子供をかわいそうなあなたのようにしたくない。 ヤバい人を作り上げない教育。


子供はなるべく幼いうちから共存経験を持たせたい。また、一人あってもやりたい放題やらせたい。
犬や猫を見ればわかるけれど、親に育てられて共存経験があれば他の犬をみてもキチガイみたいに喚いたりしない。ペットショップで小型犬のほうが吠えて大型犬が遠慮している光景はたびたび目にするけど、それは小型犬のほうが脳みそが小さいから。同じ脳みその大きさで比較すると共存経験の影響が大きいと思う。家の前を通っただけでバウバウ吠えるような被害妄想狂を作り上げないために大切なのは幼少期の共存経験である(あ、いきなりですが人間のことです)。共存経験が薄いと非我の進入が許せなくなる。それが一概に悪いとも言えないけど。

よく2歳くらいの子供にキーキーわめいている親がいるけれど、それやると人目をうかがう人間に育て上げることになる。虫の研究で、幼虫のころに覚えた匂いは成虫になっても覚えていて、子孫にも伝えられるというのがある(しかもその研究をしたのが子供でニュースになっていた)。記憶は遺伝する。親の親の親のはるか昔からそういう教育をされてきて、その記憶が子孫代々伝えられる。厭世哲学の起源。悪い事ではない。
元来無秩序な子供の行動は常識に凝り固まった大人には不快に映ることもあるだろう。でもせめて三歳くらいまでは下手に怒らないようにしたいところ。食べ物を何百種類と用意していて、子どもの好きなようにいつでも食べれるようにしたら、子供はどの食べ物が自分にどのような効果を与えるかを知るという。変な時間に食べると体調が悪くなるなど。まぁそんな予算はないし無駄な食材はちゃんと雀に与えるなどしないとSDGsの観点から非難殺到ですが。
三つ子の魂百まで。例えばその子が浮世離れして生きることができるか世間体に媚びた価値観で生きるかはその三年間で決まる。
子供のしつけはもうすこし大きくなってからで良いのではないかと思う。それを非難するのも先祖代々培われた無意識の構造では。息子や娘がいたずらしたり食べ方が汚かったりして、それを見ていたおせっかいばばあがなにを言おうが、子供のために無視する根性が大切ではなかろうか。バービ・ヤールには「出生しないことが出生だ」というフレーズがある。子供の幸福を考えるなら自慢の子供に仕立て上げないことが大切。

子供が家事を手伝いしてくれたときに投げかける言葉は「えらいね」ではなくて「ありがとう」にしたほうがいいらしい。誉められ欲求を助長するよりも与える心・おもいやりを助長したい。無償の愛はそういうふうにして生まれる。子供が学校での成績を喜んでいたら「すごいね」と安易に反応せず「がんばったね」と言ったほうがい。
無償の愛を客観的にしか理解できていないと「(無償の愛は)まず見返りありきじゃないってこと。結果、無償かもしれんというだけの話でさ。」とかいう。ε=( ̄。 ̄;) ヤレヤレ

「勉強をやりなさい」と言うほど勉強は出来なくなる。人の脳はネガティブな情報に7倍反応する。「勉強しなさい」と言ったら7回「勉強するな」と言わないといけない。まず親が自分の学歴コンプレックスを認めて受け入れるところから始めないといけないのかもしれない。そうしないと、なぜ自分は勉強をしない子供に不安を感じるのかわからない。学歴コンプレックスのない親は学歴が十分に高い。経験則がある。高3夏を過ぎたあたりから焦りだして、10月から3ヶ月勉強すれば最悪MARCHぐらいには行けるだろう、と思っている。そういう余裕があればもっといい大学に行けるんじゃないかと思う。





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