神の存在証明/神の非存在証明/神の非実在証明/神の実在証明

(・z・)ノ




バクスター現象。こういう現象は実在する。観測と検証はできるが証明は出来ていない。なぜならアナログだから。

「電子は点状の粒子であると共に、ある種の波(物質波)を伴う」 ド・ブロイ
物体には固有の振動がある(音色)。気体や個体を媒質とした粗密波(音響)に時間を掛け合わせて音楽となるのならさらに細やかな世界にも各々個性がありそれらは複雑に喜び合って音楽を構成しているはず。素粒子には時間も空間もないが(光速状態なので)それが音楽化すると我々が耳にする音楽よりもさらに意味不明な事態になると思う。
素粒子もある種の物質波を伴う。…その物質波に伴う音楽性が神的であれば森羅万象化して生命になる。
時空に音楽があるのなら、素粒子が音楽化すれば植物や動物になる。
素粒子が愛や音楽を宿して生き物になってる。ゆえに祈れば元気になる。石にも木にも宿るものあり。疎かにすれば生かし合わない関係になる。地球もマクロに見れば生き物かもしれない。 

ゆうふらの言葉。意訳すると、たかが空気の緩い振動でも「音樂」になるのなら 素粒子の波動?運動?ともなると何になるのか 未だ分からない


神はありのままに躍動しているだけである。人間の意識に呼応する神もいるし、呼応しない神もいる。(循環論法ではない)
                                               道化師の箴言集


.ℜ 僕がなぜ霊性とか魂の実在する理由なんてこんなにも探ろうかとしているかというとこの経緯としては最初から話すと高校卒業まで正味10年ピアノをやり、実際にドラクエとか弾いてみたときの音楽の感動を大学の一人暮らしで思い出してせつなく、その補償行為もあってかオーディオへのこだわりのみは空駆けて、普通の人にとってはどうでもよいはずの音への究極のこだわりはやがて宗教に、哲学の限界とともに霊性感応に、霊格パロメータに、オーディオ体系ともども結びついてきていて、今さらリチャード・ドーキンス信者に神の存在とその信仰を否定されようがそんな一般趨勢に批准しようなどとは思わない。そういうわけなのである。それはどうでもいいけど人は動物とは違い、良かれ悪しかれ動物にはない感情を抱くゆゑ、人間には祈りとか葬式が必要だと信じているからというのはある。(中略)今まで出会ってきた人の中で、霊障のない人間など殆どいなかった(年齢や社会的地位に関係ない。能力とか美しいなにかを持ってる人間ほど霊障にもつけ込まれやすい。モラハラ等。だから全人類そんな具合である)。霊性にも調性があり生命力がある。音楽学では「調性」の対極にあるものは「ディスハーモニー」。破壊。日本の宗教ではハレの対局にあるのはケガレ。穢れは調性の崩された状態。障りは滅びの作用。霊障は生命力を滅ぼす。肉体を希薄化さす。「死」とは生命に満ちた勃起的密度が損なわれる現象。エランヴィタールの喪失、虚無。。オーディオにおいては音割れとかノイズである。太陽のフレアも強い磁場のひずみで磁力線がぶちぎれてプロミネンスが飛び散ったのです(自壊)。 祈りの反対はいになる。核家族化して共生できなくなると一人っ子政策みたいに個我が強くなり、競争原理は働くが、行き過ぎると不和や猜疑が増し、無意識下(素粒子上)で人を呪い始める。祈りが人や自然を生かすものなら呪いは滅ぼすものである。人間には動物にはない傲慢さがある。隣国に意地悪をする巨大国家のような姿を呈す。工場は物欲なしには成り立たないが、人口が増えて自然環境が滅ぼされると、人類の生命力は失われてゆく。やがて取り返しのつかない事態になるだろう。自然を制覇して欲望が満たされやすくなると新しい種類の欲望が次から次へと湧いてくる。Aの欲望を叶えればBの欲望が生じてくる。どこかでその輪廻を制する修行とか善行が伴わなければ世界の情勢は次から次へと様態を変えておかしくなる。欲望の肥大した今の人類を1人1人喰わすには環境の負荷が大き過ぎる。人口を減らさなくてはならない。そう僕は信じていた。でもその必要もないようだ。欲望で環境を破壊して大気と土壌が汚染され、乏精子症の人口が増えて無欲化している。自然はうまくできている。ちなみにセカンドインパクト後の地球の自然環境は、生命力・淨化力をある程度取り戻されてる。



