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洗脳の角笛
1 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:39
 

    
 

2 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/18 19:22
神にたいする「素直さ」は
ドラキュラにたいする
十字架である


3 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 21:49
 
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  ■■    ■■
  ■■    ■■

4 名前:ナナシンクロニシティ 2011/06/17 20:31
幼い子は口が臭い大人には"嫌い"と言って近づかない
手水舎では口を濯ぐ
神は尊い存在

5 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 21:46
ある日神饌を蒔くと
庭ですずめたちが見ていて
猫が喉でゴロゴロいうような声で喜んでいた

すずめは小さいからいつも必死な姿を印象付けるけど
ごはんをあげるとあんなに幸せそうな声をするのだった

6 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/03 21:00
( ・_ ・ )悪魔は自分が天使になるために
     純粋な祈りを集めようとしてるよ。

7 名前:ナナシンクロニシティ 2010/02/16 00:19
厳密には人間に無宗教はない。無宗教を標榜する者はあるが。
一般的にいうところの宗教というものが修行や戒律や信仰の伴うものであるのならば
(のならば≒と仮定するならば)
無宗教教というものにはそれは伴わない。「マナー」も宗とする教えである。

一般的にいうところの完全なる無宗教者には戒律がない。
虚無主義は精神性を磨こうとしないので悪魔の論理性に支配されやすい。
あいつは神を信じている 笑え
神などどこに存在しているのやら 
私は何じかの思想に条件反射する
途中、集中力が無いのではっと気がつくが
我に返りつつある我が胸裏を見ることができても
一度でも悪魔の縁があると なかなか足を洗えない
そんなときこそ鏡が使えるのに 見ようとしない 鏡の向こう側

8 名前:ナナシンクロニシティ 2009/04/03 13:34
人は神が何であるかを解らないでいるのに
先に神はこういうものであるという前提を用意して
それが存在しなければ神などはこの世にいないと言う

神に肉体はあるのか?
君に想像のできる神が神なのか?
君のシニフィエは現象自体なのか?

神は君の現象学を超えているというのに

9 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 00:46
人生が常識を決める。
常識は人生を表現する。

10 名前:ナナシンクロニシティ 2009/02/21 07:45
本来現象には肯定も否定も含まれないものであるが
他説を肯定すれば否定も生まれる
他説を否定すれば肯定を探しだす
という原理により被洗脳状態となったあやつりにんげょうたちは
同類をみつけては踊りだし叩き合う
一までも有無に囚われたまま…

11 名前:hyvyys 2008/05/06 02:00
神棚に神饌をお供えすれば、神気が来る
でも骨董に神饌を備えても、反応は殆どない。骨董にもよるが。
そんなことをかれこれ一年も続けてれば、
馬鹿でもそれらが自分の恣意に無関係であることぐらいわかる。
でも科学で解明するとなると難しいだろうね。

よい温泉の裏にはよい神社仏閣が何故かある。
本堂に入って祈ってみればさらにまた
神様とか仏様の力によって肌がすべすべつやつや、思考明瞭になるから
そこからの演繹で創造論も一理あるなと感じるところ。人間の生命が復活するから。
雀とか野鳥の鳴き声とかも生命感に満ちている。
一方で神霊とか先祖が一生懸命働いていることにたいして、
それを無化するような精神は核家族社会特有の共同幻想。
それでは一体どういうのが正しいかなんて、得難いことになるだろう。
いにしえがわかってないとこのさきも自然には生きていけないだろう。

12 名前:ナナシンクロニシティ 2010/02/21 16:20
まず世の中にまかり通る通説を疑い、神を信じよ
理系の通説は一面的で文系の通説はその人個人の主義である

13 名前:ナナシンクロニシティ 2009/04/08 21:08
神の力と聞いて 人は力に限定を設ける
無意識に己の力量に照らして…

そのゆえに他力は自力に応じている
他力で生きようと自力で生きようと
設けられている限界を超えているものを見ない限り
同じである

敵対する一人一人の懐に入って知らしめたい
どれほど畏れ多きものを僕が認知しているのかを

14 名前:リンボ 2006/12/02 01:11
                 ((○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
純粹には「無~」は視ることができない。
語ることもできない。
だから純粹有~と純粹無~は反發しあわない特性になる。
反發するのは不全な囿同士である。反發する質量と反發して返ってくる質量のすべては不全である。また反發には不全、不全には反發が互いに因果關係にあり、その「形質」同士はパズルの組み合わせになる。
「無~論の会」として集まることはできない。
どちらかのみ不全では反發はない。生じると同時に終焉する。今存在する反發は不全同士の因縁でしかない。
返ってくる反發の中で不全を補完するもの以外が要らない。それは無駄なストロークである。ストロークを被れば凹んだままでいる。凹がなんらかの折りに口になったときに發言が生まれるが、その發言は凹みが元に戻る慣性から外に出たものである。その円に戻った状態こそが、生粹の自己である。

15 名前:ナナシンクロニシティ 2011/12/10 00:21
2ちゃん脳
・あらゆる物事に対してまず否定から入る。
・肯定・賛美を認めない。
・否定に特化したダブルスタンダードな性格。
・不確実でも都合の良い周辺情報は信用する。
・10か0かの極端な思考。
・レッテル貼りの多用。
・非寛容で、許容の心がない。
・自分の行動に責任を持たず、他者に自己責任を押しつける。
・自分には自由と権利を、他人には義務と責任を求める。
・煽り荒らしの姿勢が常態化する。

生来、友愛もなく慈悲も思いやりもなく、人を笑いのめすだけであった。
そうして形成されてきた顔が、たとえば「わらいぶくろ」のモチーフになっている。
2ちゃんねるにはわらいぶくろが多い。中身は空っぽ。

16 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 00:20
無~とはほぼ過信である
キリストが火を灯しにくれば当たり前だが明暗は二つに別れる
よく見える人になるか、平常にすらぶつかる者になるか
やがて喋る霊も出てくる
聞かない振りをするのは怖さからではなく覆さない信仰のため

17 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/05 11:38
あらゆるものは否定が可能である
数学的に正しい対象であっても自分が間違えれば否定できる
数学的に白黒がつけられない一般的な事象に於いては
自分の姿さえ見なければいくらでも笑いのめすことができる

18 名前:科学ヒステリー 2011/08/12 16:03
喜びと同様に鬱も作り上げる側面がある。
しかめっ面している。顔筋に力が働いてる。
そのようにして虚無主義は「形成」されてる。

19 名前:ダンテ 『地獄』 - 「地獄前域」 2011/07/21 20:14
そこには何の役にも立たぬ者の群集がくるめきまわる一流れの旗のあとを追いかけ、走っている。永遠に。
一応苦しんではいるらしい。
あの群集はなにかとダンテが聞くと、
ヴィルジリオ「(中略)神に逆らいもせず、さればとて忠順でもなく、ただ傍観していた天使たちの一隊もかれらに混じっている※もろもろの天はかれらを追放する。天の美しさがそこなわれないために。そして底深い地獄もかれらを受け入れぬ。邪悪の輩と比べてかれらが自負しないために。」
※聖書に直接の記載は無いが、天使の間で神への反乱がおこったとき、拱手傍観する天使もあったとの伝承は、古くから行われていた。(集英社文庫ヘリテージシリーズ 寿岳文章 翻訳)

20 名前:ナナシンクロニシティ 2011/12/10 00:18
科学信者は宗教を否定する。宇宙のサイズ:脳みそのサイズに相応しい手短な発想で。彼らは科学を「権威」で信じ切っているのに。
大切なのは対象を対象相応に見ることができるか否か。
春日がなぜ世界遺産なのか。鹿や原生林との共生や大社の式年造替や放生会を無価値と見るか。
文化人類学的な理解力が問われる。
宗教は神と精神と善悪に関わる。己の精~を壊疽らせてまで難ずることが多々あり。

21 名前:防衞機制:無化 2011/08/12 16:05
宇宙に座標軸などはない
座標軸となるのはただ知識である
科学の威を剥げばただのヒト

22 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:18
 
[.mov]  怖い...

[.mov]  洗脳される...

23 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:18
鳴き声に洗脳される

24 名前:「無洗脳」はナイノダ 2008/03/23 01:11
日本には~社があるのに一般の思いつく「宗教」とは危険なものばかり。その時点で既に被洗脳は始まっている(悪魔によって)。スピリチュアルという言葉で実際にあるかのごとく番組を制作して放送したり記事にするマスコミによって、実際にはないかのごとく逆洗脳されてる。
それ(循環論法)に無自覚なので、ここでの議論は洗脳論になる。

25 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:21
霊性感応あるいは生物ソナーといふのは¨音¨とか¨温度¨と同じく内部ではなく¨外部¨を満たす媒質の相互作用あるいは無相互作用によるところの現象であるゆえに、妄想で片付けるには絶對項として¶作用のすべてを内部¶に置かなければならない(循環論法)。記号と数字の中に眞實(現実)があると思うには記号と数字に埋没しなければならない(そこは仮想世界)。それが行き過ぎて因果応報を脳の現象¨phenom¨とし、心情を無視した因果応報により口語が話せなくなってゆく唯脳自閉者をあざ笑うかのように、イデアは存在している。文学的なアウラを彩りながら。

26 名前:ナナシンクロニシティ 2010/09/24 23:23
一神教も、有伺三昧でどこまで偉大なものに通じるか
その人が偉大なほど偉大なものに通じる
バックパッカーをした人には地球の偉大さがわかる
でもどこまでの偉大さがわかるかは素性である

27 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/12 23:57 [URL]
結論を堆積するか
過程の中に生きるか
過程より結論の優れている人は結論を書く
結論の出せない深遠な問題を追う人は過程に生きる
しかし結論には呪詛を浴びせられるが過程は掴まれないという関係を利用し、只の意志薄弱を洗脳されていません根拠にする評者も多い。意思決定の弱さから出てくるのは結論化した過程のみ。それ自体は良いが、他人の結論こそ我が意志力という反骨精~は、結論のすべては洗腦になるという仕組みに嵌っている可能性もあり。たいてい、不安定な自我にたいして迎合的であるか、批判的であるかが結論を決定付けている。

28 名前:ナナシンクロニシティ 2010/02/09 20:30
僕はベンジャミンを
"独特な視点"だとは思わない。

29 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:36
防衛機制:補償(代償)
ある事柄に対し劣等感を持っている際、他の事柄で優位に立ってその劣等感を補おうとする事。勉強が苦手な子供が、体育の授業で頑張るなど。
…のような対處機構ができる場合はいいだろうが、それからも逃げようとする塲合、人はどんな思想になっていくのだろうか。その暗闇(灰色;ねずみ色)の世界に埋没した思想について。価値を、彩を、意味のあることとされるものを、どのような方式で無化するのだろう。

30 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/05 14:37

都合の悪い論理がある
反対意見で無に歸するか

無に歸した


ライプニッツが現れた
モナドを無に歸するか

無に歸した


音樂により心を潤わせられた
音の竝による洗脳として無に歸するか
無に歸された


花咲いて鳥はさえずる
花は埖に、鳥は襍音として無に歸すか
無に歸された


詩才はインスピによるものの可能性が出てきた
捏慥として無に歸するか
無に歸された


無に歸された

31 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 19:11 [URL]
 

   ああ
  あぁぁあ
ああぁぁああ
ああぁぁああ
ああぁぁああ
ああぁぁああ
ああぁぁああ      ( ´∀`) 無のなかに吸い込まれるぅ
ああぁぁああ    〜 つつ
  あぁぁあ
   ああ

32 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/05 14:41
鹿の帰るところは原野の奥であり、鳥の帰るところは虚空であり、分別ある人々の帰するところは安らぎ(ニルヴァーナ)である。
存在は自分にふさわしく心地よいところを選ぶ。銭湯である程度満足できるが、温泉は名泉の秘湯であれば、外界とのギャップにより「こんなよい場所を知っている」ことになる。気持ちのよい場所を知らなければ、毒の中にも入りうる。もがけどもがけど報われず。

33 名前:Hegel V人倫V 2006/11/13 00:06
一般には人間が社会生活を営む共同体やその秩序・習俗を意味するが、ヘーゲルによれば自由な精~が客観的な社会制度や組織となって具体化されたものを指す。
人倫は人間の社会関係の抽象的な形式である客観的な<法>と、個人の主観的な<道徳>とを統一したもので、精~の自由の理念が具体的な社会生活において生き生きと実現されたものである。
人倫は家族・市民社会・国家の三段階をへて発展する。

34 名前:Hegel V家族V 2006/11/13 00:06
人倫の出発点で、愛情によって結ばれた共同体である。

35 名前:Hegel V市民社会V 2006/11/13 00:06
家族から独立して自由で平等になった個人が、自己の欲望を満たすために利益を追求する経済社会。各自が欲求を満たすために経済活動を行うので欲望の体系と呼ばれる。
個人は物質的・経済的に相互に依存しながらも、自己の利益を獲得するために競争してたがいの利害が対立するので、家族の結びつきが失われた<人倫の喪失>の状態におちいる。

36 名前:Hegel V国家V 2006/11/13 00:07
市民社会で失われた統一を回復する、人倫の完成の場。
家族の共同性と、市民社会の個人の独立を止揚(アウフヘーベン)した共同体で、共同体の普遍性と個人の個別性がともに保たれた人倫の最高の完成形態である。
個人は国家の法や制度を自己自身の根拠(実体)である理性の表現と見て、これに従うことによって国家の成員として自由で理性的な自己を実現する。(山川出版『倫理用語集』)

37 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 22:05
人間は二十歳までに人生の八割を過ごす

38 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/05 14:45
愛情はまず家の中にある。
無縁仏が頼ってくることは稀なように
無関係の中にはあまりない。
母体の中に注がれたものを膨らませれば
近鄰に、地域に、生物全体に膨らむ。
注がれてなければ神が注いでくれる。

39 名前:エミール 2006/11/11 22:26
わたしたちの肉体的な必要が感じられなくなれば、わたしたちの無分別な欲望が感じられなくなれば、わたしたちの情念や罪もまたなくなるはずだ。純粹な精~にどんな不正を行なうことができよう。なにも必要としないのに、どうして邪悪になる必要があるのか。わたしたちの粗雜な感覺を失って、あらゆる幸福を存在の観照のうちにみだすなら、精~はよいことしか欲することができなくなるだろう。そして、邪悪ではなくなった者が永久にみじめな者でありえようか。これがわたしの信じたいと思っていることだが、こういうことについてわたしははっきりした考えをもちたいなどとは思っていない。ああ、寛大で恵みぶかい存在者よ、おんみがどんなことを命令していようとも、わたしはそのまえにひざまずく。おんみは悪人を永久に罰するというなら、わたしはおんみの正義のまえにわたしの無力な論理を捨てる。しかし、そういう不幸な人々の悔恨は時とともに消えていくものであるなら、かれらの苦しみには終わりがあるとするなら、いつかはわたしたちのすべてに同じ安らかな心があたえられることになるなら、わたしはおんみを賞め称える。悪人はわたしの兄弟ではないか。いくたびわたしはかれと同じような者になろうとしたことだろう。ねがわくは、かれが、みじめな境涯から解放され、それについてまわる邪悪な心も失うことになってもらいたい。わたしと同じように幸福になってもらいたい。かれの幸福は、わたしに嫉妬を感じさせるどころか、わたしの幸福を大きくするばかりだ。J.J.Rousseau

40 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/11 22:26
虐待の時代、エミールはどこまで理解されうるだろう

41 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/26 20:25
人は、人により形成される。或る人が或る希望をもったとする。それを即座に損なわずにはおれない気分になるのは私怨でなければ同類相憐れむに同じ。希望は表に出すと歡びの表現になる。それを即座に冒涜すると、その人の希望は死ぬ。そして表には出せなくなる。腐心する。虚無になる。君と同じ病氣になる。
すると他に希望に溢れた者を見ると、その喜ぶ姿には洗腦をみる。即座に毀損し、冒涜すれば '仲間' は増える。虐待するミュースは連鎖しているものの氷山の一角である。

