)ので、たしかにその肉体のバランスを無視すべき状況ではそう結論したいところだろう。くすぐり攻撃にでも遭えば嫌でも笑うものだが、孤独な環境にいると人間の現実からは離れる一方である。生命的なものを見いだす観察眼から離れるほど、霊性の現実からも遠のいてゆく。[カメラの限界]

 [生命的な運動作用である縁起]
 真理を求める人からは真理の言葉が溢れてくる。嘯く人からはトンデモという判断が溢れてくる。あらやしきからね。(ついでに自分の言葉がどんな霊性からきたのか、自分がどんな言葉に影響されやすいのかを考えると、霊界での関係図、指導霊や守護霊、仏教でいう六道の位置などと照らすことができるのかもしれない)。なにに夢中になれるかが自分の道。詩人は縁起から言葉を追い求め、そのままに表現することを宿業とする [根拠があれば信じるという人は根拠があっても根拠を信じている。たとえ神が実在することを証明されても神に通じることはない。]。また神智学などではスキャンダルは悪習とされる。いわば「精神が汚れるから」に集約されるのだけど、神智学的にはエーテルとかコーザルという精妙体の品格に影響するからとされる。

 [言葉の好き度]
 カルトとかサイコキネス系 [自動書記、異言、霊界通信]
☆☆ 超常現象・怖い話系 [アカシックレコード、ESP、エフトプラズム、血の涙、アポート]
☆☆☆ 準科学・宗教哲学 [バクスター効果、精妙体、地球空洞説クオリア、色聴、パワースポット]
☆☆☆☆ 純科学・宗教哲学 [l'elan vital、ブラックマター、ヒッグス場、シーニュ、無音階、基本相互作用]
☆☆☆☆☆ 崇敬する御名等 [熱田神宮津島神社、金毘羅さん、桃太郎、ユピテル、マハーカーラ、心愉しいもの]

 科学は現象のことなどまだ何もわかってない。だから原発の放射能の問題でも「因果関係など認められません」で通じるんですね。ただ、解明できていないからといって存在していないわけではありません。味覚センサーより人間の味覚の方が優れているし、集音マイクより人間の耳界と鼓膜の方が作りが複雑である。どのみち、有髄神経より先は神経細胞による「解釈」だけどね。

 目に見えぬ 神にむかいてはじざるは 人のこころのまことなりけり。(明治天皇)
 素直な心に従うのがいい。対象さえ問題なければ自意識過剰に陥らず信仰心をもっていたほうがよい。素直さを失い色相の相容れない自意識になれば祈れず信仰もできず生命力を失うので霊的にも唯識的にも地獄にも落ちてしまう。〔疑心〕。保身もあってか宗教は「個人の心の問題」とする傾向がある。でも現象には空としてのエネルギーが生きており、心は自然科学に正直である。根拠があるから信じるというのでは心は素直ではないと思う。勘も悪いのではないかと思う。
 霊感では教えられた内容よりリアルでしいものを感じる。回向すればエネルゲイア感応でそのとおりの波形に肉体と精神は彩られてゆく(ゆえに信者は根強いわけだが)(「洗脳」という言葉の扱いはいかに非科学的であるか、僕にはよくわかる)(「霊動法」ならわかるが)(虚構論理の実体のなさに気づく)。やがて素直に「個人の心の問題」になれればよいと思う。「善なる意志は、それが引きおこし成し遂げることによってではなく、ただ、その意志作用のみによって善なのである」カント
 悪人正機説とは悪人こそ悟者になる可能性があるというもので、悪人が犯したその惡、その泥沼の粘性、その嘘の奇矯性、そのいびつな精神性を自覚するとき、相対するものに一層惹かれ、理解し、決定心持ちうることで、惡が自覚できないのであれば異安心のままであろう。それは火の鳥の鳳凰偏にも描かれていた。疑った分だけ、もしも本当だった時の驚きはすごいことになる。疑った分だけ価値がある。パラダイムシフトが尋常でなくなる。人に教えられると逆に最もおもしろくならないことになることも多い。ここまで書いたけど、今思うとないほうがよかったかな。

 宗教よりも音楽のほうが時代が進んでいる。良かれ悪しかれ制約のなさから。多様性の音楽も、音楽史の世界では過去のこと。音楽は大量消費されて、大量生産の音響機器も、飽きればジャンクへ。最近では創造力の要るパロディではなく、パスティッシュが増えてきた模様。賢い人の一部は、あたらしい主義とか多様な価値観というものの安っぽさから離れ、絶対音楽・絶対真理に向かうようになる。人々が歴史的なもの・伝統を解せるようになればよいなと思う。霊性の世界においては、不易流行に兼ね、とりわけ伝統と格式の根幹を守ることが大切になる。古代人の精神は最も精神らしきものだった。現代人は精神を規定できるはずのない觀念に、觀念が誤魔化されている。(今はもう、あるランク以上の霊格になるとほとんど残っていないようだ)

 哲学とは、言語によって魔法にかけられた知性に対する戦いである。ウィトゲンシュタイン

 われわれは、いまや物理心理学のもつ権威と錯覚により、我々の心理的事象はそれに並置されたままである。中世におけるキリスト教と入れ替わっただけである。根本的にはなんも変わっていない。ファンダメンタルを聖書に求めすぎたゆえの反動のもつ '力' については物理心理学では省みられずに、その力によって天動説が誤りだったから聖書のすべてが誤りだとするような混同をしているばかりである。
 天が動いているとするのは人間の自然だとルソーは教育者の観点から書いている。魂の観点でも、素粒子のように時間も空間もない世界では、天動説のほうがその形態に相応しいのかもしれない。似た魂は寄せ合う。絶縁体をゆうに通過して。。...。...。..(. .( ,, ・∀・)
 天も地もない真我の空間。我との関係性のうちにある非我が、自分とは関係なく動いているように見えるしかないのが、純粋な意識の正直な空間なのかもしれない。

 無常な原理。 。。...。...。..(((( ,, ・∀・))


 [千年経ってもかわらない真実]
 霊性は高くなるほど愛にせよ行いにせよ無償になる
 証明しようとするのは有償で霊性の高いものほど証明されない
 宗教を批判したところでせいぜいポストモダンの潮流がでてくるぐらい      −完−



神様はいるのかな、神様はいないのかな。根拠、証拠、無神論、有神論 科学は仮想で現象は事実。現実。現象はアナログだから素粒子が仮想されるのなら霊感というアナログもある。


世界じゅうのみんなが電気1時間減らせば
温暖化はなくなるらしいよ~(゚゚∀゚゚)~


        Clip to Evernote  Tweet

生きる世界 ∵  死んだ世界