「神はいない」「神が存在すると言える根拠は今の所何一つない」…というけど今の所の話だし神の定義によりますね。無宗教者はスーパーゼウスみたいなイメージで語ってる。とか如来というと宇宙の果てまで定義が膨らむものなので〔全知全能〕、神が居るのなら悪魔も魑魅魍魎も居るという事でもあるし、ここでは神のうち天津神国津神の、神の性質であるうちの霊性に限定して思考します。
霊性・・・ 肉体に対応したもの。SQ、EQ、魂の品位や方向性としても使われてる。Wikipediaで調べるとまた別の意味で書かれてる。霊性とか霊というのは上位概念の便利さゆえ、包括するものは広範囲に及ぶけど、ここでは更にその構成要素に、経絡を流れる「」とか、ヨガでいう「プラーナ」等に、霊感はそのとかプラーナに感応する事に意味を絞ってます。cf.{僕は以前は霊性を「非物質的なもの」と表記していたけど物理学では相互作用があるものを物質と呼ぶようだ。光も物質。よって霊感というものがあるのなら何らかの相互作用があるわけで霊も「物質」という事になる。「物体」と呼べば良かった}

(上略)
霊性感応は自身の霊性との同時的なところでもあるようだ。液体と気体は交じり合う。それは鏡面のAuraがB&Wに浸透するように。霊性もお互いに連動しあっているもので、とくに神・仏の波形と調和すると直霊はハルクロdm88級の上質感になるのでございます。ハイエンド・オーディオになると高域がどうとか低域がこうとか「觀念」でどうこう考えるレベルじゃなくなる。全身で浴びて気持ちが良いかどうかというレベルになる。釈迦は神などいないし輪廻もないと言っていたと言われるし、臨済は仏を見たら殺せとまでいってるのだけど、それは修行者にたいする対機説法。それは世の中騙すやつしかいないし自分の見方を普遍化してるやつしかいないから人に言われたことをそのまま鵜呑みにするなと自己の判断を重んじるため。また関係念慮・関係妄想などの迷いをなくすため。音の振動は存在してもそれは鼓膜まで。鼓膜より先は有髄神経のインパルスで。脳で思い込んでいる世界に囚われないためである。ただ難しいのは、実際には神とか仏は存在しているということです。なぜかそこにいる。なぜかいるそこに。神がいないと言う人は、たいてい心に嘘をついている。または神の定義によるものとか、自己中なルールを標榜する世間に怒りを持っているのではないか(実際、モラハラ信者はたまにいる)。難しいのは現実。修慧。浅薄な定義を離れてほんとうに心を直に見つめられているかどうか。素直さには度胸が必要。気づくのも縁。
さて神が言っているらしい言葉をよく見かけるようになりました。それは本当に神なのか?神がそんなこと言うのか?魔につかれる者はだいたい心に隙間がある。線香の灰の落ちる音が聞こえるほど落ち着いている状態になるとあらゆる虚飾や娑婆気が手に取るようにわかるらしい。それと同じように、普遍性とのコントラストに照らせば浮出るものがある。伝統的な格式の伴ったところの霊性は、自然で素直で可愛くきめが濃やかで、余韻も深い。デュアルコンセントリックから醸されるTANNOYの深い味わいのように。「これは先進の回路でこれにすると云々」と技術者は論理的に提案する。でもTANNOYは人の感覚を信じる。伝統的手法をここまで熟成させてきた陰には、流行り廃れに惑わされない裏づけのある信条が伺える。
相手は生きている存在。パラゴンの血を受け継ぐエベレストDD66000の振動のように生きている。あいさつにはじまりあいさつに終わる、礼節に準じる心はお互いを生かす。自分の体調や感性に応じてふさわしい音程・ふさわしい調子・ふさわしい小脳的テンポをみつけて磨く。怠惰に物事を単純化すれば怠惰に単純化したそれらしか得られない。縁自体が怠惰に単純化するので、簡略化した世界觀を皆が持ち始める。日頃から五体を使い、神・仏の方を向いて精進する。勉強でも目だけでなく指の先まで使ったほうが覚えも早い。それと同じくで感謝の念を養いながら祝詞を唱えて気合いでお経を唱えた方がよい。はじめのうちは健康になった状態の気持ち良さぐらいしか当然ないけれど、努めれば次第に神気の作用が伴ってくる。それが自分には出せない精妙なアウラなので神仏はすごいなぁと思うのでございます。