42 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 00:25
暴力が障害物を速やかに一掃してしまうことはある。しかし、暴力そのものが創造的であると証明されたことは一度もない。"Einstein"

43 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 22:41
内的に子供ゆえ、子供を同簇嫌悪する大人がいる
大人はその大人を異質排除する

44 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 22:41
大人は子供のミュトスの中にロゴス(的真理)を見る
生命的に横溢しているもの(エランヴィタール)を潰す必要はない

45 名前:ドラゴンクエストII 惡靈の~々 2006/11/19 20:25
竜王を倒したロトの勇者は、ローラ姫と結婚し、ローレシアという国をつくり、3人の子供をもうけました。子供達は、それぞれの国で幸せに暮らしていましたが、最近になり、この国のどこかに邪悪な宗教が生まれ、国を滅ぼそうとしていました。さあ、あなたはローレシアの王子となって、サマルトリアの王子とムーンブルクの王女を捜して、新たな冒険の旅に出発!ドラゴンクエストIIの世界はきっとあなたを魅了することでしょう。

これは独善なんだろうか?敵とか決めつけて倒しまくる。なるほど攻撃性を育んでいる。

46 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 01:33 [URL]
所詮~仏も宗教の商品。その商品化も、彼らのいう宗教患者の「神」と同じようなコンバートをする。たしかにこの万物商品化思考があれば、創慥力や文化の恐怖を目の当たりにすることは避けられる。すべては我が手下にある。所詮なんらかの商品として。
しかしそうして無化しているものをどんどん元を辿っていけばどこにある何に逢着するのだろう。

47 名前:ヘーゲル『哲學論』 2006/11/13 21:56
精~の哲學は三つの区分をもつ。その考察の対象は、(1)概念の中にある精~、すなわち心理學、(2)精~の實現、(3)藝術、宗教、哲學における精~の完成である

何事も一番はよいことだと思う

48 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:56
~を「概念」という時点で逆に人は形而上の弱さを物語る
物語れない者ばかり

49 名前:ラ・ロシュフコー [箴言番号302] 2011/06/17 20:15
「われわれにも、断じて見せかけに騙されない場合はある。だが、それは、利害の小さいときだけである。」
ラ・ロシュフコーはさすがである。笑える。
我々人間は弱いので、逼迫してくると、騙されてしまう。それはしょうがない。カルト宗教は逼迫させることを常套手段にしている。神の御名を騙ることが許されない。しかも信者は信じている。

また、今の世間はそういう馬鹿にありふれているせいか、騙されないことを優れた特質だとする短絡思考にあふれている。でも成長とは騙されないようになることではない。その反対だ。(騙せるようになるということではない。)
たしかに騙されるのは、人によっては恥になることかもしれない。でも20代までは全てを受け入れる覚悟でもって生きられなければ、備えられた思想に制限のある人間になるだろう。
結局卑怯な者は哲学者として常に未熟。

50 名前:『方法序説』 2006/11/16 21:59
頽廃した時代には、人は自分の信じていることを言わなくなる。
それどころか、自分が何を信じているのかがわからなくなっている。- Descartes

51 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 19:12 [URL]
人が少しばかり物事をよく知っていると、彼は「知っていることを噺すばかりで、実は知らないのだ」などというレッテル貼りを利用する人が多い。しかしソクラテスかぶれにも執拗な疑問を投げかけるが、現實、問答になっていない。互いの哲学を飛翔させるのではなく、五十歩百歩、下手すると低振幅な考えにて退行させる。たいてい相手の才覺を潰すこと、自分のプライドを満たすことが目的に転じている。その時点で、内的にはインフェリオリティを認めていることになるのに。そこに生まれる構造は、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覺している…わけではなく、「自分も知らない、ゆえに相手も知らない」にすり替えられた代物である。

52 名前:ナナシンクロニシティ 2007/02/19 21:53
無知の知とは、デルフォイの~託「ソクラテスより知恵のある者はいない」の意味を解こうとするソクラテスが賢者に会いに行き、そこで賢者だと見なされている人の多くが「知らないのに何かを知っているかのように思い込んでいる」ことに気づいたのを起点としている。
それはキャパシティ内の視点を問題視している。

<> <>をその人の両眼、―――を知っているといえる範囲、├―――――┤を知的に知ることのできる限界だとすると、

多くの賢者: ├――<>――――――<>――┤

ソクラテス:├―――<>―――――<>―――┤

という調子になる。多くの賢者は曖昧な―――をも知っていることにされている。多くの賢者も自分にはわからないと諦觀する際には一時は├――――<>――<>――――┤このようにもなる。でも直截には真理を觀想する行爲に結びつかないので、普通はいずれ元の位置に戻る。―――の範囲は、わからないものが何かが見えている間にしか拡がらない。自分がわかっていないということに気づけなければ、現象はわかりえない。視点と論点もなるべく相応しい位置にもっていくよう、魂の配慮が必要。

53 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 21:49
誰かの創造力を野次る際によく言われる「オリジナルと考えてるのが、ある意味一番危険だとは思いますね」…の何が危険なのかは知らないが、所詮は誰かの模倣だと定義するのなら、創造の起源はどこにあるのか。自然に学ぶのだろうか、という點に行き着く。インスピレーションをかむる、それはインスピレーションの模倣だというのであれば、インスピレーションの起源は一体?

54 名前:寄生虫ダラダラ 2006/11/16 22:48
学校は、徹底的な洗脳の場ですから。
なぜ、30人学級を実現しないか?
いじめられる人間がいなくなり、脱落する人間がいなくなり、官僚のプライドが育成できなくなるから。いわば、教師は、官僚になれなかったゴミ。官僚の子供はそもそも公立の学校には入れませんし、彼らの作ったシステムでは学んでません。
オモロイです。

結構、この洗脳のシステムは狡猾で根深い。

55 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:50 [URL]
官僚より埖同然である教師のその平均値よりも、更にゴミなのに、全ての人民より上に立ってしまつた…
なるほどぺすとと化合す

56 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:02
実際上にいる人は卑屈ではない。大学教師のいる界隈に入れば少しは変わることはある。
しかし英語を話すものは英語に洗腦されている。哲学を語るものは哲学に洗腦されている。流暢に語るものは皆、被洗腦に気づいていないのである。
その論理が自分への呪詛となって帰ってくると、やはり防衛機制:無化になる

57 名前:ナナシンクロニシティ 2007/04/21 00:20
万民被洗腦論の特徴としては、たとえば体制や権力という幻想を信じ込み、自意識過剰にもそう信じ込む自分を自覚していますと言うわりに手放そうとはせず、万民被洗腦論を同時に熱心に吹き込む活動をするというもの。それはその磁塲にリンクした不淨の叫びであると同時に自分の定めと同じ世界観・宗教観を持たせるためのものでもある。(いわばこれもまた宗教でもある)。致命的には、概してB級以上になれないので、B級しか集まらない現状。そしてエリートへのルサンチ(集合無意識)は戰時的に高揚する。それに無自覚な點が孤独主義の限界というところか。
被洗腦原理主義に於いては、テレビも読書も動植物も、"共感する"という時点で被洗腦である。ゆえに虚無主義に縛られるわけであるが、縛られるゆえにお前もそれをジカクしろとなるわけである。これも孤独主義の逢着する所である。人に語らせることができない。自分をネタにすることもできない。ゆえに思想の結晶化同士で衝突する。共感というのは或る程度シンクロニシティなのに…。それは電氣風呂に入ってみればわかる。どうせならA級の磁場がいいが。
原理主義は殻から出ることを恐れている。親鳥が自然に風呂に入りたくなるような誘導をできなかったのだろうか。もちろん殻から出れば毒も盛られるわけではあるが。原理の殻は既に割れてはいるものの、飛び立たず、外をしかじか眺めている。外の空気は吸えるようで、イエローの目が輝いているが、殻は少し腐っていてマーブル調。殻の隙間は糸を引いている。原理主義とは全瘢に、内の死臭にやられるほうを選ぶかのようでもある。些細な定義にまでこだわるようになると、心理学者には~經症だと定義されてしまいます。

58 名前:ナナシンクロニシティ 2011/07/09 16:11
血気が多いというのは大体が機能障害。血気の多さを誇る人もいるが、それは悪性の場合もある。多く社会的悪なので障害だと定義されているわけではない。大抵自覚があるものである。現に心は自然にすがすがしい状態でない。
血気の荒い人は負の側面を指摘されても怒りがちである。相手の方が患者で病人だと"痛感"しさえすればいいようで自らのことは外から客観できてない。異性の問題も嫉妬が嫉妬で終えられなければ異様な怒りになっている。そうなると嫉妬ではなく怒りである。
貴様らは何もかも自己矛盾していると車のビーム光線を当てて煽ってくる人がいるが、それもまた自己矛盾として十分に成立してはいないのだろうか。議論を持ちかける者は常に有利なスタンスに身を置いている。宗教を批判して宗教に批判されて「宗教はカルトである」になるのなら反核ファシズムだろう。生きている何もかもを否定して生きているということ自体が自己矛盾の産物になるという循環。何ゆえそこまで怒るのかはわからないが、追って追われて三千里、やっと世界が晴れてきました。飽きることによって。

59 名前:ナナシンクロニシティ 2011/07/09 15:54
離婚問題に困っている夫、子供はおとなしく、怒り方がどこか違う妻。
子供は母親の顔を見て行動してる。
それを言うと母親は「私には私の人生がある!」という。

60 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 22:43 [URL]
本を一冊書かせようとするほどに議論にのめり込む人がいる。それも二年もの間。親でも教師でもない他人に何をどこまで求めているのだろう。實証主義は現代の病ではあるが、根拠ばかりを執拗に追求する點、発育過程にも問題がありそうだ。しかもその論理的根拠を求める相手が子どもだと、一層異常なところを感じる。

61 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:08 [URL]
物事は自分で調べるほうが7〜10倍速い(体感)。無駄の多い一年が7〜10年になる。ネットより書物のほうが内容はユキビタスになる。深く調べて、推敲がなされている。でもあえて掲示板を撰び見境なく喚くのは、行動療法というものだろうか。「不信」「論爭好き」「頑固」「自負心」は、社会の進歩に迷惑になっている。これは異常になると、妄想性人格の猜疑心と敏感性のあらわれと定義される。「反論」ではなく実は「反感」であることを自覚しなければ治らない。

62 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 18:19 [URL]
すべては思い込みだという論理…その実体の希薄さに氤づかず依然論理的でないとの指摘が自己に因果してしがらみとなりその嵩は増してゆくと、解けないしがらみに縛られて、最終的には感情が素直な形で出されるのは酒の修羅塲。刺さなければ上々の出来という怨念の世界。ひゅ〜どろどろ

63 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 00:24
相手も同じ腹臧を抱えている。反發せずに寄せあうのは同じ成分であるからに。
腹蔵が打算のムカデめいたものなら自分にもくっついてくる。刺されるかもしれない
反対に腹蔵がシリコン質なら引き寄せあっても痛くない。好感触。~仏のアウラなら淨化されるほどである
高い人間的レベルの亊柄になると半断食ぐらいしなければわからないかもしれない
もとからある腹臧の毒が勝り、その体力低下時に全身を巡るかもしれないが、たいていは毒のほうが消化される
すがすがしい状態になってから見渡すと、もっとよく見える。

64 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 20:34 [URL]
窓の外で英語の会話が聞こえる
入ってくる音を窓からの音だと知りつつも、人間の耳は会話するベンチの位置を推測することができる。一瞬部屋の前で話しているように聞こえたが、よく凝らすと窓を出て、右折した2メートル先に至る。本当は3メートル先だったけど(五感の洞察力が及んでないのかな)、そこが会話の場所だ。そのようにして人は噂や知識の出場所を吟味している。嘘や誇張をする人間はやがて疎んじられるようになる。スキャンダルはボケた人々の間にしか流行らない。(情報マヒ)

65 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 20:26
人生は取り戻せない
気づいたころにはもう遅い中年達
何に気づくかって…?
その刺青の趣味が悪かったということに

66 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 23:40
何事も、初めの動機に問題のあった人は、終わりには成果主義になっている。
また、その終わりというのが近い。
生涯をかけて爲そうとしているものは、爲すということそのものには主眼は置かれていない。

67 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 20:41
建設する思考は實に爲しがたい。機械の覚わらないおばさんは、一体それは実在するのだろうかよくわからん対象のせいにしている。
破壞する思考は簡単だ。自分とその先を見なければよいのだから。反宗教の結束力の強さを見てみよ(別に反宗教が悪いとは言ってない)。何か弁慶的な集団心理で乗せられているよう。ようやくお互いの顔を冷靜に覩られるようになる頃には、ガーゴイルも飛んでる。

68 名前:Camus "L'Etranger" 2006/11/11 18:30
―君はいったい誰が一番好きなんだ、え、謎のような男よ?父親か、母親か、妹か、それとも弟か?
―僕には父も母も妹も弟もいない。
―友達か?
―君は今日の日まで、僕がその意味さえも知らない言葉を使った。
―祖国か?
―それが如何なる緯度のもとに在るのかさえ、僕には明らかでない。
―美人はどうだ?
―そう、もし不死の女神ででもあることなら、悦んで好きになりもしようが。
―金は?
―君が神を嫌うように、僕はそいつが大嫌いだ。
―なんと!いったいそれじゃ何が好きなんだ、不思議な異邦人よ?
―僕の好きなのは雲さ……。流れていく雲……あそこを……あそこを……あの、素晴らしい雲なのさ!

69 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/22 22:39
と言えるのなら防衛規制:無化にはならない

70 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/23 23:01
敬虔なキリスト教徒・仏教徒にたいし、挑発的・中傷的態度が嵩じてやまない中身にはPTSD(PEST)的な問題がある。コンブレックスが罵る衝動を産み出し、コンプレックスに同調する(劣等複合)。キリスト教は赦す。仏教は耐え抜く。それは理想とするところだが、それに彼らが少しでも沿わなければ気に入らない。ほらな。埋め合わせにより安心するというところに根拠がある。「ヒューマニストが偽善者であることは社会の常識であるのだから周りのみんなの前で宣言してごらんよ。きっと賛同してくるから。」
しかしよくいるヤクザではなく相手がキリスト教徒・仏教徒であるところに初めの問題が潜んでいることには一人っ子はなかなか気付けない物事で、…彼(PEST)の部活はなんだったんだろう。そして何部への恨みが心理学的にいう結晶化して体育会系は「腦みそまで筋肉」になるのだろう。
原点まで輪廻を辿る。いじめを辿ればいじめがあり、その先にはまたいじめがあり、弱肉強食がある。しかし弱いはずの、批判すれば確実に揚げ足取りのできる相手が、真面目ぶって聖人ぶった因果応報ともいわんばかりに嵩じてきたコンプレックスのその相手が、それはあってはならないことなのだが、自分より実際に強く優れているのだから我慢できない。
腦は楽な方向を撰ぶ習慣により認知症に向かう。楽な方向を撰ぶ反動形成は生きるのも大変な状態の人には許される。キリスト教徒・仏教徒は強くなり毀損趣味者は弱くなる。いずれ病氣になるが、自分自身の当初の感情を都合よく超えるところに、あえて強気発言などする必要もない一瘢性の中には溶け込めなくなる元素がある。無内容どころか現実にないものを作り上げ、永遠と見せしめに語っているところにその根拠がある。

71 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/14 22:44
神前にて人は何を思い浮かべるかな
宗教は自慰行爲だとのめす人は一歩構えるだろう
全然どうでもよいことを自問自答して終わるだろう
その姿が目に見える人がたまにいる

72 名前:Rimbaud 2006/12/14 22:47
海景

銀と銅の車が――

鋼と銀の船首が――

泡をたたき――

茨のねっこを掘り起こす。

荒野の潮流と、

引潮の広大なわたちは、

円を描いて流れ去る、東のほうへ、

森の列柱の方へ、――

波止場の幹材の方へ、

突堤の角は光の渦巻きに衝突する。

73 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/14 22:50
ランボーが海を歌うことは許されていても
神を謳えば破壞される
神を謳うやつに破壞されたやつに

