孤独

ある博愛家の新聞記者が、孤独は人間に毒だと私に語る。そして彼の論旨を裏付けるために、すべての不信人家なみに「教父たち」の言葉を採用する。
私は、悪魔が好んで人気のない場所を訪れることも、殺人や姦淫の心は孤独の中で驚くほど燃え上がるということも知っている。しかしこの孤独が危険なのは、ただ情熱と妄想とでいっぱいになった、無為にしてとりとめのない魂にとってだけである、とも言いえるだろう。
私はなかんずく、この呪われた新聞記者君が、私が気ままに楽しむのを放っておいてくれるように望む。「あなたという人は、悦びを他人と分かちあいたい欲望を感じたことはないんですか」と厭に坊さんじみた声でこの男は言った。見たまえ、この滑稽な嫉妬ぶりを!私が彼の悦びを軽蔑しているのを知って、今度は私の悦びを嗅ぎ出しに来たものである。何とも興醒めする奴だ!
「殆どすべての我々の不幸は、我々の部屋の中にじっとしていることの出来なかった点から来る」ともう一人の賢者パスカルは言った。思うにパスカルはその時瞑想の独房にあって、敢えて今世紀の洒落た言葉を援用すれば友愛的とも呼び得る売淫と活発な動きとの中に、幸福を探し求めているすべての基地外どものことを思い浮かべていたことであろう。