神社で祝詞を唱えれば霊性の一致不一致※はあるけど清明な作用がくる。たとえば近所の真言宗の寺が良い寺で、戒壇巡りすると気持ちよく (最近は50年前に比べると参詣者は1/3ぐらいに減ったらしく寂しいが、信仰する人しかほとんど来ないので『』を唱えていても怪しさは半減する。般若心経が一番パワーがくる。空間に浮遊するヌースがあるとしても、心がそれと相互作用してなければなにもないのと変わりないけど)、青年会で通ってる薬師寺も当初はなにもないように思えたけど縁が深まるにつれて所謂パワースポット的なありがたさが増してきてその浄化力を求めて奉仕してる(…御利益信仰でしょうか…)。神様仏様の浄化力はすごく、世界各国それぞれのパワーがある。アユタヤのの本堂に行ったときもヤバかった。あの呼吸困難になりそうなぐらいの気持ちよさは?もちろん日本もすごくてはヤバかった。他の人も同じ事言ってたけどキターって感じの神気だった。性愛も聖なるものなのか。古代ギリシアにはアフロディーテとかいる。仏教にも修行中には魔障になるが歓喜天とかいう仏様がいるし、インドではリンガが祀られている。日本にも神社で大男茎形や女陰形のご神体は実はそこらじゅうにある。真清田神社、弓削神社、田縣神社、大縣神社 etc. そういうパワーもヤバいぐらいにすごくて若い子が我慢しようものならプロミネンスが飛び散ってしまう。そのように霊験はあまた種類があるが、日常的には自分は障りを減らす目的になる。神棚とかに感応は毎日の話である。それはどうやったら説明がつくのか。仏の光触かむるものはみな〜 有無を離るとのべたもう〜(意味:仏の光明に照らされれば、有/無への極端なこだわりは失せる)・・・。このお経や祝詞により僕のところに作用されてくるのは一体なんなのだ…?先生がお経唱えたときのは?おみくじが連続するのはなぜ?。死んだら人間21g体重減るらしいが、それが本当なら何が減ってるのだ?探し物はなんですか?見つけにくいものですか?
心霊現象を物理的に科学する超物理学という世界がある。でもGoogleで見渡す限りは物理的とは言えない。現象を捉えたものはたくさんある。OBEとSHC etc. これらは創作や捏造もあるけど、そうだったとしても神や霊魂が存在しない根拠にはならない。おそらくそれは、アストラル体・エーテル体・コーザル等によるチャクラ的な覚智が云々てところで、視覚はハルシネイションで、神・仏や霊魂の実在は空性。我々は空性である。神は空性。沢山の仏は空性である。空性はひとつである、唯一である。ゆえに霊性は空性であり神を空性であるといわない人、または、神が空性である事を否定する人は、神を知らず、神に反し、イエスに反している人である。などという考えに終着されても困るのである。
でもそこで霊性の実在を物理科学的に説明できるのは今のところ暗黒物質ぐらいしかない。(神社に石投げたり仏壇壊したりして何か起こっても物理的な根拠にはならない。個人的な思い込みだと片付けられるうえに霊障まで負ってしまう。それが狙いかも知れない)。丑の刻まいり障らぬ神に祟りなし
僕たちは水の分子はH2Oだと記号で知っている。でもH2Oをドラえもんの道具で10cmまで拡大して見て触れなければその本質を知っているとは言えない。半永久的に知ることのできないものごとになる。

cf. / サーチュイン遺伝子[SIRT1] / / / / / / / / / / / / 超常現象 / コイロンの泡 / /ブラインドサイト /



 :宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できない物質。音楽とか芸術はレウキッポスが説きデモクリトスが完成させた万物はアトムの運動と結合によって成立するという原理論に通じる。