74 名前:Verlaineの海景 2006/12/14 22:49
 
鳴り響く 大海原は
喪服を着た月の
眼の下にをののき、
なほも をののく

その時に 稲光が
凶暴に また気味悪く
薄墨色の天空を 長く
光った稲妻型に 引き裂いて、

またその時 痙攣して
跳躍するなにかが
暗礁に沿うて 次々と
行き、来り、光り、轟き、

またその時 大暴風の
旋回低迷している空に
恐ろしく物凄まじく
怒号する 雷鳴。

75 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 17:03 [URL]
独我論は楽になれるが哲學的ゾンビな人生にもなる
その致命的な要素は、それを強要したあとに増す
哲學の喜びは探求のうちにしかない
揉み手の手段にしたら自分自身が崩壞してゆく

76 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 23:56
自分の職務を全うしている人をはたから見れば、
その人は無自覺のうちにいきているということになるだろう
他人ごとに口を挟むのは自分の職務を全うしていない人になる
音樂で考えると
人の音樂にとやかく言えば、自分の音樂は薄まる
音樂の感動を人に訴えれば、その音樂は醒める
音樂は一緒に歌えば、感動がじわりじわりと増してくる
物理学は記号の世界だが實質的な態度があるからいい
心理学は無機質な統計の裏には人間への興味があるからいい
詩編は詠っているからいい
般若心経はぎやーていぎやーていだからいい
仕亊は自分のためが社会的にもなっているからいい
それが人間の合目的的行動になる。
一人の音樂では特に考察する必要はない。複數の人間とのかかわりになると、特に目に見えないものについては、確認しあうこともお互い意味のあることになる。また反対に、毀損することは最大幸福に於いてとりわけ大きな損害となろう。

77 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 04:08
人を傷つけるのは簡単だ。でも、傷つけられたものが人を愛すことは難しい。
愛されることや哲学的な補修で傷ついたものは癒され、人を傷つけなくなる。
このように最大幸福の値は、人々の意識的な努力により維持されていることもまた、真實なのである。
(それを宗教の洗腦として害毒化する短絡思考は社会の±に於いてはマイナスとされるところであり、人々の宗教性をあくどく利用する団体を牽制する万策もまた、規定されるべきところである。前者は個人の人格の問題であり、認知療法の範疇となるだろう。あくどい利用とは、社会全体のためにではなく、利己的な運営のために人々の宗教心を利用する等のシステムに見られる。ゆえに健康増進法のような、法の倫理による牽制が必要になる。人を愛し人間に興味を持ち、その人の持っているもの、今日のファッション、その人のいい顔、亊細かく見ることは楽しいことであり、また理解してもらえる相手にとっても喜ばしいことである。しかし、あまりに人の秘密にまで介入させるような、脱会できない雰囲気をつくってるような、愛はお金では買えないからネズミ講ではないのよでも信者を繁殖させていくような、そんなシステムになると、新たに負の反動を産み出すことにもなる。あるキリスト教系団体では妄想性人格や依存性人格を作為的に培養するシステムに用いられている。自己保存が開かれた魂より優先されている。またジンテーゼが普遍性にまでは及ばず他宗教を攻撃するものも多い。その根本的な欠陥のある教義ゆえに、他宗教がストレスを被ってしまう。これらは功利主義の觀点においてマイナスと評価できる。)

78 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/11 01:02
カルトはウイルスと同じく、制裁が入ると余計に惡性化する。
予防接種としての対策がベターになる。
耐性のない人間は、批判ではなく処方箋を持っておく。

79 名前:結晶化と液化と液晶化 2006/11/17 00:12
概念が物理化すればとりまくものとの相容れなさは増してゆく。
水はうまく解け合っていたのに氷になったとたんに衝突しだす。
概念は固体ではない。
デジタル機噐でも、量子化された数列が伝送されるのではなく、
光とか自由電子が送られる。
唯脳においては概念も腦の中にあるものだからすべて固体となるのだが、
霊性化してしかるべき姿に戻れば附近にほどよく諧和してゆく。

80 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 22:00
青木さやかと安住アナのやりあいは面白かった。飛翔のない諧謔で思考停止まで詰るネット弁慶たちと何が違うかというと、…何だろう。顔の囿无だけかもしれない。

81 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:37
聖霊大王と名乘る人物がいるが、彼はわけがわからん。
禅らしいが、信じる系を批判まくって神など信じてないと言う割に自分は仏に三年前から指導を受けていてご隠居も日曜日にたたきのめしたから月曜日にキララと反撃自演しているらしい
禅とはいえあそこまでマイペースなのはすごいな
一時的なものではなく天然物だった

82 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 23:42 [URL]
ご隠居の中に戰時の陸軍中将を見るところがいい。終戰の玉音放送を止めさせようとする一部の軍人の自己崩壞を、傑作な芸術とするところにつながる感性。原爆を投下したほうについてはなにもいわず、落としてくれてありがとうぐらいに思ってそう。
思えばこの国は鎖国解禁が最初の誤りだったのかもしれない。半鎖国でよかった。インドとかラオス(今は共産国)ならともかく中国とか韓国とか相容れないし。ましてや三国同盟を結んだ相手が惡魔だったなんて。(本質的には共産国に対抗するためのものであったが、靈感あれば逆卍の旗が靡く写真から様々な異様な気配を感じ取れる。あれは~と惡魔が交わした協定だったのだろうか。時間の變遷を含めた全体ではアプラクサス状になる)。インドのヒンズー寺もどんどん観光地化ビジネス化して霊性は落ちてきているらしい。むこうではイスラム教にせよジャイナ教にせよシク教にせよ、最高に霊性の高いところは異教徒を入れない。それは異教徒を入れないから霊性が高いと言うのでなく、結果そのようになっているという現象論なのだが、理解不能なことだろうか?破壞や衰えは一瞬だが建設には創造のエネルギーが要る。歴史には年數が必要で、自然界はいにしえのうちに出来上がっている。天皇制は護るもので、侵略するものではなかった。古神道の潮流で~国を標榜するカルトも生まれファシズムのウイルスが流れ込んでまがつひも培養された。とはいえ、出口王任三朗は悪くないし天皇制自体は類を見ないもの。目の敵にするものに偏りがある。

83 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 02:01
万民被洗腦論とは、空気を吸いながらアルゴンに汚染されてるとか云ってるようなもの。

84 名前:ナナシンクロニシティ 2011/04/03 00:01
福島原発で汚染水が海に流れたようだ。
多少被爆してDNAが変型しても
論理的にはそのまんまの型でも生きられるのではないかと考えることもできるわけだけど
現象を見る限りでは何故か,自然の姿を逸脱したら駄目なようだ。
元の形とは 一体なんであったのか、瞑想する必要がある。

85 名前:ナナシンクロニシティ 2011/04/03 00:02
"自然"とは一体どんなであったのか。
小中学生のあの頃の自分にも照らし合わせながら
ゆっくり呼吸しながら瞑想する。

86 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 23:03
聖と邪は協力こそできるが水と油のように相容れない。聖と邪は互いに共感が及ばざるがゆえ中間子が減ればさらに二極化は進む。
聖なる言葉は邪には効かないが邪が聖を冒涜すれば聖は邪になり中間の役割を担うことにはなる。
でも聖は邪ほどは痾保ではないし聖すぎると毀損にももう揺らがなくなるのでやはり二極化は加速する傾向にある。仏を呼ぶか魔を呼ぶかはその人次第

87 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 00:02
魔境に入りやすい人は魔性を求めている。何事も経驗と研鑽で、意味論のふっかけよりは意味のあるものだが、本質的な力に憧れている人が多い。やがては7つの車輪を乗っ取られる。キリスト「穢れた霊は、人から出て行くと砂漠をうろつき休む場所を探すが、見つからず、それで出てきた我が家に戻ろうと言う。戻ってみると家は掃除されていて整えられていた。そこで出かけていき、自分よりも惡いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで住み着く。そうなるとその人の状態は前よりも悪くなる。」(マタイによる福音書12章43節〜45節)
魔性に憧れ心と体がボロボロになった(と推測される)人がいた。聖を求めつつ、それに向かうある種の度胸がないので魔の権力に憧れ魔女ぶった黒い記述法をする女の根暗なのだが、しかしそれは實物の魔女にたいしては冒涜になる。お前みたいなネスアカに虚悪されると自分が舐められる。キリスト教の誤読と同じ扱いにされる。
人の自殺、とくに陰湿なもの、同簇嫌悪における女よりも、陵辱されるのは男のほうが芸術にはふさわしいらしい。射精してしまうらしい。いや違う絶頂、オルガスムス。なんでもない。気にしなくていい。反面単なる驕に用いる程度の魔性の宗教的神秘をわかってない奴の魔境は冒涜罪にもなるらしい。赤と黒のマーブルにしてやるわ。やがて本物の世界を見せることになるが、魅せられないで終われば実は無理してる端くれの魔道とされる。せいぜいパンピーをビビらせる程度の存在として定着する。被害妄想で当たり霰らすようになったらそういう世評があちらの界隈には既に出来上がっているのかもしれないね。魅入ってしまえばいいのに。その本物という魔女も… 昔すぎて消えかかっていて定かではないが、元を辿れば純粹な赤子だったはず。でもそれはあってはならないことなので、魔女とは虚悪を実に惡と爲しうる才に長けた存在ということにもなる。
話は逸れたが聖/邪どちらにせよ、単なる体面の彩りではその界隈では二流とされる。形而上學的・藝術的理解がなければ一流にはされない。

88 名前:ナナシンクロニシティ 2011/05/30 15:03
洗脳(ある定理への囚われ)があるか否かの見分けかたは、素直か否か。「素直」はマルチに行き来が可能。
本を読むほどに歳を取ってから"おかしい人"と噂されやすいのは、図書館へ行き『こいつはこのことがわかっていない』という衝動により、反復自己洗脳してしまう性質があるからだろう。悟るほどに悟っていない人間がいるだろう。でも本当に悟れる人は、今や"単に運がよかった"とか"縁に恵まれていた"と素直に思っていることだろう。手に取った書物でも同じく。
癖は本人にはわからない。でもより自然な人には癖が少ない。子どもを見ていると、こちらの癖が抜ける感じを抱くだろう。癖のなさは大脳が葉脈的に成育して血行障害なく均質に機能していることと、肉体を均等に動かす日常からきているのだろう。
癖もアウラ化するし、不思議なものはある。知能の高い子が大人になると不思議な雰囲気になりやすいのは、雰囲気する周りの想像がおぼつかないからだろう。純粋さのよく保たれている人のアドリブは、人生経験に比して深くなる。こらえ性のない人・繊細さのない人は、やはりアドリブも安っぽい響きになる。

89 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:39
野心から個性を求める奴は多いが
野心からであっても眞實を追求する者は少ない

90 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 00:23
何事も初めのうちは刺激物を好む。それはいいが「攻撃性」を来すと催奇形性が潜んでいる可能性がある。普通であることには苦しみはない。普通である人々の普通さの当たり前さ加減に乖離感を抱くのもまた輕い人格障害か、天才のどちらかになる。過渡期にいる人は渡った人から見るとどうでもよいことばかりを気にして力説している。あとで必ず恥じることを健常者である側の人は力説することだろう。それに対してまた洗腦とまでのめす乖離症状を引き起こし、人格障害に促された個性に固執すれば自壞する。これもまた、ロックですね

91 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 17:17
身体が統御されない限りは心は統御されない
心が統御されない限りは身体は統御されない

92 名前:"祟り"は本當にあるのか 2006/11/25 19:37
病障のない人は清々しい精~で生きている
病障・カルマの多い人は他者にコンバートする
その方法は欺瞞的になる

93 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 01:11
第一印象を、第二印象、第三印象にすり替えてしまう、その変換方式がおかしな塲合、パーソナリティ障害が疑われ、その変換方式を解体し、形成過程を辿ることとなる
まがつひ培養器をなおび形成器に作り替えるには高度なテクネと本人の自覺が必要になるので一般的には墓の中に封じ込めることとなる

94 名前:反社会性人格障害 2006/11/14 19:15
虐めは連鎖問題で, 家庭にまず問題があります.

虐待を受けた人が愛や世の中を信じられることはありません. カウンセリングのケアにより快復します. 場合によってはパラダイム転換もあるでしょう. 聖人となる場合もあります.
しかし周りが気づかずケアがなかった塲合, よくみられる反社会性人格障害のように, 相手の利権, 感情を無視するなどの反応になって表れます. 心的外傷はその攻撃性行動により外に向かうなどします. 八つ當たりや虐めの対象を見つけます. 残虐な感情, 卑しい感情が伴うほどストロークも深かったということになるでしょう.
反対に内に向かう攻撃性人格ならば, 自傷行為などとなって表れます. サイコパス系は本人に治す意志がないのでカウンセラーは嫌がる傾向にあるようです.
また反社会性人格障害者は普通の人より寿命が短いようです.

95 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 22:21
直情的な人に直情的だといえば、一層直情的になる
直情的でない人に直情的だといえば、直情はおさまる

96 名前:自己愛性人格障害 2006/11/14 19:19
自己愛性人格が被洗腦論に調合されると
イドラと共同幻想にまみれた自己が信じられなくなるというパラドクシカルな現象が起こる
万民被洗脳論に自分自身が被洗腦されているゆえ共感に乏しくなる
'普通の'優しさすら, なぜ大衆はレンビンをかますのか, となる
教科書も洗腦であるがゆえ, 正しいソースを追い求めることとなる
正しいか洗腦しかない
イドラ共同幻想なら物理學すら存在しないのに
原因としては発達障害が考えられる
たとえば拗少期になにかになりきる
それを「それはホントウの自分自身ではナイノヨ…!」などと諭す親はいない
一緒に楽しむ
しかしもし不幸な親に恵まれたらやがて,
なにかになりきる人に, たとえばBBSに中高生などが集まってると, キミタチは現実を見ていない. ギコモナなど, どこにいるのかね(?)
と衝動的に諭すこととなり他にペストする
それは善なる行いと呼べるのだろうか?心から
鏡を覗けば己に問題があるのではないのか(?)
なにかになりきるという行動には、なにか発達的な意味があってそうしている
そこに意味を見いだせない者は親にも心理学者にもなれない
虐待が連鎖するように
カイリ性障害は合併症として表現される.
自己愛性人格が自己愛を無くせば慰撫として自己洗腦を始める.
自己洗腦を始めれば「人が洗腦無自覚な有り得ない偽善的感想を述べている」蟻地獄に嵌る.
常にイガイガしている.
自己愛を取り戻せなくなっている.

