子供をかわいそうなあなたのようにしたくない。 ヤバい人を作り上げない教育。


子供はなるべく幼いうちから共存経験を持たせたい。また、一人でもやりたい放題やらせたい。
犬や猫を見ればわかるけれど、親に育てられていれば共存経験があれば他の犬をみてもキチガイみたいにわめいたりしないし攻撃性も薄れる。家の前を通っただけでバウバウ吠えるような被害妄想狂を作り上げないために大切なのは幼少期の共存経験である。テリトリーの認識が硬くなると非我の進入が許せなくなる。遺伝もあるけれど。

よく2歳くらいの子供にキーキーわめいている親がいるけれど、人目をうかがう人間に育て上げることになる。神経質か否かは共有環境の影響はなく遺伝で決まっているので、親が神経質なのでそういう教育になって、自意識過剰が育つのかもしれないが。厭世哲学の起源を植え付ける結果になる。
元来無秩序な子供の行動は常識に凝り固まった大人には不快に映ることもあるだろう。でもせめて三歳くらいまでは下手に怒らないようにしたいところ。
三つ子の魂百まで。例えばその子が浮世離れして生きることができるか世間体に許される許されないの価値観で生きるかはその三年間で決まる。内向型には内向型の才能があるが、世間体に埋もれた内向型が非常に多い。その負の経験が生きて生き方が変わることはあるが。
子供のしつけはもうすこし大きくなってから。息子や娘がいたずらしたり食べ方が汚かったりして、それを見ていたおせっかいばばあがなにを言おうが、子供のために無視する根性が大切。バービ・ヤールには「出生しないことが出生だ」というフレーズがある。子供の幸福を考えるなら自慢の子供に仕立て上げないことが大切。それも先祖代々培われてきた遺伝かもしれないが。

子供が家事を手伝いしてくれたときに投げかける言葉は「えらいね」ではなくて「ありがとう」にしたほうがいいらしい。誉められ欲求を助長するよりも与える心・おもいやりを助長したい。無償の愛はそういうふうにして生まれる。子供が学校での成績を喜んでいたら「すごいね」と安易に反応せず「がんばったね」と言ったほうがい。
無償の愛を客観的にしか理解できていないと「(無償の愛は)まず見返りありきじゃないってこと。結果、無償かもしれんというだけの話でさ。」とかいう。ε=( ̄。 ̄;) ヤレヤレ

「勉強をやりなさい」と言うほど勉強は出来なくなる。人の脳はネガティブな情報に7倍反応する。「勉強しなさい」と言ったら7回「勉強するな」と言わないといけない。まず親が自分の学歴コンプレックスを認めて受け入れるところから始めないといけないのかもしれない。そうしないと、なぜ自分は勉強をしない子供に不安を感じるのかわからない。学歴コンプレックスのない親は学歴が十分に高い。経験則がある。高3夏を過ぎたあたりから焦りだして、10月から3ヶ月勉強すれば最悪MARCHぐらいには行けるだろう、と思っている。

工夫をしてあげましょう。
あとは愛を与えるのみ。





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