 〔暗黒物質の候補〕 -Wikipedia-
 ウィンプ(winp)=非常に弱い相互作用しかしない粒子。
 アキシオン(axion)=冷たい暗黒物質(高速で動く素粒子)
 ニュートリノ(neutrino)=熱い暗黒物質(高速で動く素粒子)の代表例
 タキオン(tachyon)=超光速で動くと仮定されている粒子。過去に向かって突き進む。(せいぜい知識モデルとかフォームでしか想像できないが〔〕、実在するとしたらタキオンは今現在も過去に向かって突き進んでる)
 ビッグバン直後の滑らかな状態からは、現在までの重力では銀河、銀河団にまで物質は集められないので、科学者たちは宇宙の70%は、粒子とは異なり互いに押し出す性質を持つ「暗黒エネルギー」が占めていると見ている。このため、宇宙は加速膨張を行う。残りの30%は粒子。問題は宇宙に存在する全ての星を合わせても、宇宙全体の質量(エネルギー)の5%に過ぎないという点にある。
 「白色矮星・中性子星」 …比較的小質量の恒星が燃え尽きると白色矮星・中性子星になる。こうした星が自分で出す光が小さい場合、暗黒物質の候補となりうる。
 「恒星」 観測できる多数の恒星がそれぞれ観測できない惑星を持っている可能性があり、これが暗黒物質の候補になる。
 補:米航空宇宙局()のマイクロ波観測衛星の研究グループは、同衛星のデータから「宇宙の年齢は137億±2億年との推定値を発表した。同衛星は、宇宙誕生の大爆発()から38万年後の宇宙から降り注ぐマイクロ波(宇宙背景放射)の温度分布を100万分の1度の精度で、1年間にわたって観測した。また、温度分布の分析から、宇宙が誕生直後に急膨張したとする「インフレーション宇宙論」の正しさが確かめられた。宇宙が将来も膨張を続けることも明確になったという。通常の元素が宇宙全体の質量に占める割合は4%だけで、正体不明の暗黒物質(ダークマター;コールドダークマター)が22%、アインシュタインが「宇宙定数」として予言した謎のエネルギー(ダークエネルギー; スカラー粒子??)が74%を占めていることも分かったという。

 



 アメリカの医科大学では最近この手の研究が活発の様で「神の存在」は無理にせよ「祈りの研究」ではシビアで厳正な測定がされて結果が出ている模様。素粒子の観測機が人体に応用できないゆえ物理学的な要因はまだ見つかってはいないが医学的なレベルに基準を下げれば霊性の働きも検証されてる。cf. THE JOHREI INSTITUTE, 日本ホリスティック医学協会

 さんかるぱさんのハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究の記事に要点が書き出されていて(具体的な実験内容・実験方法については参考文献を読むかハーバード大学、コロンビア大学やその手の研究機関に聴いてね)そのスピンドリフトという組織の実験結果を引用すると…
1.祈りは実現する。…麦の発芽の実験で、祈られたグループの種子のほうの発芽率がはるかに高かった。(何度実験しても同じであった)
2.苦しい時ほど祈りの効果がある。…発芽しにくいように、麦の種を浸している水に塩分を加える実験で、塩分の濃度を増やすほど(つまりストレスを多く与えるほど)祈りの効果が大きかった。 ←これは川に溺れてる人が空気を求める時のように、苦しむ状況にあるものの方が救いへの希求度が強いからである。悟りとか霊性感応においても同じ事が言える。神社仏閣では神仏(生命力があって有り難い清らかなもの)の方を向いてないと感応が薄い。ある人は霊感があって幽霊は見えるようだけど宗教屋の神はいないと確信している。幽霊は見えて神社仏閣の神仏が見えない(シンクロしない)というのは今現時点での性情や霊性のありようの問題だと思う。またドライブが好きでよく神社仏閣巡りをするも信仰は薄い人がいるけど、その人は「お経なら南無阿弥陀仏でもなんでもいいんだよ」とか達観してる。薬師如来に「南無阿弥陀仏」を唱えてみても、たしかに感応はする。でも日頃からの意識の持ちようの問題があるだろう。その達観者はそのパワースポットでどれほどのパワーを得てきているのか婉曲的に確かめてみたけど非常に薄い印象だった。まぁ「霊感」で感じ取っては来ている様でしたが。仏様を敬って五体投地してない人は、宗教の伝統や作法などなんでもいいとか思っている。そんな無意識の構造があるから、感応が深まらないという事例だろう。井の中の蛙ではいけない。
3.祈りの量は祈りの効果と比例する。…発芽の実験で、祈る時間を2倍にした場合は、発芽率が2倍になりました。(ここは「発芽増加量」で測った方が確実な気がする。)
5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない。…例えば種子を用いた実験では、種子の数が多くても少なくても、結果は同じでした。このことから、祈りの対象数がいくら増えて、例えば1人の人への祈りであろうと、5人、10人であろうとも、祈りの効果は変わらないのです。(これは祈りの力を受け入れようとする意志力を持つものの頭数が比例して増えるからだ、という理由もあると思う。)
6.祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい。…実験によって、祈りの経験の長い人のほうが、浅い人よりも大きな効果を生むということが分かりました。ですから「困った時の神頼み」で、急に思い立って祈る人よりも、ふだんから神棚や仏壇に向かってお祈りをしている人の祈りのほうが、はるかに効果が高いのです。その意味では、神主や僧侶、神父、牧師さんの祈りの効果は大きいと思います。