97 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 02:22
自己愛性は常に挫かれているものである

98 名前:受動攻撃性人格障害 2006/11/25 19:44 [URL]
知識は0に近いほどノーマルである。頷く、首をふる、手を合わせる。原始的なものほど當然普遍的だ。
オーム、あ・うん、アーメン。Nの音は无いことを示す。Nichts。
しかし基盤が病んでいれば病んだ関連付けを行うようになる。進むにつれてれていく。

99 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 01:57
ヒエラルキーを縁で決める人。たとえばデジカメやパソコンなどで、嫌いな奴が使ってるメーカーは悪い印象になったり人が使ってないマイナー機種だから好きになったりする。或はあゆが好きだからパナを格上げとかスカルプチャーはキムタクの使ってる香水だとか。そんな人は良かれあしかれ宗教的要素が濃い。科学的な視点では物自体しか見えてないのでフジはフジだしニコンはニコンなのだが、アニミズム的傾向の強い人は批評が感情に左右されやすい。逆説的だが宗教的な人は感情に左右されるので宗教より物理学のほうが向いているだろう。感情的になっても記号は左右されないので。また理系出身で意味がわからなくなって自殺するような人は文系のほうが向いているんだろう。

100 名前:ナナシンクロニシティ 2011/07/22 03:37
善悪を細胞で例えるならガン細胞は悪。
(良性のものもあるだろうが)
ガン細胞を引き起こす放射性物質も悪。
(ラジウム温泉など自然界のものはよいと言われるが人工のものになると
自然と呼べるバランスを逸脱してしまうので体に良くない。)

悪貨は良貨を駆逐すると言われるようにガン細胞は暴走したがるので
免疫系が活発に機能していないとその普通じゃないものの増殖に負ける。

年を取るとNK細胞も呆けて普通の細胞まで間違えて殺してしまうらしいけど
ヘルニアになったら骨の飛び出た部分だけ白血球が食べてくれるなど
信じがたいほど細胞とかDNAというのは賢く精緻にできている。
宗教というのは いかにして善性・善玉菌を保とうとするか を志す処にある。
善悪とか美醜というものはDNAのように複雑な問題になるので定義は難しい。
少なくとも科学の範疇ではないな。

101 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:26
被洗脳を押し付け続ける非洗脳も被洗脳原理主義。
システムを解さない者に対して直情的になり
相手が要求通りに原理主義であることを認めなければ
▼視界に居るもの=被洗脳者という結合
その結合が原理になり直情性も相まって加速する原理主義。
次に出てくる言語はその既成被洗脳への既製軽蔑用語。
世界は己の描いたとおりでなければ成り立たない。
譲歩できない頑固さが原理主義の特徴になる。

102 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:28
人は自分と同じ事を言わなければ気に入らない
食い違っていれば気になるというだけのこと
他者解離性が自己に結晶化した時分に於いては
もしも他人が自分よりも高尚なことを述べでもしたら
その瞬間から腹蔵の黒いエキスは|管|を伝って心頭へ

103 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 21:18
あの世でまた会おうね
といえばあの世でもうまく会える、が、当然この世のようには会えない、しかし、そういう意識がないからこそ、崩れずに会えるのである
それを純粹自然な信仰[=交点]だという

104 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:45
物理學では記号を交点とし
西洋哲學では言語を交点とし
芸術ではミュトスを交点とし
宗教ではアウラを交点とする。
結局は信じる處を交点としているので、
すべては循環論法のうえに成り立っているともいえる。
しかしその交点を無くせばリジン化する。

105 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:21
循環論法は搦め手にも使える。
「自覚症状がなくなってきたら末期」

106 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:05
今の自分を批判されれば怒る。でも過去の自分のことならそれほど怒らない。
自我に密着した批判される側面が、早く消えうせればいい。

107 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/22 01:20
自己宗教の枠組みから脱せなければやがてそれに束縛されるのは、たとえば恨みなどの根深い感情は、肯定されやすいのに似ている
自淨のない者を潰すのは簡単なほうだ
潰し合わせればよい
たぶんアプラクサスはそう言う

108 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 00:36
何かを肯定するエネルギーと
何かを否定することを肯定するエネルギーの総量はイコールになるのかな。
だとすると~は惡と必死になって戦っていることになる
聚が友愛を確かめ合う量が、癒着のしつこさを超えれば‥

109 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:07
破壞された遺跡の写真からは怒りが表れてくる
その遺跡を供養するためには、一生を費やすぐらいかかるようだ

110 名前:不瞋恚戒 2006/11/19 21:09
叫ばないことが自殺予防にはよいこと。
過激になると腦はそのストロークに準じて蝕まれていくようで。
逆によい睡眠や忍耐、神仏からのホルミシスをいただけば
腦は平靜さと濃密さと繊細さを取り戻してゆく。

111 名前:Mental disorder 2006/11/26 01:19 [URL]
思想的な食い違いが生じても、普通の人はある程度讓歩することができる。しかし衝動のコントロールがうまくゆかず、相手を損なう(かつ救わせない)ための最も攻撃的な表現を用いてしまうような態度が多く見られるようになると、パーソナリティ障害を疑われる。慢性化すれば意味のない主張にまで内なるテロルが含まれている。
対処療法
高照度光療法で徐々に親和させてゆくことができる。

112 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:37
神はいないを熱烈に信仰するあたりに反動形成を見る。自分と他人を滅ぼす以外の何があるのか。まさに部落的発想。友だちのバスケ部遠征の話を思い出す。
感覺の幅は昔の人のほうが広いということも解せないだろう未発達では。今は脳に''阻害''の多い時代だから仕方ないが。ましてトルエンに蝕まれてしまったものは。

113 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:41
宗教問答を完成していない場合はいずれ宗教問答をするようになる。(ゆえに人は何にも気づいていない無自覺に生きているようにも映るが、それは單に宗教的に覺醒している時間帯のズレである。)
問答は形のないものを対象とするので信頼関係が必要になる。が、人間不信のばあいはその問答はやたらとくどく長くなる傾向がある。わかったから… 。
いつまでも理解されていないつもりでいる疎外の時代。

114 名前:ナナシンクロニСティ 2006/11/21 02:05
バランス感覚という言葉は2003年のBBSによく使っていた。その手のものは美意識に反したので殆ど消したが。なぜ感情的にバランス感覚について連呼していたのかというと普通すらもおかしいものとして観る自己肥大した思想因果のうちにいたからだが反面、結局はバランス感覚とは無我のうちにしかないもの。天秤を根深いマナ識で操作してしまううちは自然ではない。普遍的でない。自然はそのままのうちにある。自然そのままに発育してきたもの、無意識の主観までも投射・反動形成し歪ませているのは人間くらいである。

115 名前:因果応報の無化 2006/12/02 01:45 [URL]
カルマ'は斷片的にしか解釈不可能…塩基配列が読めるレベルの人ならまだしも…
因果応報とは不確定要素の多すぎる天氣予報的な現象のことであるが、因果応報という思想にあたる殆どの者が、天氣予報を信じる馬鹿は報われないといらんお世話を妬いているだけであった。
論理的には二律背反の世界。五体不満足だから前世で悪業があったと断ずるのは短細胞的すぎるしそこまでの一面的断言者(教祖の劣化コピーは除く)はあまり存在しないだろう。カルマは'存在する'。神は'存在しない'。ならわかる。普通は'その'障害の原因には前世のカルマがあると言う。(しかし前世なんて人は軽腰に引合いに出しているけど現実それはダイレクトに読めるものなんだろうか。物語や比喩にマジレスする器についてはそれ以前に頭を疑うが、浮ついてる。現世に継続してきたスペクトラムから推察はできるのかもしれない。でも智性の高い者ほど逆にそういうことには興味ないだろう。)(またネガティヴな人は前世とかカルマについてとやかく否定(肯定)しながら修行を目的する慣性からその生き方を選んだ等という発想が殺されているのは共通してる。)(人間本来の純粹さが損なわれていないこと、足りていること・命の大切さを悟っていることについても触れられてない。)(道を歩くだけでも人々に教訓を與えながら歩いていることについても、感性無化では避けられる。)
人間不信の人は人の実際(実状)より不信を深めるから安心できない。これはかなり直接的な因果応報だろう。
カルマ的な障害があるとしたら…母親が身ごもっている間のカルマ・病障が強ければその催奇形性に比例して予定(通常)より変な子が産まれてくる指数は高まる。だから結婚式は神社がよいというに。身ごもっても感動がなければあれだが神社にいくといいのに。法則は確實なところから攻めるべき。
世界が言い表せないのならカルマにも多種多様な要素がある。憑きものの世界においてはカルマの人はだいたい悪い衝動に負ける。良いものまでかなり悪く毀損するからギャップが深まり悪化する。その信仰を維持しなければならなくなるので深みに嵌る。
一般的な人が幸福な無知のうちにいるように見えるがそれは'衝動'の裏返しでもある。その時期には自分が解放されたくてルサンチに同意をするもので、論理もそのように形成されるものであると思い込んでいる。精~力に乏しい人は自力ではなかなか払拭できない。

116 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 02:21 [URL]
自分は寺で身辺の魔払い(茶葉とあわせて五百円)をしてもらい一瞬で払拭できた。そのときのゴールドのメラメ〜ラはよかった。これが100%プラシーボ・幻覚なら100%自力ということにもなる。もとから霊などないのなら。しかし「口先ではなんとでも言える」が口先ばかりになればその人の本質は発育しなくなるのだから、それはそれで願望に沿ってることになるのではないのだろうか。今の感情的安定不安定が全ての人はそういう先々のバランスまで読めていない。

117 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/14 22:38
世の中に恨みを抱いている人を怒らせるとその怨念は正當化されてしまう
たとえばこの前電車で見掛けた(偶然にしてはちょっと出来すぎているかな)人は優先席で携帯を使う人を見た瞬間に蹴りあげて「それはどれほどの電波をだしとるんだ!!」と次から次へと条件反射に怒り散らしてたけどあれは壮観だった‥いや失礼そのとき因果応報を見ていたわけだが自分自身にはペースメーカーを使う原因はないようで‥‥家内かもしれないが原因はなんなのでしょう‥‥いや物扱いじゃまた社会の冷たさが身に染みる‥「警察呼びますよ!」とキレてた虎柄の女も將来は同じ種簇だけどDVは一生付き合わなければならないもののようで(条件反射がなかなか治せない)社会が悪いと自分も治らないわけなんです。DVの次にペースメーカーがくるのは紛れもなく因果応報だった。

118 名前:Hegel "向自有" 2006/11/22 02:00
變化は或る物がそれ自身に〔それにおいて〕(an ihm)もつところの「否定の否定」(das Negiren des Negativen)であるから、ここに向自有が生ずる。云いかえると、規定性は或る物が自分自身に〔即時的に〕(an sich selbst)もつところの内的差別性として、或る物の區別の相における自分自身への關係にほかならない。すなわち、或る物は向目的にある。

119 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/30 01:14 [URL]
腦は噐質的障害があれば精~病になる
自覚できる問題だから人格障害になる
哲学も宗教も藝術も
欠落に気附けるか否かが道の分かれ目になる

120 名前:杓子定規⊂⊃解離性障害 2006/11/30 01:13
当たり前のものを当たり前と認知できなければ、機能障害となる。宗教はその当たり前の認識から始まる。だから宗教と心理学は結構ストレートにつながっている。哲学の場合は主に懷疑や否定から始まる。もちろん同じ處には行き着くが。独学で間違えると病気になるのもまた共通。器質性障害にはならないので自覚できる筈だけど、誤った信仰・自負があると症状は長引く。

121 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:16
絶対精~や自然精~が得られた上での道徳批判ならわかるが、たいていはご本人が病氣で崩御している
道徳に批判されるから道徳を批判し因果応報に批判されるから因果応報を批判しかえす
そこまで墜ちるほどに運の悪い人なんだろうか

122 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 00:23
「苦」(現代風に言うストレス)の原因は今やパーソナリティ障害によるところが殆ど。
それらを滅諦していくことが要になる。

123 名前:無有恐怖 2006/11/30 00:50 [URL]
布教に弱いのは「ストレスへの弱さ」から来ているのかもしれない。押しつけられることにすごい構えてしまう。無有恐怖の恐れとは、そういう恐れのこと。
そこで不飲酒戒。ストレスを溜めている人が酒を呑むと悪くキマる。そのアルコールは精~を、解放以上に悪化させるから、最大多数にとっても害毒になる。その害毒が放たれて他のものに伝染る。原因は社会のみでない、己のうちにもある。自分さえしっかりしていれば、些細な物亊に拘らず、はっきりと断れるだろう。もちろん正當防衛もあるが、恐れがあるから燬損をする。

124 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:55
思えば酒を勧める行爲も布教活動である。出来上がってる世界だから盲点であった。
さて酒について
みいずや仏の光は遺伝子を構成する素粒子まで浸透し、効き目は三日間にも及ぶが(まがつひならもっと持続する)、アルコールは三時間しか持続しない。しかもシナプスの活動を怠惰にして去っていく。比例して概念や感覺は薄まる。多くの量を飲み続ければ抽象性は簡素な抽象性に、さらには言葉になりさがる。
抽象行動が解せなければBaudelaireの授業にはついていけない。語学力で單位は取れるが。また人とも、言葉の概念の幅が近視眼的に狭ければ、概念と衝突することだろう。それはほんとマジなのかという読解力に悪意のないところが現代人の特徴。
負の衝動は、他人の考えを気にする度数とcapacityの狭さとが乘算されて強まる。他人の考えなど気にならない質の人ならいいが、酒を止められないのなら、お互いに諦めたほうがよい。酒を呑むのなら他人のどうでもよいことを気にしないことだ。

125 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 17:41 [URL]
人が至れる次元は人によりけりになる。しかし自身が至れる次元の10パーセントにも今生涯で至れないだろう。脳細胞においても、アインシュタインで7%の活動だったようだ。統合された7%のみが常時平均賦活されている。普通の人なら夾雑物まみれで3%がよいところだろう。被洗腦論の虚無においては、萎縮すらしているかもしれない。
限られた時間と感受性。どこまで他者のどうでもよいことに構わずに歩いてゆけるか。
ストレスが増えれば食欲がなくなるのに見られるとおり、努力をすること以上に努力が*できることこそ、大切にすべき観点である。
衣食住の不備やら生まれもった素質の限界以外に負の人間關係も目的には大きな弊害になる。低磁場が腦細胞のDNA損傷を誘発したり環境ホルモンや不自然人工物が伝達を阻害するのは諦めるしかない。でも怨念や霊障や煩悩ぐらいは軽くしておいたほうがいい。お互いの進歩のためでもある。

126 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:25
過程の人には過程のものしか見えない。
もちろんすべての人間は発達過程だが、それ以上の亊は語れないし、同じ発達未満と同調する。

127 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:25
世の中には特別に優れている者と特別に劣っている者がいる。共に他者に理解されず共感すらされないので、孤独である。共に、逸脱している。片方は人格障害となり片方は天才・鬼才となる。それを判断するのが漏尽通というもの。自分は孤独なのだと同じ亊を言っている人間などいくらでもいる。

128 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/11/13 21:55
すべてが自分に關係ないものとして生きていれば、主義主観に傾倒せずに済む(一切は空)
怒りに囚われて怒りを繰り返す人は、主義主観(色)に囚われている
現實は不立文字(空)なのに、文字列に条件反射してる
文字でなければ、一体何に反応しているのだろう

129 名前:七シンクロニシティ 2006/12/10 02:16
少しでも陰氣ないざこざが減ればそれだけでも存在意義があること思う。無駄な精神コストを省けるので。旅行や散歩を楽しんで少しでも祓われてこれば、神社に行く足も無駄じゃない。精~科に通う必要のある人が行かないので、代わりに誰かが行くことになるのは心理学の世界でも霊の世界でも変わらないけど、全体を思えばそれも功利的かな。

130 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 02:20 [URL]
あえて呼ぶ「霊氣」というものは、否応なしに浸透してくる。それは「霊性」というものを形成する。栄養と同じく。信じていなければ、浸透はしていても、なんでもないというだけの話。栄養と同じだ。でも「信仰」と「智識」はあったほうが腑に落ちることも多い。亞鉛を取れば性欲が沸いてくるのは確かだ。霊氣の影響を受けた脳の波形が1247α54なら、意識が1247α54に並んだときに'氣'づき、理解したとなる。
波形が維持されてるのは直靈3日、禍津日なら30日。眷属が来ている場合は別で、カルトの眷属は何もしなければ3年はついて来るだろう。そのたびに宗教へのむかつきが嵩じる。その辺すべて経驗してる。普通の仏閣でもこれはあった。何がいるのかは行ってみないとわからない。自分とシンクロニシティしたものが来る。
ほとんどの人が語るだけで語るだけなのは宗教嫌悪者のいうとおり事実で、インターネットの掲示板では潜んでる障害・病理の感じられない宗教人のほうが稀だった。宗教嫌悪者も、その精~基底には結構病理が潜んでいるけれど、精~に深く介入していない分よいのかもしれない。


