ピカイアこそは神としての生き物
ピカイアこそが宇宙としての真理
僕はピカイアの眷属になりたい
補・記
調和のうちに完全回帰。自然がいたく美しいと思える。人工は欲求不満の産物かもしれない。


芸覚

人びとの根本的欠陥は
性別を超えた態度に
性別から批評を下すところに見られる

そして性別を超えた者は
その批評に
うらめしかろうものを視てしまうものである





同性愛は大きく分類すれば四種類になる
@真性同性愛
A同性への憧れが恋愛感情に変化するもの
B同性を異性の代用にするもの
Cバイセクシャル(両性愛)
でもこれだと少年アイはどこに入るんだろうカ。
エフェボフィリアは。

同じ男の子好きにも
@男の子以上女の子未満が好きなギリシア的な少年愛と
A女の子以上男の子未満が好きなカートン系のショタがある。
僕のエフェボフィリアは@。

(また、恋愛感情と性愛感情が分化している場合も有る…
普通はパラレルである。でも僕は違う…

そもそも人は少なからず同性愛らしい。
異性愛/同性愛と二つにわける二元的思考や
性質から乖離した言語上の問題でもある。

それでどの同性愛をキリスト教的な罪とするか。
@淫行に及ばなければいいとの定義すらやや理不尽。
お前は淫行をしていないのかと。
Bは性の逸脱として罪にもなろうけれど、
Aに罪の烙印を押すと、反動形成を生じさせる。
それが過激なところほど目が逝っている。(退歩)
やり方がだめなのだ。神の道に逸れてる。

アホな人たちよ
邪悪なものを禁忌とするのが本義である
あらゆるものは、崇高ならばよい
それは駄目であるとするのであれば
どうしたら良いか科学的に論証せよ
キリストでも修行僧でもあるまい
治せもしないのに批判をするでない
それは不幸を倍加するだけである



円珍さんという人がいる


霊覚

[音]に無限な音色があるように
[霊性]にも無限な気色がある。
仏閣の仏脈と神社の神気を比較すると
単純に異質なものなのであって、
甲乙はつけられない。





 モルデカイ・モーゼ
と
ヒトラーの日本観


モルデカイ・モーゼ:社会契約論において理想の天皇制やマルクス主義の虚構論理について。戦争を裏で手回ししているのはユダヤ人だと非常に恐ろしい洞察力でヒトラーは見抜いている。ユダヤ嫌悪もあり「モルデカイは現代のマルクスになり」とも書かれている。両者に共通してるのは日本という国を理解できるのは我々のみだという民族的主張。日本人は舶来品にかぶれるぐらいだけどむこうは日本をうらやむという次元になる。
今はもう日本は頽廃しているが、頽廃なりにも英語圏の少年愛者が日本人の子をみて知り"I'm not Japanese kill me !!"などと(見たことのないスラングばかりでニュアンスつかめなかったが)ネットで叫んでいるのを見た。そんな外人は恐ろしいが、見方によっては日本は未だに脅威ではあるようだ。外人の場合は日本人になりたいというレベルになる。髪はストレート、肌はきれいで 上品で賢い。日本の猫はかわいい。特にギコ猫は。
反対に古代人を生で見ることはできないけど古典をかじれば、古事記、万葉集、平家物語、世界でもっとも優れた精神の結晶に 神もこの二人の見識にはまんざらでもない様子。





 サバトを撃て


ここにはサタニズムについて納得のいくことが書いてある。マスメディアの人で、今の社会の底辺ばかりを相手にしているからか、ゆとり教育をだめだと言い切る結論になっている。一般的にはゆとりではだめである。ゆとりを考えたのがアカデミズムの人間なのだから、上層階級に大切な教育形態であって、愛も金も余裕もない家庭の人間に、ゆとりはもろ刃ともなろうもの。ハンスギーベンラートのような子の徳性はゆとり教育でなければつぶれてしまう(そうヘッセは神の側から訴えているわけだが)、一般的な倫理社会に於いてはゆとり→無法地帯と直結するもの。素直で美しい存在ほど、魔につかれて欲望を満たされる。