心で思っているよりも言葉にするほうが遥かに重みがある 言葉にするよりも呪術にするほうが遥かに重みがある 祈りも呪いも、念じているかぎりは魂に指向性をもたせる。祈っている人は唯識的であれ霊的であれ、複雑な関連から幸福倍化してゆく。幸福とは人類のあらゆる幸福を祈れることである。とはいえ祈れるか否かは一つの大きな指標で、新興宗教がよくやらせるような慈悲からでない反動形成の祈りは、霊を汚すからやめたほうがいい。そんな慣性をもつならご利益祈願でいい。まず自分の心を満たしたほうがいい。 呪いとは光のない者の仕業。△ 神は相手のためにならない願いは聞かない。かわりにその聞いてもらえない願いを叶えるやつがいる。仲間を、手下を求めているやつが。素性伴わずに宗教にかぶれてみても、呪いに至るのみ。 呪いはやめましょう。それは巡り巡ってゆきます。世界が悪くなります。魔につけ込まれないでいてください。神仏や祈る人に迷惑がかかります。人民解放軍が乗り込んできた時には国民は助け合わないといけない。そういう先々の事まで想定してください。 人を呪わば穴二つという …相手に強い守護があれば自分にも何も起こらないが、それでも自分だけが怨み苦しみうめいているという現実。ネットでも霊障を放っているサイトがある。アンチに多い。コメント欄に集まっている人間もみな汚染されている。同じような精神形成をしている。そのような呪いの吹きだまりでやがて相手が顔面麻痺になった。それでも気がすまず、ファンともども死を望んでいた。その霊障は凄まじかった。しかしネットでもそれだけの霊障を感じるのだから、当人の現状は悲惨なものだと思う。他人のせいにして生きているから案外楽かもしれないが、そうせざるを得ない状況なのかもしれない。そこまで転嫁する必要があるのである。 さて。 祈ってますことを下まで見るもこちらに飛ばなかった人は幸せですね。 御霊に守られています。 ではなぜあなたは呪いの部屋に入ってしまわれたのでしょうか。 花が不自然だったから・・・ あの祈りの花は見方によっては毒づいていますね。 そういう感受性が強いのかもしれません。 ポインタが変化したからという面白半分な人なら うわ、と去っていきます。 すぐには去らなかったところに共鳴作用が生じたと読めます。 無意識に導かれた人は潜在的に恨まれているのかもしれません。 あるいは恨んでいるほうかもしれませんね。 ・祈りには無反応で怨念のほうに強く共鳴したり慣れている人・・・ 40以下 百体清浄か般若心経を覚えて一日30回を目標に唱えましょう。 ・呪いを最後まで読むも、悪い手本として見識が広まったと感じる方・・・ 40〜65. 堅実な人生を歩んでいきます。 ・オチがなければつまらないと思っていた人・・・ 55以上 人生はゲームなので楽しんだもん勝ち。 ・御霊に守られている人・・・ 70以上 今時はあまり多くはないと思います。 霊性について |