とのこと。創造神や宇宙の発生以前の世界については古事記では「それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。」と冒頭でいきなり解らないものと不可知扱いにしてる。日本人は自然観察に長けた民族で、古事記の大地の生まれ方の記述は現象に忠実だと思うけど、そればかりは「調べようがない」のだと。
しかし「り」を医学的に検証する事に限定すれば前提の妥当性・論理的整合性・検証性・再現性・反証可能性を満たす事が出来るという算段はある。医学というものは観察で成り立ってる。に対しての批判に「何百年間も物理的に確認できないという事は結構大変な事なんですけどね。人の目も耳も物理現象に対するセンサーであるはずなのに。」と言うものがあるが、その思考形式だと「人の体のあらゆる組織も採取できるのに、エクトプラズムは採れないのです。それは心霊治療で取り出した臓物が検証を拒否されるのと同じ種類の事のように思われます。」とのことになる。それならば早くニュートリノを採取して欲しいものですね。それは採取できるたぐいのものなのか?病気や他の物理現象との混同のない限りの現象は単なる異常値である。物理的(量子力学的)にその原理が解明されていないのは重力も光も同じで、その知覚の構造もまだ解明されていないだけである。





遺伝子工学ではDNAをDNAたらしめている力はサムシンググレートといわれる。いかにも科学的に説明できるよう現在研究中の模様。
ロゴスではなくミュトスで語る古事記や書記では、人間は神によって創られたというより、神から産まれてきたという感覚。どちらでも良いけど(アナログ)で表現するとそのサムシンググレートは神に相応する。
古事記では宇宙発生以前は解らず。次に天之御中主神(天主・御中主:絶対神)・高御産巣日神・神産巣日神があらわれて:以上、造化三神(うつし身をもたない)>>>>>別天神・神世七神>>>イザナギ・イザナミ>>>> 天照大御神(高御産巣日神の命令で高天ヶ原の統治)・素盞嗚尊・月読命:以上、三貴神>> 天皇関連の神>>産神> 誕生神(氏神)・他>広意義での八百万の神>人間神(乃木や豊臣など)>霊獣>人工的な霊>他と出てくる。人間はその過程のどこかから居る。また、自然神(川や木や岩に宿る神)の起源はうんと早いようだ。日本的な霊性はここにある。
倫理の教科書を読むと神道には「うけい」という神事があったみたいだけど(今は廃れてる)神仏の存在とか情報を、エクトプラズムを、我々はどうして知覚できるものか・・・・犬の嗅覚は人間の100万〜1億倍ほどあり、走査犬には10日も前に通った道がわかる。通っただけの道が。神経細胞の質・量に理由があるのだろうか。
インド北部のイスラム寺院では儀式で大麻を焚くらしい。それで宗教的雰囲気を増すようだ。たしかに麻薬は感覚を拡大させる。しかし霊感とは必ずしも脳内麻薬で得られた感覚とは同質のものではない。(必ずしも霊性であれば大丈夫なわけではないが…)。スーフィズムとは真理(=妨害・障害としての錯誤・虚偽を対義語とする)に通底するための優れた宗教的態度だが、麻薬で得られる神秘が宗教の全てであるとするのは浅薄な先入観である。宗教信者になにかの怨みがあるのだろうか。犬の鼻腔は人間の10〜40倍で嗅細胞は400倍になる。嗅ごうとしてきたから発達したのである。魂も希求して発達する。(霊感は特殊な人にのみ許されているのではなく、すべての人に備うるものであるけれど、恬淡虚無に、空なる気持ちで生きる事など今のせわしい世の中では実際問題難しい事なので霊感が異常値になるのかもしれない。街中歩いたりインターネッツ見ていると自分に都合がよく我道を開けよとの如くに車をどけて歩いている人のいかに多いことか。科学とは名ばかりでその実態は「経験則」で、現象への素直さ・忠実さなど思慮されてない事も多いだろう。肉体的にも。そういう人たちは衝突しなければ避けられてる。色不異空に、現象に素直に生きることが霊性との親和性を宿すための第一歩かもしれない。少なくともNKにはなってる。)