131 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/11 22:24
仏教に通有するのは固定して囚われない態度。難思議なるものに委ねる。宗教侮蔑用語の「信じる系」は観念派の異議と同じになる。

132 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:33
プルシャ(真我)にはマリファナなしには至れないとも言われている。
一時的に精~が失調したとき、そんな状態を体驗することはあるにはある。
本来は正しい修行によって至る継続的な状態。
本当の自己を見つける努力のたまものである。
我々は細胞で認識し、語っている以上、身体を使った行法は必要になってくる(精~的な行;認知療法も大切だが、身体のほうが正直だ)。生活リズムや栄養のバランスを崩すと、虫の居所が悪くなる。
一酸化炭素を酸素の50倍の勢いで取り込んでしまう赤血球
悪は爲し易い
でも時間と共に血液が淨化してくれば、比例して氛もすがすがしくなる。伝統的な行法を習得すれば、霊性は効率よく向上すると思われる。もしもプルシャに至ることができれば、さぞかし人生樂しいことだろうなぁ。

133 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:34
人によっては「神への祈り」はひとつの修行法にもなる。自己の壁を取り払うための。
信仰に至った人のうちの一部は、散華した經験に基づいている。

134 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:27
名前は顔に統合されているが、文字だけで顔のない交歓では、非我がそこに現れる。
猜疑心を與えられると、自分に向けられる目の数は倍数になる。4つとなり8つとなった。
それがポケモンに囲まれているような非我ならいいけれど。

135 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/22 02:27
「仏教は、先祖供養を商品とした、ネットワークビジネス。払った金額で、位牌供養の格附けが決る。菩提寺にお金を払わないということは、先祖に対して粗相するのと一緒。仏罰が下るということになる。だから、抜けられない。でも、今は家督制度が薄くなり、先祖供養という認識も薄くなってるから、お寺のネットワークビジネスも崩壊の一途を辿ってるのが現実。まあ、霊障とか祟りとかねも多いよね、かれらは。因果応報もそうだわ。」

葬式仏教はダシにしやすい。経濟教の洗腦ではすべてがこの考えになることもたしかだが、その思考方式に合わせたシステムでしか解釈されていないので、ある意味論理的には完全性を帯びているが、空性とはいえない。葬式仏教はマッサージと同じだ。自分でマッサージ・ストレッチするならタダだが他力でやってもらうならそれなりの対価;信仰は必要になる。
仏の力を借りずに成仏相応の安らかさを得ようとするんなら、それなりの阿頼耶識形成は必要になってくる。懺悔も浄信もそれなりの行いもなしに、心澄み渡ることはない。

136 名前:決定係数 [日照時間] 2006/12/04 07:48
                北日本
日照時間と腎不全(男性):0.53:負の相関 (西日本0.25、全国0.01)
日照時間と自殺(男性)  :0.55:負の相関 (西日本0.06、全国0.22)
日照時間と胃癌(男性)  :0.11:負の相関 (西日本0.07、全国0.01)
日照時間と脳梗塞     :0.28:負の相関 (西日本0.24、全国0.07)
日照時間と不慮の事故(男性):0.23:負の相関 (全国0.00)
(この不慮の事故というのが気になる。)

137 名前:ソーラーエネルギー 2006/12/02 00:24
地球上のエネルギー殆どすべてが太陽からきてる
最近太陽を熱利用で工夫するパッシブソーラーシステムも増えてきている
太陽電池は発電をしているのでアクティブソーラーシステムといわれる
ソーラーシステムより葉緑素のほうがあらゆる面でいいけど太陽光を無駄に消費するコンクリートを覆えるところがいい
太陽を無駄にしないことが最も肝要で海の水を砂漠に持ち込むエネルギーを生み出せればそこの土地も動植物に活用できる

138 名前:踊るシヴァ~χ 2011/05/30 14:00
先祖の先祖の先祖のまた先祖を辿れば2の何乗もの血縁としての先祖がいる
内縁としての先祖も含むともう日本全国みんな家族同然
またやDNAの原始まで辿れば世界じゅう皆兄弟ということになる。
その原始を生み出す力の方に、神や阿弥陀仏がいるわけだが
先祖までしか想像力や功徳力が働かないのが通例
そういう理由から先祖供養とか葬式仏教という形となっている
実際、死を目の当たりにしないと、そのような宗教性を、人は得ることはない

139 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/11 18:51
どうせすべてが集団幻想(蔑語の暗喩)のうちにあるのなら、よいイデオロギーをもっていたほうがよい。
すべては妄想なのであるのなら、厭世に感応するより、そこは鈍感でいて人の善意に反応し、自分の感傷に浸っていたほうがよい。

140 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 03:00
邪見を満たす読書をすれば、余計に邪見にまつわられる。よく「一人でいると目が釣りあがる」その例を見かけるが、おそらく邪見ゆえ。いや僕の邪見だろうか?
30代で哲学の発達はほぼ終了する。知識は増え続けるが。卒論の教授もそれまで海外に出かけたりして勉強をしていたのだっけ。だからあんなに尊敬できる人になった。東大の花形の学科の卒業生だし、もともとの素質もあるのだろうけれど、行動力が伴ってる。現実の世界に触れてプレジオジテされている人は現実がブレないから読書をしてもあまり邪見には纏わられない。
高校の英語の先生も何かに小説を投稿したようで、入撰したら一緒に焼肉たべに行きましょう。と既に入撰した設定の笑いをとっていた。生徒に聞かれると授業中その小説の内容を揚々と解説してたりした。授業がつぶれるのでわざと聞いたり。でも落撰して、なんか撰考委員に文句言ってたな。ああいう人たちは***だから学歴で決めてるみたいな。それには少し落胆した。まぁ小説なんて箱庭で書けるもんじゃない。努力才能はもとより、実体験が必要。懊悩が必要だった。恵まれている人には浅い文章しか書けない。

141 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 23:29
怒りにまかせて書けば、その怒りは肥大する。肥大化すれば腐る。
今日一日の感傷を日記に書けば、その感傷はあとあとまで残る。
知識・分析力のある人は説明の時にこそ輝く。詩作で飛翔する'経驗の人'とは反対になる。人間は近視眼的なもので、たいがい文・武どちらかに傾倒しているものだが、双方、ボールペンで書いた日記がそれより飛翔して輝いている状態が理想になる。

142 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 22:31
だれしも自分の思想を真實だと述べている。故に自分の経驗するところでないものは妄想だとばかり言っている。止揚のなされていない論理はただ浅いだけであり、それもまた真實かな。
ただ森羅万象、よくわからないことばかりだが、「世の中わからないことばかりである」と達観をすればよいというものでもない。それは無関心と同じ意味になる。
自分を惹きつける疑問が一つでもあれば、その人は生きていける。

143 名前:本を読む動機 2006/11/18 23:38
あまたある名著も、読み手の次元の低い動機によって、次元の高さがスポイルされてしまう。
見識の証明ために読めば、その人は聞き手を求めなければならなくなる。せっかく得た知識も、話した瞬間に放たれる。
議論の補強のために読めば、その人の自己保身の道具に成り下がってしまう。
社会の逼迫から読めば、その人は余計な知識で大切な想い出を追い出してしまう。
本は、雜念なく、素直に、あくまで好竒心に任せて読むべきだ。そうすれば話振りは分裂性的な違和感なく本当の躍動に満ちていて、肢体不安定な揚げ足取りにいびつに同調する必要もなく、自分の知的な喜びだけは美しい結晶としていつまでも残ってる。

144 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:13
人が神について考えていたら即座にそれを崩壞せねばならないこの精神。ロートレアモンのほうが僕よりはわかっているが、彼は24で原因不明の死を遂げているので、彼に聞いてもその医學はわからないことだろう。

145 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 22:00
人が「最も●●なのは、○○だ」と結論を下すとき、本當にそれが「最も」なのかと疑う。一時的な感情に任せられていないのかと。根源的に変われないと思っている者は変わらない。たいていの人間の主觀は、自己に決めつけられすぎている。

146 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:56
神社やお寺や霊氣の強いところへ行き、3日か半年間ほど、そこの霊性の蔭翳で心情やら嗜好やら支持やら思想・美意識とやらに、變化というか慣性というか性質彩われていることに気付けるのなら、上質な肉をしているといえる。変な思想を持った宗教施設に行ったことにより、そのとおり過激な思想に彩られていることに気付けるほど形而上に客觀性をもった人は少ない。そのときではなくあとからでも気がつくのなら、感覺のよいほうだろう。縁か偶然かは知らないが、名前も忘れたが、あるお寺か観光地には強欲な感じの人間が集まってくるともいう。

147 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:36
佛像にはしたたかな表情があり見る人の行いや心がけに応じて表情が変わる
そういう處に
無意識は反映され
靈は読む

148 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 19:54
人格というのは複合的な要素の集約したもの
水があれば微生物が発生するように
生物は生きることのできる環境では
究極に完成された形へと向かってゆく
もし地球以外の土壌でも進化して人型になるのなら
それは物理的に必然的に生命はそうなるものだと考えるのが自然
宇宙が元々そういうものだと考えるのが自然になる

149 名前:中沢 新一 『精霊の王』 2006/11/19 20:26 [URL]
「蹴鞠が現世によい影響をもたらすとは、そのとおりであろう。
しかしどうして死後のことにまで影響を与えることができるのかね。」と成通卿。
すると別の鞠の精がまじめな顏をして応える。
「人の心はたえず思い乱れ、一日のうちに心に浮かぶ思いのほとんどが、罪の種子となっています。しかし、鞠を好む人は、いったん庭に出ますと、それからあとはただ鞠のことの他には何も余計なことを思わなくなります。そうなれば自然と心の罪はなくなっていき、輪廻転生にもよい影響をもたらす縁が生まれることとなるのです。蹴鞠をすれば功徳を積むことになるのですから、ますますこの道にお励みなされますよう。蹴鞠をなされるときには、私たちの名前を呼んでください。そうすれば、木を伝ってすぐに参上します。かならずご奉仕申し上げましょう。ただしまわりに懸木のない場所でおこなわれる庭鞠は、ご遠慮のほどを。木から離れてしまいますと、私たちはご奉仕することができません。さて、これから後は、ご自分にはこういうものが見守っているのだと、いつも私たちのことを心に懸けていてください。そうすれば私たちはたえずあなたを守護し、ますます蹴鞠の道に上達することを約束しましょう。」
こう言い果てるやいなや、鞠の精たちの姿はかき消すようにいなくなった。

150 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/11/14 19:28
空間とは、物事の単なる背景ではなく、それそのものが自律的な構造をもっているのです。"Einstein"

151 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 20:54
神というものを半導体のプログラミングレベルで考えているうちは概念に於ける物質的衝突がある。御名のほとんどはおそらく靈音で決まってる。ほのれびほのれびちはやぶる。古事記は顯界の読み方をしても成り立つことは成り立つが感覺としては甘い。靈のない人は神のストーリーは風のストーリーぐらいに捉えるべきだ。

152 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/12/02 02:21 [URL]
あえていう「霊感」における「」とは、色不異空の「」のこと。

153 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:30
キリスト教もコスモゾーン的にわからなければ「救い」が本来どんなものかは理解できない。また霊的にわかっている♂がいたとしても、決してそれを「救い」などと口にすることはない。もともとの言葉を別の言葉にするから長くなる。「救い」はもはやどこかへ消えてる。

154 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/26 20:27
神のいない教会の教職者が神を語ると、あぁヒューマニスムだなぁ、という解釈になる。それはそれでよいが、万軍の主との脈をつなぐには余程潔白でない限りは無理だろう。それは實践とかいう類のものでもない。ガス形体のようなものに審理されているのだから。当然精~とか善悪云々が直截的に關系してくる問題でもないのだ。いつまでも虐げられたもののままで、変に独我論に身を包めばもはや本来のキリスト教としての實現は厳しくなるだろう。ガス形体は登るまで待っているが、その前に寿命が尽きている。残念ながら、彼らの馬鹿にしている一般的な者たちのほうが、云々。

155 名前:Hegel 2006/11/23 01:27
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれにくっついた外的必然性の形式はすてなければならない。職業は自由に選び、自由に續け、また果たさなければならない。
説明。人間は、運命がもついろいろの外的な事情や一般に人間が直接的にもっているようなすべての外的な事情に關して、それを自分のものとし、それから外的定在の形式を取り除くようにしなければならない。人間が自分の使命に忠實であるなら、すなわち人間が自分の職業を全面的に果すなら、自分が運命によってどんな外的状態におかれているかは重大なことではない。或る地位にある職業(或る地位に召されていること Beruf zu einem Stande)は、一個の多面的な實體である。職業は云わば素材(シュトッフ)であり、材料(マテリアール)であって、不純な點や欠け易い面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとするかぎり、私はその中にあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何よりも充たされない。ところが、人間は眞實に自分のものと思えないような關係におかれることがある。しかもこれは同時に、その人間の身分である。人間はこの身分から自分を解放することはできない。すると、人間は自分自身の意に反した關係の中に生活し、行爲することになる。

156 名前:Hegel 2006/11/23 01:31
人間の職務における忠實と服従、並びに運命に對する服従と人間の行爲における自己忘却は、絶對的で必然的なもののために虚栄心、自惚、利己心を放棄することを根本條件とする。
説明。職務は普遍的なものであり、必然的なものであって、人間の共同生活の一面をなしている。従って人間の全事業の一部分である。人間は職務をもつとき、普遍的なものに参與することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職務はもとよりそれぞれ限られた領域ではあるが、それにもかかわらず全體の必然的な一項を形成するものであり、またそれ自身一個の全體でもある。人間がものになるためには、自分を制限することを知らねばならない。すなわち、自分の職務を全く自分の事とせねばならない。すると、職務は彼にとって何の拘束でもなくなる。その時には人間は自分自身と、その外面性、すなわちその職域と一體になる。ここでは職務はすなわち普遍的なものであり、全體である。人間が――空虚なもの、すなわち非本質的なもの、無価値なものを自分の目的にする時には、事柄そのものに對する關心でなく、自分のこと〔事柄〕についての關心が元になる。空虚なものは何らそれ自身で存在するものではなくて、主觀によって支えられているものにすぎない。人間はそこではただ自分自身を見るのみである。例えば、人間が一般に自分の行爲において自分の卓越さを意識するとき、従って事柄についてではなくて、むしろ自身に關心をもつときのように、道徳的な虚栄もあり得る。―― 一寸した仕事を忠實に果す人間は更に大きな仕事に對しても能力のあることが分る。と云うのは、それで彼の従順の精~が分り、自分の願望とか傾向とか妄念を捨てるものであることが分るからである。

157 名前:Hegel 2006/11/23 01:29
人間は知的教養と道徳的教養とによって、他人に對する義務を果す能力を身につける。他人に對する義務は實在的(レアール)な義務と名付けられてよい。これに對して、教養に關する義務はむしろ形式的(フォルメル)なものである。

158 名前:Hegel 2006/11/23 01:31
義務の履行がどちらかと云うと個人の主觀的な特性と見られ、個人の自然的性格に屬するものであるかぎり、それは(Tugend)である。

159 名前:Hegel 2006/11/23 01:29
徳は一面、自然的性格に連なっているものであるから、一種特別の道徳であり、一層生彩(レペンディツヒカイト)と迫力(インデンジテート)をもつ道徳である。同時にまたそこでは義務の意識は本来の道徳の場合よりも薄い。

160 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:31
純粹な信仰を持ったことのない教職者の宗教論は論に対する敬意がない。しるしを拒むのはしるしがない者であることが多い。魔女刈り批判が魔女刈りしているという構図が気にならないのが気になる。「祈りは罰ゲーム」。祈りを小馬鹿にしてる。信仰を経ずに神を棄てて、不信心な教職者はいったい何に至りうるんだろう。

161 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/12 23:58
妄信と不信は赤外線と紫外線
共に可視光線が見えていない

