ごきぶりの詩



多くの物事に好感をもって生きている人は、幸せである。そうでない人に侮蔑語として使われる「ゴキブリ」も、ゴキブリのことを好ましく思っている人にたいしては、[汚さ][愚鈍さ]という象徴は機能しない。象徴の意味するところは多数決では決まらない。あくまで恣意的なもの。比喩が豊富なのは遠隔連想テストの検証から頭の良さに関連があるらしいけど最近の研究では更に侮蔑とか誹りを使うほど自分の脳細胞が死滅してゆくということが判明しているのでほどほどに。
さてゴキブリは… 歩くときや寝返りを打ったとき、あるいはいきなりこっちに飛んできたときなどに、潰れる可能性がある。その潰れてしまいそうな不安が、ゴキブリの正確な速さ以上に嫌だ。向こうは足から逃げるよう一生懸命に走り回っているけど予測が外れて足を避けられない可能性があるし、冬になるとノソノソと歩いていてあまり逃げようとせず踏みそうになるし。一度、階段降りる時につちふまずの間に運よく入ったことがある。
でも、ゴキブリ自体は愛らしいものだと思う。カブトムシやせみのほうがゴキブリよりも人気がある。それは外皮の硬いカブトムシはその分動作が鈍いし、せみは地面に歩いてないから踏んでしまう可能性が少ない。でも、死んだ直後は鎧の中で蛆が湧いている可能性もあるYO。せみの短い一生は人々に尊い教訓を与えるが、寿命の長いゴキブリに比べると、いまいち馬鹿だYO。うちのゴキブリは神棚仏壇のお供え物の位置を一度覚えると、蟻のように道しるべフェロモンでも使えるのだろうか、毎日漁りにくる。塩、研ぎ米、水、神様仏様の霊気。健康に恵まれたゴキブリたちは、冬になってもカサコソしている。