アクシオンは電子質量の1000億分の1という細やかさ。自分自身の霊性が繊細になれば、その網の目にかかり易くなるのではないか。暗黒分子としてでかくなるほど、粒子間を移動しにくくなり、霊性の気感の段階で感じ取れるようになるとか(バイオ粒子反応)。初めは祝詞を唱えても感応しなくても、神仏を崇敬する念を養い宗教的に生きて優しく繊細になるにつれ(愛で合成され)、霊体も時間をかけてキメ細かくなり、神仏からの助けもあってその優しい意識をもった暗黒分子(霊素)に感応動交するぐらいになる。反対に…靈を構成する粒子群はでかくなればすり抜けての移動はできないことにもなる。前ページに書いたあの人魂は意識なく彷徨ってただけだけど、ちゃんと開いた戸を通っていった。無思考に。灰色のメラメ〜ラの人もいた。あの霊魂は蛍光灯の光を反射するのでなく壁の背景が見える暗いめの透明だったので、おそらく磁界の歪みを起こしている体だろう。磁界じゃないかもしれないが量子的な場が歪めば光の進路も歪むのでメラメ〜ラに見えるんだろう。そのとき金縛りを起こしたのは多分、自我の歪み(霊的磁界の)が生体に異常をきたしたからだろう。オーブの写真のように(たいていは埃やカメラの機構だけど)、光のDレンジが拡大すると見えてくるものはあるかもしれない。神仏の光はエネルギー隆起状態により見える。温度は感じなかったけどその光により精神が癒され悪感情も浄化するので精神も霊的磁界をもっているといえる。ソクラテスも墓場にうろついている霊はまともな霊ではないと言っていた。プラトンはフィロソフィは浄化力をもつもののことであると言っていた。お経を唱えるのがよい。(∩ ゚д゚)アーアーアー キコエナーイ
神智学的には霊性(オーラ・精妙体)の界面は繊細で緻密なものが高次とされる。スキースノボーではシャーベットは嫌われパウダースノーが好まれるし、オーディオでは高級なものになるほど解像が平滑化する。またDNAの塩基配列の長さは蝿も人間もさほどかわらない。長ければいいというものでもなく、芸術や料簡と同じく、性質とか程度の高低が問題だろう(でもは長い方が面倒見が良いなどの側面がある。人間のジャッジでは測れない)。もちろん密度以外にもオーラの大きさもある。強弱もある。強力な怨念をもつ存在もいて、作用の大小があることもわかる。儀式の多い大きな神社は力の作用も大きい。人類補完計画では人類は初号機を依り代にして一つの生命になり、分離する生命のありようから解放されるものだったが、靈たちは個別的な存在である我々とは違い、磁力的に寄せ合いみんなが共同になりうると神智学で書かれている。自我が強ければ共有される世界が狭くて小さいとか、シンパとかアンチで合成や分裂を繰り返すとかあるだろう。愛すると似てゆく。憎んでも五十歩百歩で似てゆく。振動の原理から考えると、愛では倍加し、大きなその形質となり、逆相では干渉し、小さなその形質となる。また構成された生体ではない、波動拳のようなPKとか宇宙意識のような伝書鳩的なものは、シャドーマターによるところが大きいとかあるかもしれない。