162 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/26 20:31
神が商品に、言語が記号になりかけている教職者が「まあ、信じていることが事実だと思ったり、御利益があると思うのは、宗教的には不信仰。これは基本なんですが。」等というのもなにか同簇嫌悪である。「自分は健常者です。」そんなオカルト信じていませんと沽券に牽制する。怒りに満ち溢れたクランケの集いではアテレーの反対から物言うことが賢いようで。しかし数年後に平靜になった眼で振り返ってみれば、どんな精~形成にたいし、逆相に正相でパラレルしているのか、よくわかることだろう。読めば読むほど聖書は神を否定しているらしい。晉通に述べられているものを、向自有の読み方をして高みに至っている。レトリックを宗教の本質とするとこが日本のキリスト教の限界といったところでしょうか。

163 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:14
模範解答にしかめしく問題提起をするものの過半数は、点のとれてないもの

164 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/23 01:12
ラ・ロシュフコー的な諧謔のつもりか、地獄こそ天国である、とする人もいるが、地獄は地獄だよ。地獄に行きたいといきがってるようだが、それほど美しい地獄を描けるとは、たいした信仰なもんで。
レトリックをレトリックと気附けないと洗腦は深いことになる。コードへの規則化にはニューロン全体の統御が伴ってる。

165 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:24
通底してる科學と宗教が相容れないのは物理以前の問題ではない(止揚できるか否か)。
感情的になりやすい人は知能以前の問題になるだろうけど。

166 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 00:14
戒律や原罪はあったほうが霊的な成長は早い。下手に被れるとカルト性にも至るけれど。どこの馬の骨かもわからない人に学んだりすると、いずれ人の道を踏み外すことになる可能性が高い。よほど生來の魂が純粋だったり、正しい信仰がなければ。乖離性ほど信じる系を燬損するが、他力はあったほうがよい。絶對精~から乖離したり異常な人格になったりせずに済む。
とはいえ末法の時代なので人は霊的な経驗に乏しい。僕も久々に近くの遍照寺にいったときの話、あぁそうだった、仏脈とはこんな感覚だったわみたいなことを思い出した。
ゲド戦記のキャッチフレーズを連想した。[人が忘れているもの]は多い。使ってない機能は退化する。
人は人を口で汚すが、他人に精~汚染などの迷惑をかけないでいられるかな。讒言は必ず自分に返ってくる。時間をかけて。そう。逆サイドから圖星を突けば
過剰反応。他者否定すれば深入りした大義名分で自己正当をしなくてはならなくなる。人間否定は独り言としても因果する。心で怨むだけなら自分の心に慣性をもって因果してくるだけ。でも口で罵るから目の前で罵られるのだ。日ごろから心に気をつけていればカルマも減っていく(カルマがあるからそれを行う連鎖を断つことの難儀さ)。合理的とは早いこと。せめて生起量は三分の一ぐらいにしておきたい。
それと~佛の前で人の不幸を願うと自分のアレテーまでも失ってしまう。
ガミガミした者は多くに望まれているとおりになる。キリスト教の滅びるとは滅ぼされるということ。~佛を本当に知るものは信頼しているもの、また~殿に行けば消え去ってしまうことに例外のないことを確認しているので(コスモゾーン)、ただ繰り返しお經や祝詞を唱えるのが結局早いのである。興味のないことまで勉強し覚えようとすれば「興味のない」記憶が増えるばかり。それと同じで靈の世界も自分が信仰することが威力を持つのである。

167 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/06 02:03
物事の表には裏がある
人を呪わば穴二つ

168 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:22
精~は呼吸のうちにある。観念のうちにはない。

169 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:28
日の丸ニッポン瑞穂の国
そこに農薬カルト在日暴力団
これだけ変なものが流れてくると鎖国は正しかったふうにも思えるね
近代化ってなんだろう
それは伝統を失うことだよ 理解できなくなるまで…
ほらアルツハイマーが蔓延してきた

170 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:28
科学馬鹿の家庭で育った子どもは育たない
この先日本人の霊性もどんどん落ちてゆく
円の信用も落ちて 精~薬が普通に必要とされる時代が来るだろう

171 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 23:05 [URL]
でも精~薬では治らないし、精~薬を必要とすること自体が"異常"であるのに共同幻想はこわいもんです
余計に悪化させてゆく
科学によって悦に入ってきた人間はルシファーの炎に焼かれて、結局最期には泣くんだよ

172 名前:三つ子の魂100まで 2008/05/05 21:49
あまり親が厳しいと反動形成で人格が歪むケースがあるらしい。
そういう反省をしている親がたくさんいる。
そういう親はなかなか優秀なんだろう。
そういう反省ができる、ということは、そういう因果を”洞察できている”ということだから。

173 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:07
父親と母親の遺伝から同相になっている部分があり、良い同相は良いとして悪い同相(悪癖)は逆相で消すべきである。
~社仏閣に参詣すれば既に高く発達した霊性により良い部分は増幅され、悪い部分は縮小される。

174 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:22
 
おのれこそ、おのれのよるべ、おのれをおきて、だれによるべき、よくととのへられし、おのれこそ、まことえ
がたき、よるべをぞ得ん。  〈ダンマパダ・160〉

善くなさるべき法を修めよ、悪しくなさるべき法をやめよ、法に従いて行ずる人は、この世においても、また
ほかの世においても、こころよく休らわん。 〈ダンマパダ・169〉

175 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 23:03
レベルの高いところには人が集まる
プロ野球の試合とか
IntelとAMDの競争とか
大学教授の講演とか

ただ共感がないと無駄になってしまうのが悲しいかな
世の中多様化しすぎているので鳥居には入ってこない

176 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 00:15
何もせずに高まることはない。いやらしい言葉が自己にまつわるように。

177 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 20:19
自分のアウラがたとえば1000Hzで神が20000Hzだとしたら、神への祈りは倍音として届く。反対に700Hzの人には自分の心は低い周波部しか届かない。700Hzの周辺で解釈される。
霊性は、上がる時に下げる者が來る點、人間の学歴や地位と似ている。上にいるものは下からの批判を我慢するのみである。逆にそれに足を引っ張られるわEqualに対応するわでは、いざこざが絶えない。霊性的に似たようなものである。素人にたいして本気になれる自称玄人の多いこと。本当に霊性の高い人は我慢どころか哀れむ。哀れむどころか樹齢2000年の集う自然には見えていない。通過してる。

178 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:39
毒から得られるものは耐性ぐらいで
次元の低い者から得られるのは復習ぐらいである

179 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/09 21:49
昨日の夢は霊的だった。クリスチャンの怨念を買ったのか知らないが、もののけ姫を痛烈に批判していた。Chopinの子犬のワルツに団体意識を感じるのは日本人ぐらいらしい。Tchaikovskyのくるみ割り人形がBGMに使われていて、それに団体意識を感じることを馬鹿にしていた。その表現は「滑稽さ」ではないのか?と思うのであった。

180 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/21 01:36
交換関係で成り立つものがある。参考:うどんの噺。修羅界にいる人は自分だけがうどんを食べようとするので食べられない。箸を相手に差し出して、自分も差し出してもらうのが普通である。先祖のために何かをすれば、自分でできない何かもしてもらえてる。

181 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 00:27
~とは他者である。思い込みの~ならそれは自分だろう。
無私になれば群れることにも無自覺になる。群化を恐れるのは自意識の恐れでもある。また逆に無自覺な人は語らないので誰が~を知っているかどうかはわからない。案外ポッと出た言葉がそれかもしれない。
~という本性に至るには自分の本性を見極めなくてはならない。人は違えど同じなので人と同じものを見ていれば~(あるいは惡魔)にも通じるだろう。孤独な文字追いでは集団ヒスにもなる。群化でも孤独でも無自覺な境界が失われている人性こそ~との境界も失われる。だから公平無私という言葉が本当になる。
人との群化と~とのシンクロは比例關係にある。殻に閉じこもった人にはなかなか氣がゆき渡らない。そちらのほうに無自覺になる。
世界を見ていなければ世界は広がらない。日本のよさもわからない。日本は本当に惠まれている。知っているもの勝ちだという。人生の撰択肢が豊富にある。ダイビングすれば海の世界まで広がる。絶対やったほうがいいという。地上もすばらしいことがわかる。地上は本当に惠まれている。
宇宙の形質そのものにフォーカシングしてなければ人は鼓舞されない。生命から乖離していてはなにも感じれない。イメージがあれば対象にシンクロすることができる。

182 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 22:15
最新の3D画像処理技術で100人の顔を平均すると、普通の顔になる。骨格や肉質や皮膚の流れ、DNA的要素は入ってないので、違和感のあるデジ顔ではあったけれど、ユキビタスなものとはやはり自然とか普通のうちにあることと思う。
同じく神についても、心象をサンプリングすれば實相に近似してゆくことと思う。

183 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/15 01:30 [URL]
魔が聖に異性化すれば聖と呼ばれる。
魔そのものを聖なのであると定義したい人の定義はおいておいて、
本来魔とは人にあらゆるもので目をくらませて自分側に率いれようとする類のもの。
魔も上の方になればあらゆるものを與えることができる。
終わりし時の人々は生け捕りにされて、その意のままになっている。
ただひとつ與えられないものは、無償の愛や慈悲の心である。
正統の~は成長に結びつくもの以外は與えない。
もしも怨念と慈悲の片方の深みしか経驗していないのならば
~は信じられるが魔はわからない
魔は信じられるが~などはいない、となる。
正邪の区別もままならないままに。

184 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:44
人は霊性において平等の条件におかれているが(空気はどれだけ吸ってもタダ)、品格のあらわれにおいては優劣がある。
何が上で何が下か。他存在とのかかわりにおける自意識内の問題であれば、井の中の蛙には本質的にはない。コンプレックスもなければ成長もないし卑屈さもない。でもこの社会で生きる限りかかわりが生じる。そこで高いものに囲まれれば必然と謙虚になり低いものに囲まれているものは飽き飽きする。二流のものを讃えれば自分は三流になる。でもやっぱむかつくから自分は三流をこき下ろして二流になろうとする。ふつうは前後賞で似たもの同士が集まっている。品格の上下は、自分の素性の素直な現れというよりは、縁によって形成されてしまうところが大きい。
グレイドの高いものからの批判は叱咤となりグレイドの低いものからの批判は冒涜となる。自分のもろもろの性情のせいで罪のない人の心情を害した。そこで習慣を変えれば性情も変わり、一つグレイドはアップするが、高ぶっている者は依然似たようなものなのである。品格は霊性に出る。この同じ条件下に生きつつも、縁と習慣によって差異が生じてくる。

185 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 03:01
理系脳か、文系脳でも醒めた人ならファンダメンタリストでいい。~に通じるなら名前まで覺えておいたほうが協力してくれるだろう。名の表記が誤りでもなにを示しているかが問題なのである程度の違いはどうでもよい。人が信じることがよい。何度も言うが~に通じるにはファンダメンタリストが早い。ガヤガヤと煩わしい者はもうどうでもよい。

186 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 18:01
琺を犯すもの
国を侵すもの
腦を冒すもの
それらは問答无用で排除
そこに回避性の迷いが生じるのはその逆が無いということ
ヘーゲルの絶対精~が理解されて無さ過ぎる

187 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 02:04
心理学的には安心できる人格がマトモとされる。
円熟している人がいい。

188 名前:ナナシンクロニСティ 2006/11/20 02:59
漏尽通がわかれば評論家の存在意義もわかるだろう
人は燬損とか盲信しかしないのだから

189 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:42
日本語には度胸と愛嬌という言葉がある。この言葉は外人には理解できないものらしい。
人間は犬猫を育て、鳥をかわいがる。それを見る~は人間をどう思うのだろう。猫は本能的なので雀をつかまえ遊び、飽きたら瀕死の雀はほったらかしに縁側に寝ている。それを見つけて人間は、また雀を看病しないといけないとぼやきつつ猫の無邪氣さ加減にはくすぐられている。
人間と猫の中間よりやや上に蛮族がいる。

190 名前:ナナシンクロニシティ☾ฺ 2006/11/25 19:39
太古はおおらかだった
今は着替えを携帯カメラで撮られてみんなに回されて恥ずかしくて登校できない時代
たかだか着替え中なのに、タブー形成されている

191 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 01:48
'念佛だけをありがたがっている葬式仏教' と映るのは単にその価値觀から乖離しているだけのものでそれもまた宗教である。それが排他的になれば現代のカルトと同じになる。「一人気味悪くボソボソと唱えていて、一体そんなものに何の価値があるのだろうか・・・」と、実際に上の人が説いているのだから。不可知をわからず「そうだそうだ」の世界。人類に怨み抱いていたり、單純な奴ならそこでひっかかるな、と。僕が問題にしているのは、一体なにから乖離しているのだろうか。(一体何ゆえ國民性に乖離するのか)。しかし、10m以内の位置で唱えるとものすごい作用が来るな。それは万民に共通する気持ちよいエネルゲイア浸透だと思っているけど、もしかすると西洋圏のドラキュラであるところの十字架にもなるのだろうか。

192 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 17:57 [URL]
地場の影響で思想は彩られる。ずっと地場からくるなにかを浴びていたら思想自体がかわる。同様に教唆や主張は、そのとおりにしたら彼のようになるということを意味している。(そこまで客観的に見通すには多少日記頼りにもなる)。効率とか進歩とか人倫無視の因果衝動に任されてやっていることはたいてい無駄骨に終わってる。だけならまだよいが。煩悩を肯定し(元々宗教というのは魔道にも落ちるという両刃の性質を帯びたもの)どれだけネガティブで世の中の仕組みを薄汚くビュルレスク描いていても、社会的に優れたプレジオジテな人物であるのならその在り方や教義を一理あるものとして見ることもできるだろう。でも見てきたものの実際は自身がその通りであった。(何を言明するかが問題のすべてになっているかのようにもはやレトリックが現實に思えてしまいながら、人を現實どんな道に導きたいのだろうか。時が進むとそうだそうだの世界になっている。まるで宗教。万民被洗腦論は依然として現實に還元できていないのに經営指南書には気持ちの悪さを感じなければならないなど。(信仰とタブーは相関關係にある)。結局は無宗教も、強い信仰に基づく疑似宗教ということになる。(願望同調が転じれば集団ヒス)。おそらく心理学者の九割はキラキラのキララを最も健常だと判断するだろう。精~医学者たちはもう一つのかの界隈のほうはどう判断するかな。本人たちの願望とは鏡像関係の定義が返ってきそうで恐ろしいですね。その証拠に徐々にノイローゼは進行してきているのではないかな。夜中、自らに被爆して。)

193 名前:無眼界乃至無意識界☾ฺ 2006/11/13 18:33
願望の同調がタブーをも引き起こす。人は言葉を話す以上、目に見えない何かを信仰している。目に見えないものがあると、目に見えないものの理想は出てくる。理想が出てくればそれを読めないものへの反發も出てくる。そこにある美学に反する何かが不快だという塲合、反發するものによる集団意識が形成される。さらに反動することによりタブーは形成される。
クリスマスも「イエス様そっちのけで痾保騷ぎはいかがなものでしょうか。」と批判して無キリストのクリスマスがタブーになる。世の中には各種のタブーが伝播しているが、タブーの大本の源泉を辿ると、美学の浅はかさに目頭を立てた處に逢着する。人の感性は平等ではなかった。初期は軽かった雰囲気も、決め事は増えて、次第にどんどん重くのしかかるようになる。タブーとは年輪を重ねるほどに歪な形になってゆく傾向にある。初期の純粋な理念はもはやない。そこで無眼界。目に見えるものすら恣意的な意識の産物であろうに、目に見えないものに解釈を重ねると、目に見える以上のスパイラルが生じる。その複雑系にやがてついていけなくなり崩壞を待つのみとなる。杉が長生きなのは我が無く透明だから。透明な流れの中に汚れに囚われていない。特に屋久島の縄文杉(樹齢7200年)などはエキセントリックな屋久杉の中にあっては特別に普通な形をしている。ユキビタスである。我々の螺旋に於いても同じである。レベルに高低はあれどレベルの高低などない。正邪はあれど正邪などない。という判斷もいらない。

