内輪でマイルドな口調で語られ、人を持ち上げるような発想を見て、保身的で姦計的だと読みますか?実際自分の陰湿さを身をもって知っている人は警戒心が強く、表面的なマイルド感で覆われた陰性な素性を見ることも確かにあります。でもこれは人生全体から見るとレアな例です。いづれ衝突するか、疲れて疎遠になるか、どちらにせよ消滅する運命にあるからです。
猜疑に陥れば客観的に見て諂曲だと読むこともありますが、通常敬語とは陽性な心情からきており使っている人には心地よいものです。
敬語は心地よいと感じるから使う物で、敬語が肌に合わない人、あるいは自意識過剰な方は無理して使う必要はないものです。心理様態は曲げずに話しておいたほうが自分の思考はスムーズに流れます。相手にとっても快いですわよね。
また、感情に反する口調で話せば偽物になる。嘘をつくときのように、人間は偽装をすると逆に疲れます。精神のエネルギーは量子的なものだからです。嘘とか偽装とか言い訳などがわかるときには、経験というよりその膨大に費やされたエネルギーから溢れてきたものを、匂いとして知覚してますことよねうふふおほほ・・・!おっと失礼
守ることにエネルギーを使えば表現するエネルギーがその分減ります。保身的な人間は急進的な思考に概して疎いものです。反対も然り。そして保身的であっても、建前と偽装はまったく違う。これが重要。使い道がまず違います。発達本能に導かれたものか自己防衛の手段です。また、エネルギーの向かう方向は反対です。外向か内向か。外向的な人の方が説得力がありますよね。詐欺師とは水面下で足を必死に動かしていているような存在であり、同量の説得力を生み出すために何倍もの苦労をしています。いづれ自我と実態が乖離し、無感症や鬱に陥ります(乖離性人格障害かな?)。 急進的でも保身的でもどちらでもいいですが、無駄なエネルギーだけは使いたくないものです。いびつにエネルギーを使わないほうが生きるために合理的です。
敬語とは相手への敬意というより、悪い言い方になりますがわりと自己的なところから発せられるもので、目的や表現への過程をスムーズにさせる手段として一般に浸透しているものです。敬語的な人間関係は内面的には薄いけれど、ある共通の目的に向かう動力は強い。僕は会社という社会を知らないけど、そういうものだと思います。
中学に入学したときの制服と一緒で、慣れないうちは誰でも自意識過剰ですが、丁寧な口調は慣れると
すべてがストレスフリーな心地になります。これだけで人生の歩みが結構スムーズになります。本当なら、優越と劣等のない管理、支配・被支配ではなく主管・対象の関係がキリスト教の美学にあって、相手をいつくしみいつくしまれることに喜びを見出せるまでになるのが最高ですけど。快い敬意に伴った敬語を使えるようになれたらいいですね。