さて人間と 網膜には映らない存在、どちらが高次かといっても定性的には比較できないが、やはり細胞や思念に純粋な作用をもたらすもの、御稜威、光明、アミダーユス、そういう力の放たれるものは神や仏と呼び敬うのが相応しいだろう。生命の源泉に通じているのだから。独善的な悪さをもたらすものは魔かな。◎狗は天魔のしもべで霊神の進化した存在。あらゆる人間を見てきているので巧みだ。その巧みさは我の強さに比例したところでもあろう。外来カルト、黒魔術白魔術、Satanic Bible、…非常に厄介猪八戒で面倒な界隈。不浄霊となるのは意識体レベル(阿頼耶識)に不浄を遺した霊魂。それの集まる(好む)場所は気が悪く(瘴気)、悪寒を催す。肩や脹脛が重くなる。でも心経100回も唱えればそういった霊障も少しは消える。偉大なものになると地球のようにでかかったり月のように麗しいだろう。 ・・・あぁ福禄寿の頭のおおきさよ。チャネリングのほとんどは低次元な高級霊だけど毘盧遮那クラスになるとうかがい知れないと思う。千種の手を無意識に扱える千手観音のIQはいくつだろう。我々は肉体があるから一つの顔しか持てないけど十一面観音は時空に囚われずに同時に多くの顔をしてる。おそらく実物は彫刻で物体化された仏像の姿以上にカオス。ゲーデルエッシャーバッハ。かの不可分な数式を現前に出だすと神の思考は所詮御伽噺にしか見えないとか。いや。それを論理で読めばダニューバーはそのとおりレングードの神となるだろう。オーディオでも葉脈的な振動が出せなければ機械的な音色(おんしょく)になるが、ダニューバには計算できないものがミュトスである。おしゃか様が生前;肉体を持ちながらにして涅槃に至ったというのは伝説的なところだろう。魂は法力あるものに供養してもらえばいつしか成仏できる。あちらの世には善も悪もない。定義がない。アナログ的な性質だけがある。幽界は法則そのもののような活動形態。人間世界には法律やヒエラルキーが明文化されてるけど六道やらの境界は不明確で、意識精妙体の世界はカオスにたゆたう。そのカオスが、ある宗教ではまるで無間地獄という実態で、学者は学者同士、企業は企業同士で友情やら敵対関係があるとか。浄土には通過儀礼()があったり天津神は清澄な存在としかやはり関わりをもちたくないとか。仏などほっとけと言われてるのだからカラスの勝手でしょ みたいな。宇宙はヒッグス場:ヒッグス粒子に満たされた海である。無思考な慣性からか、自分に見合ったやつがくるという。ホメオスタシスにも因果する。宇宙空間には名付けされきる日は永遠にこないほどの個性がいでいる。マルス クピド メルクリウス、セラフィム サラフィエル マラーイカ、龍神 宿神 土公神、 など〔敬称略〕。別名が100個ぐらいある神もいるし。地球は各地域で民族色が違うけど顕界は幽界のあらはれなのか(海外に行くと空港でその国の匂いがする。日本にはしょうゆの匂いがあるらしい)、間接的に創造を導かれたもので、言語もその始動因に連鎖、人間自体は神の力に応対した結果(因縁所生)なのか(反撥すれば相応の様態となり)。無形的には先祖をある程度辿れるだろう‥・(だから氏神様は大切にすべき)。はじめて神棚を設けたり神棚をあたらしくするときには神職さんに「清祓」や「神あげ」をしてもらうけど、芸術家の場合も、入魂の作には本当に魂入ってれば輝く…‥・。両想いになる「想い」はそのままの音域で伝わってしまう…・…。類は友を呼ぶのは日記帳の仕業だとか‥。世界は心の映し絵のごとく有象/無象相対している。つまるところ魂の性向のとおりにしかなるものもならない‥‥。


 


トップページへもどる

本当に格の高い神の思考では、マイナスを生み出すことは一切言わない。過去に限りなく格式の高められた宗教は有る。