− 兄 弟 喧 嘩 −


 キリストも同じことを言って十字架に架けられていたが、子供の兄弟喧嘩を見るほどに、いじめるもの(カイン)よりいじめられるもの(アベル)に正当性があることを知る。これを原点にして大人社会の善悪は派生する。いじめられたものはいびつに歪み、その姿・態度は善悪は逆転したかのような様相を示すこともあり、こうなると何が悪であるか俄には見極めがたくなるが。(人間、見た目は関係ないと言うが何の理由もなしにその姿をしているものでもない。必然を探らないといけない。鏡を見て現実を見れば修正される。見た目を気にしない人は見た目を気にしてこなかった見た目をしている。必然性を拒むべきは善悪だけである。善行寺の三面鬼ミイラのように、衆生済度を願い世の罪を一身に背負ってそのような姿になったものもある。)
 異性愛の愛はかね平均的に人を成長させるが、同性愛の愛はプラトニックな神聖な愛とソドムとゴモラの俗悪な愛とに枝分かれする傾向がある。虐げられる者もこのように聖人君子と魑魅魍魎の二手に分かれる。または余所で虐げる行為をしてその中間をうろうろしている。友達がよければ理不尽さに腐ることなくデフレスパイラルを生み出すこともないが、いびつに歪めば歪みを知ることができるし虐げられてきた者にたいする慈悲も得られる。最も神に近しいのは能力があり搾取できる階層にいるのに弱者への慈悲から献身的な行為をする者で、最も魔に近しいのは能力があり搾取する者であるが、大抵は虐げられなくては神的ななにかにも通じない。それが我々人間の現状である。我々はそういった輪廻のうちに生きている。








− 大 き な 二 つ の 原 因 −


 人間は一般的に素直といわれる人には共存経験があって非我と自我との溝が浅いからその性質が「素直」という風に映る。この素直さは矯正されたものとは違う。
(アスペルガーの方は自我の同一性の確立が困難で自分がわからず他人もわからず自分と他人の境界が曖昧なので素直に他人に(誰にでも)接近してゆくが、このケースは今回は度外視。)
 敵対性や警戒心は共存経験の不足によるものだけど管理教育が原因になることもある。行き過ぎた教育からは子供の自我を護らないといけない。巨大に膨れあがった非我の目々という概念によって、いつどこでも監視されているような行動をとらなくてはならなくなる。それが虐待やイジメだったらもっと理不尽である。
 ここでも四種類に分けられる。@共存経験が豊富で管理教育が過剰だったら人類へのアピールが過剰になり、A共存経験は不足してるけど良い教育が為されれば自分の世界に生きるようになる。B共存経験が豊富で良い教育を為されれば飄々と世の中を渡り、C共存経験が不足して管理教育が過剰だったら世の中が殺伐とする。(もちろん人間は知能的不自然によって例外が多いし、内向型外向型両向型等のように元々の素性も大きい。人生も長いので折々枝分かれする事もある。
そんなことはわかっている。たとえ近視眼的であっても、僕は例外を一般化するほど馬鹿ではない。
 ここでも監視する側は聖なる者にも邪悪な者にもなりにくく(その限りにおいてはストレスを与えられてないから)、監視される側は泰然自若になる者と挙動不審になる者との二極化に進みやすい。







− 弱 い 犬 ほ ど よ く 吠 え る −


 弱い犬ほどよく吠える。近づいてみればわかる。撫でられようとしない。
 吠える犬は同時に怖れている。塀の外でちょっとした物音が立てば永遠に等しいほど延々と喚き続け、夏の偉大な空に花火の音が響けば小屋に隠れてビクビク症を起こしている。吠えない犬は泰然自若としている一方で、吠える犬は雷が轟くと犬小屋に入って震えてる。小型犬に吠える犬が多いのは自分の身を守るため仕方の無い事でもある。しかし、大型犬と小型犬を同時に飼うと小型犬の方が威張るようになるらしい。…。吠えない犬は花火や雷は怖くないけど、吠える犬の事は苦手で、毎日吠えられまくっているといつしか吠える犬の方が強者のようになってしまうらしい。社会の現実はパラドクシカルなものである。






− 共 存 経 験 の 乏 し い 犬 −


 動物は自然なので例外が少ない。生後まもなく親もとを引き離された犬は非我を受け入れる素地が育ってない。そのうえ理不尽に厳しく人間にしつけられていると、犬も自己愛が歪むのか、他の犬を見るたびに発狂するようになる。その生涯において、ファーストコンタクトは威嚇となっている。自分が自分であることを許される狭い範囲の自分のテリトリーを侵されまいとする。死活問題である。
 血統書付きの犬というのは、純血種で遺伝病を持っている事が多いが、育ちは良い可能性が高い。良いブリーダー宅で産まれた犬は生後しばらくは兄弟仲良く母犬に育ててもらっている(ショップの場合、犬同士で遊ばせられているかどうかは店によるらしい)。
 常になにかと戦っている一匹狼のほうは、実際の弱肉強食の世界では強く生き延びるだろう。また、恋愛結婚をするので遺伝的に優秀になりやすい(そのために一匹狼になっている場合もある)。この娑婆の世界、心に構えのない者は幸せ者だがすぐに食われるだろう。そういった因果関係はある。悪貨は良貨を駆逐する風にも見えるが善悪の判定は難しい。一人で生きる者は命がけの努力をしているので。来世のあらわれかたで以てそれを楽しむ。