− まえがき −

 聖書に書かれていることは内層世界の裸形に近く、人間の中に実際に起こることである。歴史に人間の内層の世界を見ることができるというより、歴史は必然の摂理であり、内層の世界が現実化したもの。ペンテコステの祝福は無神論者が有神論に傾いたときに起こる。極度の迫害の中で、普通の精神力ではノイローゼになっておしまいであるところを諦めず神に委ね [参考:下痢]、生きる道を求めた人はメサイアになりうる。平和を切に願う心情の中に、神がその重要な役割を与えてくれるという宿命が起こる。また、バプテスマの洗礼では誇りまみれの地上で生きる人間の霊の汚れを洗い流す。宗教的な儀式で人は川とか滝の水を浴びるのが好きだが、それが神聖なのは魚であったあの頃を想起させるからだろうか。海の中にいにしえの世界を見るからだろうか。最後の審判であるハルマゲドンは、原理主義の立場に於いてはいつか終末になったら訪れることとされているが、もうとっくに起こっていることかもしれない。どこに起こっているかというと生死の中で。自分はまだ生の段階だがそれは走馬灯のように。恥ずかしかったり怨憎に満ちていたり、うれしかったり神への感謝に至ったりした過去が、時間と空間を逸する95%の虚空の中で錯綜し統合されて自己の全体になっている。神と悪魔が戦っているとも見える。人によってそれの生じ方は違っても旧約聖書の中に書かれているようなことは、最期の時には生じうるもの。夢の世界は内的な事実であるように聖典は比喩ではない。すっぽりとはいってきて昇降するものである。