194 名前:無無明& ◆oAwSy1sOqk 2011/08/24 20:00
語りえぬものについては沈黙しなければならない(ウィトゲンシュタイン)、とか、言語は恣意的である(ソシュール)、など言い方は様々あるけれど、それを理解しているゆえに他者に、「その神とは、一体なに?どこにあるのか?」「その否定は相手の存在を肯定しているのではないか?」などと追求するのは、無明の追及である。
無明すらも無 ― その境地に至らなければ苦しみは脱せない。現に反發に遭い、その相手を妄信者扱いして気が済んでいる。
自分の名前に否定的である対象を無にできないで日夜条件反射していながらでは全ては無にはならない。それが自称虚無主義の限界である。自分に否定的である対象を無化するのみであって、全てを総じて受け入れる空なる気持ちになれてない。無に歸するために名称と生身を一致させて対象への批判の実体性をもたせるけれど、もし名前と生身の一致を認めることができるのなら、マントラも~咒も認めることにもなろう。完全な無なら、相手の概念の無化だけではなく、自分の概念も無化しないと片割れになってしまう。相手の存在を認めるのなら、自分の信仰を肯定することもできなければならない。どちらにせよ公平無私で無伺定で無想三昧に通じるためには、まずは一方通行で偏ったりしない試練を乘り越えることになる。自他との境界をなくせば自由自在になる。

195 名前:無智亦無得 2006/11/13 18:55
善いことをしても見返りを求めていると、せっかくの善行は、無恩によりて腐る。腐りきれば神の無償の愛も感謝を求めていることとなる。世界観に影響。人は見返りを求めているとせずにはおれない。愚痴を強く吐けばその強さに応じた呪いとなり、呪いは思想として己の中に確固たるものを遺す。薫習。それは慣性の力を持ち、消さなければ輪廻する。
無に帰する。純粋な陰徳。

196 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 23:28 [URL]
人はそんな客観の及ばぬ因によりて腐心していることがあるので、かの善の慣性よどうか報われますように。
觀世音南無佛。經文のエネルゲイアによりて腦の大部分を占めている嫌いとかいう集合無意識、好きとかのニューロンの集合体は遊化し、ネガティブな集合体を解体し、人間の発露で覆ってしまいます。たとえばこのようにして善の輪廻は束縛から放たれますように。
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまに はんどまじんばらはらばりたやうん
尾骨から背中も''光''が増えますように。

197 名前:亦無無明尽☾ฺ 2006/11/19 23:43
無無明はできても、無無明尽は難しい。
気持ちよい風呂で自己を謙虚に堕とすともっとほっとする。
無無明尽とは、そのように謙虚に落としている状態時に「そういう偽善的な態度も好きだナァ〜」などと最もおぞましい類の人間に言われても何とも思わないこと。最もおぞましい類という人すらいない。包み込めばむこうの病因が快癒に向かう。無無明尽が会得できれば、さらに安らぎがある世界が待ってる。もちろんその超克も、超克であるがゆえのもの。アルツハイマーならば簡単になるのかもしれない。
腦(肉)+筋肉+骨+内臟(肉)=死体
腦(肉)+筋肉+骨+内臟(肉)≠人間
死体に生命が加わり生き物となる。≠人間から左半分を除けば生命が残る。それが目に見えない靈というもので、無に歸すれば即心即無ではなく即心即佛になる。色不異空から全体を俯瞰するなら靈とかアウラが残ることになる。そしてそのアウラとかコスモゾーンが生命であるから、我々はその生命に障害がないときに安心する。木漏れ日の美しさとか人との連なりにおける清々しさがある。生きたプラーナの浸透で。

198 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:52
人は窮地(酸欠)に陥った時に初めて神(酸素)を求める。
靈学的な考えに於いては、霊性が存在するということについては肉を構成するものがタンパク質であることほどの自明性である。いるいないの議論は双方原理主義を除いた普通の人は、3カ月もすれば飽きている。反対に私怨などの根深い囚われのある人は物理的にタンパク質とは一体「何」のことを言っているのか、その「割合」は、それを構成するものの「内容」とはには考えが及ばない。結局のところそれはどうでもよく、冒涜できればよいので。循環論法を怖れた循環論法。もはや「ある」「ない」のシステム上の問題にしかならない。生みだされるものは生命まで否定する「無」の人間学ぐらい。反対に自己の世界のみを肯定する排他的な哲学。

199 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:54
たとえ偽装された悪徳であろうが、世の中の美徳とされるものを冒涜する心は悪しきもの哉

200 名前:創造論と進化論・v・ 2006/11/13 22:23
創慥論も進化論も八百万の概念があれば矛盾しないでいられる。進化はDNAの構成からの評価で結果論。創慥は、指南とも考えられる。~の見えざる力、暗在する力によって進化する。というか、變化する。寺社の気をかむると表情が良くなる。それと似てる作用で。その小さな進化の積み重ねである究極に長いスパンを一瞬に結論付けて見れば、創慥とも云える。論理思考の西洋かぶれに語らせると結論のみの解釈になる。それでは中ヌケしてるので、本来なら歴史の敷衍が必要になる。「霊的真理」以上に霊的に大切なものが、日本人にとっては古事記や日本書紀の叙述。それらは高天原(宇宙)についてはほとんど書かれていないが、国づくりに関わった天津~や国津~の噺は日本人の魂の規定になり、靈の彩りにつながる。実際~社で祀られているのは宇宙の抽象的な~ではない。ほとんどが伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み以降の~になる。その~気が人間、特に日本人の個性に近く、魄は次第に実相を帯びてゆくのである。

201 名前:記憶は時間を固定化する 2007/01/26 20:45
確かに殆どの人が語る~は「想定」である。でもそう言いつつも、肌のすべすべになるかの崇高な~の"気"については必ずスルーされている。現人~も、現人ゴッドか現人ガミかではありえなさ度はまるで違う。そもそも人が~を思考していることについては一体何が悪いのか…それこそまさに思想問題であろうが。あってはならない信じてはならないという潔癖症の境界が設けられているかのようでもある。
旅行スポーツふつう感動を共有する場面… それをみて馬鹿にした顏をする奴がいる。卑屈者にとってはここぞという場面なのだろうが。たまに本当に狷介な人がいる。
もちろん一概に狷介というのではないのかもしれない。サルトル的には~というから~が生まれるらしい。洗脳というから洗脳が生まれる。純物理的に。死なない作家は二流。語りえぬものを語ろうとするやつは究極には自殺となる。あの灰色の人も恣意的な感覺排除を極めた人だったのかもしれない。(ただそこで死にきれてないから迷惑千万なのだが。二分間息を止めてみろ)。物理学者のほうが言葉ではなく自分の感覺と経驗を主体にするのでその点健全で'Einstein'は「そうなったら死んだも同然です」と言いきる。
自然は死んでいない。絶対零度ではないから振動して循環している。自然に合一するにはただ言葉をなくすだけでいい。動物のほうが動き回るので面白いが、本当に無私のひとは自然が相手になる。無償とはそこにある。生命の振動を愛というのなら自然はいつも無償の愛で循環している。屋久杉が精~に與える影響は怪竒だが(恣意的)やはり霊性は高かったらしい。国津カミぐらいに御稜威の威力がなければ、感応力の浅い自分にはほとんど何も感じ取れないけれど。

202 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/03 20:52
発生させる力も創造力であり~に創造されたとは発生させた力によるところの意図が大きい。

203 名前:ナナシンクロニシティ 2010/02/16 23:52
人間の創った音楽を理解できるのは人間のみだから、音楽は人格的だと言える
人格神もそのように捉えないといけない

204 名前:禊の~道 2006/11/18 23:25
風呂上がりに20℃以下の水で禊ぐと''鬼ころし''になるのは、
・心臟マヒ起こすのではないかという観念的な本能が気合いを引き起こす
・禊のその瞬間には余計なことに散亂していた觀念らがひとつに集約される
・細胞が活性化する
・日ごろから感覚を失い行き場を失っていた観念は賦活され、正しい居場所に安定する(まがつひ→なおび)
・温冷のダイナミックレンジにより世界観が広がる
・血行がよくなる
・~經の通ってない麻痺気味なところにもNK細胞が行き渡る
・ついでに憑いていた霊のいろも浄化される

205 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 23:03
いじめを減らすには禍津日を直靈にするしかない。
あの福岡の校長も、二ヶ月後にはケロッとして何か正當化はけ口を見つけていることだろう。所詮はそこまで

206 名前:伝統の無化について 2006/12/02 02:02
天皇制にせよ校風にせよ
人はいかに伝統を保持することが困難なことか、わかるだろうか。
ただあるのではない。半導体の記憶で自動的に続いているのではない。
數々の難解な問題を乘り越えて止揚されてきたものなのである。
人の大切にするものをいちいち冒涜する精~は、それだけで罪を犯していることは事實である。
もちろん被害者側は捉えようによっては愛執を斷つ修行にもなろう。
しかしそれは関係ない。
加害者は基本的に、自分が浴びせた無化と同じ無化を味わわなければならない。
刑務所のしごき(いびり?)で、土を掘り返し、それを自分で埋めさせ、掘り返し、埋めさせるものがある。
養老孟子によれば社会の穴を埋めるのが仕亊である。
鉄道を作るドカタなら有意義にもなろうというもの。
しかし、死に物狂いで掘った穴を、自分の手で埋めさせる。
壮絶な苦惱があるようだ。
人の命を奪った者などには反面効果があるのかもしれない。
子供をもうけ、愛情とともに苦労して育て上げた子供を殺したのなら、
どれほどそれが厳しいものであるのかを知らしめることができるだろう。

207 名前:創造論と進化論 2011/09/21 21:30
進化論創造論と巷でよく衒われているが 人間は人間になろうとして進化してきている といふ側面にたいする見解が(我を張った議論には)ひとつも見られなかった。
霊感のなさから宗教を無くしている現代人は人間になろうとしていない人間となっている。戦前の日本人に較べて人間自体が劣化してきていることは写真を見ればわかる。
なぜ~社仏閣の霊性をかむると生気が漲るのか。小球の振動が繊細になるのか。おそらく命を見つめているからだろう。昔は、こうなりたい、といふ希求がありそれが青春的瑞々しさで、恋愛すると余計に理想の自分を描いたり振る舞ったりしていた。そういう意志は人間が人間化(現象化)する功徳をもたらすと思う。さらにその感性が霊性に好まれて、同調してくれば協力的に進化(創造)する。協力とは生命の様態であろう。お互いに快い。そうでない関係は滅ぼし合う。見回せば細胞同士が協力せずメタボ…ならよいが細胞が人間たりえぬ姿で癒着し、非細胞化した人種が溢れる。それはもはや日本人ではなくなにか別の人種、若い女性細胞も質的にすでにどうでもよくなってるからカラコンで目を劣化させている。被害件数が軒並みに増えて社会問題になっているがそれは問題ではない。自然環境を拒んで変化していること、それが社会問題になるほどの白痴の群集であることが問題なのだろう。まぁ失明してみればよい。新しい何かが見えてくるようになるから。

208 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/21 01:19
誰にたいしても懺悔文を唱えられる
現実で会う85%の人のことは普通に尊敬している
敵対した塲合も悪い言葉の70%は抑制している
それにたいして懺悔など信じがたい行動で
不信で殆どの人間にたいして構えており
感情を抑制できずスリップして120%まで述べてしまうものは
差の90%の負債を相手にかかえることとなる

209 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/21 01:19
人の見ているところで違反をすれば警察に通報され
人の見ていないところで悪さをすればそれを見ていた魄に言いふるめられる
すべては粒子以外の96%から粒子以外の96%にその波紋が行き渡る
人に見えるところで頑張れば人に称えられ
人に見えないところで良い努力をすれば霊に称えられる
どれだけの徳が流れてくるかは朮詣り初参りで証明される

210 名前:ナナシンクロニシティ 2011/06/17 20:30

 τ_,,_τ
 (・∀・)<はんぎゃあはんぎゃあ
  (U U )
 (U U )
  (U U )
   (U U )
    (U U )oo0o0o0o
         oo0o0 o0ooo0o0o 0o
              oo0 o0 o0ooo .. , 0o 0o 0o .. .

211 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/28 22:03
携帯が普及しはじめた当時の携帯で話すのがかっこいいとかいう共同幻想。電車で携帯話す女みたいな。いかにもビジネスしています出来そうな手つきみたいな。そういうのは最近見なくなってきたな。誰かが茶化せば恥に気づいて社会は改善される。その指摘がタブーになる時代は暗黒に入る。

212 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/29 22:06
環境カルトのほかには健康カルトとか心理学カルトがある。
自然か否か。真理に好かれる信者か疎まれる信者か。祈りのつもりが呪いになっていることもあり、自分の近視眼性は自分には測れないものである。人が意外にも緑内障(網膜の視~経の欠落)に気づけないの(潜在的な患者が多いと言われるゆえん)は、見えている世界に世界は集中する(見えないものを見えてないと認識させない)からである。

213 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/01 15:28
集中力がなければ発達しないのは現実。
集中している姿が洗脳に映るようになると、解離性になる。

214 名前:ナナシンクロニシティ 2011/07/07 15:32
普通の人がさほど~経質にならないところで~経質になると、過敏性を疑われる
普通の人がさほど猜疑をもたないところで被害者的反応を見せてしまうと、人生の敗北を物語る
普通の人がさほど気にもとめない感傷を感傷していると、病人のように映る
普通の人がさほど喜ばないようなものを喜べば、親バカになる。が、その実は勝者である
弱者を見下したり弱者として仕立て上げたりするのは弱者特有の心理であるが、共存性を失ったものは負ける

215 名前:(・v・ ) 2011/09/14 01:57
宇宙の創造神とか全知全能の神とかそれ以前の宇宙の状態とかそういう事については『古事記』では冒頭で鼻からいきなり「それは解らない」と書かれている。

序第一段 稽古照今
臣安萬侶まをす。それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。

古事記を読む限り日本人は自然観察に長けた民族であったと思うけど、そればかりは「調べようがない」のだと。

216 名前:( ・v・) 2011/09/24 15:55
全知全能の神を批判するための量子力学的不確定性ベルの不等式アスペ実験の引用が散見されるが、自分が知っていることを全知全能の神が知らないと言うのだろうか。宇宙の根源神や創造神に相当する~が[無から始まってから現在までの全て]にあるのならその~は宇宙の全てを経験してることになる(この宇宙の範囲内においては)。不確定性という現象そのものがここに実在するのならそれを含む~である。
ただ物理学的には過去も未来も無く「現在」しかない様だから、あくまで「過去」は経験と記憶にあり「未来」は予測になる。「全知全能」の神は未来とか過去については含まない事になる。発生起源やそれ以前の様相のことは「名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。」であるが、この世の全て(我々の脳内も含む)の物理現象の現在のすべてが全知全能の神とすれば、過去未来妄想は脳内の物理運動としては存在する。
脳内の意識内容が実在しない場合、それによる指示も実在しない。そこで~に願をかけ、一つでも出来ない事があれば「全能」ではない。だから神などいない、と詰る人が多いけど、人間の指示は人間の脳内の現象に過ぎない場合は脳内の現象としてしか実在していない。よって叶わない。指示する念がそのまま慣性を持ち不確定性で時に聞き入れられることはあるけど人間の想定どおりには現象は動かないものである。現象は、現象そのものとして運動している。そもそも認知ウェブではなくスーパーエゴ的には(一般的には)全知全能という言葉は神の凄さを賛辞する言葉である。基準下げて頼み込めば何でも出来るっていう神ではいけないのだろうか。「その神」に。
この世は仮の世として認識するは原始仏教。願掛けもしない。自分の肉体は借り物だとするスピリチュアル。これもやはり過去も未来も記憶と推測に過ぎないという処に基づいている(現実そのものではない)。この「現在」というものも脳による瞬間を積み重ねて認知された世界であり自分を座標軸とした世界である。そこから解脱せよと解かれてる。無神論者は性格的に根拠を求めるゆえ結論までの過程が短すぎる傾向にある。○○だから○○。だから「神などいるはずがない」という前提で構想する人が多い。あらゆる前提を疑わないといけない。

訂正…物理的に存在するのは「現在」のみ…ではないことになりそうだ。
CERNが光速超える粒子発見!とのこと。3年前に「光速を超える速度はない」ことが観測・証明されたと科学誌で読んだばかりなのに。観測の限界がもたらした、特殊相対性理論に基づく巨大な循環論法…だったのかな。
「想像力は、知識よりも大切である」「我々が経験できる最も美しいことは、神秘の知覚である。それは、すべての真の芸術とすべての科学の源泉である。この感情を知らない人、物事を不思議に思うことができない人、畏怖の念を抱くことができなくなった人は、もはや死んでいるのと同じである。」と言って夢中になって紡がれた、かの論理系でも、いづれ破れる日がくるのだな。物理学の定説ぐらいは間違えていてもそれ自体によって(記号によって)人は死ぬことはないからなんの問題もないけど。正しいことを言っていた人は魔女狩りに遭って間接的に殺害されてるかもしれないが。物理学が調和をもたらすのはおおかた人類の論理系の中になのかも? 神も物質に限定されるものではないのかもしれない。

217 名前:( ・v・ ) 2011/09/24 22:48
科学的根拠のないことは実在しないとする人は進化論における「意志」を否定するけど、何千・何万年とかけても生体は、環境に適応しようと「志す」とおりには進化しないのだろうか。意志を否定するのならなぜ「このように」進化をしてきたのだろう。現代人のように都合が良くても都合よく進化するのだろうか。
「あまり目が欲しいとか思っていなさそうなクラゲやホタテガイにも小さな眼がある」という論理があるけど論理上の話ですね。思っている/いないってのは人間のジャッジだろう。植物にも植物的な意志;エランヴィタールがあるだろう。先進国の知能指数が軒並み低下傾向にあることを考えると科学の便利さに負けて意志を持たないのは退廃的な結果をもたらすような気がする。

218 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/16 20:04
人間は一度魔の誘惑に負けたら一生魔に憑かれたままになる
脳細胞はそれを一生忘れることはなく神を祟る
素粒子レベルの記憶は細胞よりも形状記憶が強く死んでからも続く

219 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/16 20:07
そこから元に帰るには堕落分を乗り上がらないといけない

220 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/17 08:40
物質文明に頼ればその分苦労する
薬剤に頼れば自力精~では治せなくなるし人工的な添加物は便利だが催奇形性もある
風邪をひいたら風邪薬では肺炎間際まで進行する。精~性が弱くなり薬しか頼れなくなる(ように錯覚する)
"ゆとり"に対し妙なお高さを抱くも、先人たちにしてみると物質文明自体がゆとりである

221 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/28 03:47
人は他人を肯定する時よりも
他人を否定する時のほうに遥かにエネルギーを消耗したがる傾向がある。
ゆえに否定論者のほとんどはアディクトチックな反復横跳びになってる。
祈りは人間本来の健全な賦活作用であることが普通だが、
科学の論理性をかざすほうは実際にはほぼ感情的であるから、その論理は結晶化しやすく、
人生の無化とか非人間的な虚無感につながると考えるのが順当だろうな。

222 名前:ナナシンクロニシティ 2008/06/28 23:33
病理現象の分析に於いて、肉体的/霊的が分かるのは、両方が分かる人のみかな

223 名前:ナナシンクロニシティ 2011/09/15 01:49
人は信じたい方を都合良く信じる。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1315931317/
それは「釣り」か「本当」か。本当だと言えるほど人は強くない。
しかも「釣り」の証拠が釣り扱いで荒らされた後の「何よりあの沈黙がなwww」である。
過去に釣り扱いを受けた人との共通点を状況証拠にしてる。それも釣りとの確証はない。
16歳の育ちの良い子がいきなりそんな風に荒らされたら、もうへこむしかないと思う。
荒らしてる者の心理には防衛規制の攻撃と合理化が認められる。
こんな可愛い男の子が実在し、その気はないけどブラコンで、お兄ちゃんの部屋にエロ本漁りに行ったらショタ本があって、ネタきたああああな気分でvip+にスレ立てて、完璧な兄ちゃんの弱点を見つけたああみたいな嬉々としたテンションでやりとりをしてるが、そのうち蛇に唆されてお兄ちゃんに質問メール送ったりする流れになり、男が好き?女が好き?などの質問攻めをしている、お兄ちゃんはスキンシップが過剰なぐらいでそれっぽいことを思い出せなかったこの子は昨日までは一緒に風呂行ったりするくらい仲良かった、それが終焉を迎えることになるとは…、いろいろやりとりしていくうちにお兄ちゃんの早とちりか、パソコンを開く許可いただいて見せてもらったらなんと寝てる自分に悪戯してる画像フォルダ「本当にごめん」が見つかり、十枚くらい見て気分が変になって思わず全部消去した…、事の重大さに気づく、またvip+の蛇の群れに唆されてお兄ちゃんといろいろなやりとりをして状況把握するに、お兄ちゃんは初めて夢精した時俺の夢だったらしくて、それがもとで気になりだしたんだとか、次の日お兄ちゃんは恐らく自分の想いと行為の罪悪感で大学の近くに引っ越ししようとし、出来るお兄ちゃんなのでもう下宿先を早速見つけてきたようで、家には帰らず友達の家に泊り、自分は悲しくて泣いててこんな状況でもう2日もオナニーしてないww、そんなこんなで後悔してるうちに次第にこの子にも変化があらわれるが、弟想いのお兄ちゃんの気持ちは揺るがない、昨晩はお兄ちゃんが帰ってきて父親と引っ越しについて話したあと、お兄ちゃんは部屋に引きこもり鍵を開けなかったが、ドアを泣きながら叩いていたらあけてくれて、正座して長いこと話すけど兄ちゃんの考えてる事がわからないし引っ越しする決断は揺るがず平行線で、明日もあるからと部屋を追い出される、部屋を出ようとするとなぜか引き留められ、一緒に寝る、するとまだ寝てないのにすぐに手が伸びてきて、撫でられ、夜のテンションがおかしくさせるのかこの日はもう掘られてもいい気持ちでいたようで、この子は本気で暴発し、ほとんど覚えていないようで、お兄ちゃんの方も止まらなくなってしまっていたようで、精液を拭くようにお腹とあそこを舐められると、またイってしまい、オナニーでは経験のないありえないぐらいの気持ちよさだったらしく、声は出ちゃった?と聞くと、声というか荒い呼吸の延長線みたいな?イク時の声はまた違うの?と聞けばそこらへんは特に頭変だったから覚えてないwwwという、その一連の書き込みが事実だったとしたらもう…ものぐるほしけれで発狂してしまうだろう。と、あらすじを書くと誰にでも書けそうな感じだし、この物語の完結を求める煽りも出てくるが、この1のレスの返し方が素直というか1日1回オナニーしている16歳の純粋さだった。その素顔を読めないといけない。

224 名前:ナナシンクロニシティ 2008/07/20 23:05
詩は詠むことに意味があって
読むことにはたいして意味はない

225 名前:ナナシンクロニシティ 2008/07/19 13:00
僕は管理教育を批判する卒論を書いた
取り違えた管理教育では子供は中庸を失う。KYとは反対に空気は読みすぎるぐらいだが、いつ何を言われるのかは決定的ではなくなっている。大人はいきなりなにに目頭をたてるかわからなかったので。なにもかもを管理されていて逸脱は許されないことになる。(神の許しが必要になる)(~=教育者より偉い)。頭の後ろに目がある。そこに存在しない他者の目をも気にするようになっている。凡庸な価値に合わせた凡庸な人間性しか産み出さない。また抑圧は抑圧を産みだす。(防衛規制:投射)(投射についての永遠の説明)(自分と同じ抑圧の仲間を増やす子供のメンタリティ)(教育が輪廻すること)。今の子に覇気がないのは管理教育の弊害によるところ。かわりに犯罪は凶悪化する、など。
ラロッシュフコーの論文なんだけど。
次の年ぐらいにゆとり教育が始まった。
たまたまだろうか、シンクロニシティだろうか。あるいは卒論は大学の教授しか読まないものだけど、それを知らず訴えてるので一部資料として東京大学に持っていかれたのかな。ゆとりも結局は失敗だったようで、その教育はハンス・ギーベンラートのような繊細なペルソナにとってはおろそかにできない倫理であるが、多く一般的な個性にはあまり有益ではないことがわかった。

226 名前:ナナシンクロニシティ 2008/07/21 15:46
人間は円熟するほど馬鹿にされやすくなる
若い頃は虚威に構えているゆえ馬鹿にされない。いざ馬鹿にされると一層いきり立って構えるが。
その自尊心が融解してくると人に馬鹿にされても心の真実を重んじるようになる。
たとえヤクザでもその心の真実にさえ目覚めれば、小学校の先生みたいなことを言っていて平気になる。
構えを無くされているので、仏法では慈悲深い表現となって神には手を合わせて慈しむのでR。

227 名前:ナナシンクロニシティ 2008/07/22 19:08
来年の鹿児島の皆既日食ではおりたつものあって過去の夾雑勿は名残惜しくなしに忘れて運命が変わる
海面より低い地帯はちょっとした大地震で水没する可能性があるからハイツなら二階を選ぶべきかな

228 名前:ナナシンクロニシティ 2008/07/23 19:00
取り違えたゆとり教育では腐った魚の頭のような性教育がなされる。YOUTUBEで何かを取り違えてる教育現場を見た。教育者がグロにしか見えなかった。そんな性教育をするのなら源氏物語をフルスクリーンでやったほうがいい。最も無難な箇所を抜粋した教科書で古文学離れを促すなら、SEXの描写などただ一カ所もないのに男と女のあはれを感じさせる文学のままであるほうがよいだろう。それが世界最高の文学と云われるもの。アーキテクトではなく生きた人間がそこに生きてる。
わかりやすい形状に定められた物として扱うは容易い。
婉曲を恐れるから源氏物語は一層駄目だというのはわかるが、より一層現実的であるがゆえ婉曲のほうが性教育に相応しいこともまた事実かな

229 名前:ナナシンクロニシティ 2008/08/02 20:01
頭のいい側が自閉症になっている世の中
馬鹿に倫理は通用しないから

230 名前:・v・創造論の形成~~ 2008/08/02 20:02
有随~経を伝った五感より
ガラス(絶縁体)を通過する霊性感応のほうが
より精確で速いから
全知全能という感覚になるんだろうな

231 名前:ナナシンクロニシティ~~ 2008/08/02 20:26
感覚として得られるもののすべては非現実的である
光を"吸収"しているわけではないし

232 名前:ナナシンクロニシティ~~ 2008/08/03 19:16
音も鼓膜より先は"音自体"ではない
お釈迦様の教えを連想するなぁ

233 名前:『抽象と感情移入』 2011/06/17 20:54
抽象的概念のほかに抽象的感覚というものがある。それはその奇妙さに不慣れだからというのもあるが、ウニは奇妙だ。名前、形、味、あらゆる要素で奇妙だった。神は抽象的表象でそのまま抽象的感覚をもつ。認知の一致(フォーカシング)によりそれは綜合される。神威を得ればそれはその形で形而上にゆきわたり、肉体にも現れる。禍津日に於いても。音感に於いても、冨田勲や細野晴臣の音が「単なる機械音」としか聞こえないようではV抽象Vは理解できてない。天上に行き渡る倍音も簡素きわまる。そうすると形而上世界は安物で構成される。
http://openwatchlist3.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/mystatus?select=watchlist&watchclosed=0
↑この人なんて特にそうである。

234 名前:ナナシンクロニシティ 2012/03/29 23:48
人と人の間には以心伝心の働きがあり「多くの人に助けられて」と思う人は
実際多くの人に助けられているものである。経験から認知している。
助けられていない人はその倫理に共感しない。経験から学べない。
美辞麗句とか社交辞令のビュルレスクになっている。
でも助けられているのにそれを認識しない人もいる。
単に抜けているのかわざと認識しないのか。
そういう人はやがて助けられなくなるだろう。

神と人との関係もやがてそうなる。

235 名前:ナナシンクロニシティ 2009/01/03 20:59
意識と言葉と行為が我々の世界を創っているとX-FILEでオカルト肯定者は言っていた。量子力学的には解明されつつあるらしい。僕にはそれはわかる。でも僕が疑問に思うのは、ならばなぜ芸術が理解できそうもない輩に限ってそのような事を吐いているのだろうかということ。矛盾に思わないのだろうか?その意識内容も具現化するのならなぜそんなデジタルチックな言語でいるのだろう。意識内容がチープすぎないだろうか?進化論を肯定するのはいい(一側面または形態のみでエランヴィタル;マナの力については理解できてないけど)、ではなぜ自身は森羅万象から乖離した精~性にてわざわざ創造論を否定してまで肯定するのか?肯定と否定しかないのか?修行や8正道や禁戒の本当の意味が解らないのは仕方ないとしてなぜ精~の脆さや自我の増長をそのままにしておくのだろう?そのままだから更に退化するのではないのか?ハエのDNAも人のDNAも長さはほぼ同じなので、進化も退化も判断のうちにしかないが、進化するのが現実ならなぜエレガントに進化しようとしないのか?なぜそのままシュドールになってゆく?意識(エレメンタル)が現象を構成するのなら音楽性やポエジーは構成要素ではないのか?草人に学ぶことは多いが、人に学ぶと疑問が尽きない。

236 名前:ナナシンクロニシティ 2009/01/13 20:31
死後は寝ってるより速く、寝ってるより純粋無垢なその人の姿熕ク~そのもので存続してるけど
"死後がある"という意識は"死後がある"という音楽でしかないんだ。ャ

237 名前:ナナシンクロニシティ 2009/01/17 00:30
飛躍してもついて来れないのはしょうがないよ平凡だもの みつを

238 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/03 21:03
美しいトゲには薔薇があるのに、団体のあいさつ廻りとか性の営みにおいても、想定されているもの以外のものまでが見えたり、パートナーシップという清きものも利他されず腐臭が放たれる処には人間がある。たいていの人の営業はその性質上もとより清淨を保とうとする必要がないからである。自分たちの毒が自分たちを浸潤して、社会は厳しいものである。
また、その恋愛の話を追求されて人に打ち明ければ、とたんに美しい関係も、穢されてしまう。美しいものほど隠されるべきものである。本当に清い愛情の深い事柄は、すべて因縁事において清淨な間柄でのみ保存されうる。だから世の中が穢れてゆけば、それは世の中から消えてゆく宿命にあるのである。もしもこの穢れた時代に聖なるものの信仰者がいるのなら、自己の聖なる部分は必死に保存し、それが穢された場合には聖なる霊性に打ち明けるべきである。どうにかしてほしいと。他人は、穢れなき修行をしてきた人ならともかく、理解できはしまいし、穢してくれる。

239 名前:ナナシンクロニシティ 2009/01/29 21:21
リーマンブラザーズ経営破綻にはじまりTOYOTA、SONY、各種製造業の赤字決済、世界的な株価暴落と失業率の増加と、これほど世界的な大不況に入っても尚更人は経済をより戻すことしか考えなくなる。貨幣の存在を疑うことすらできず完全にそのサイクルにハマり込んでいる。救いようがない。それが一般的な被洗脳人民層哉。との客観は分裂病質人格に因るところではない。無神論とはすなはち無神教。神が無神に置換されている。記号に置換されている。無宗教とはすなはち無宗教教。宗教が無宗教に置換されている。貨幣に置換されている。どこの馬の骨ともわからぬネット上の僕が少なくとも低劣な階層ではないことを不特定多数に示すには今の時代霊性などではなく学歴や知能や専門的な資格ぐらいだろうけど波及させたいですよ。
僕は中1の頃までは知能は高かった。(それ以上に可愛かった)。中学の親子面談で知能検査の結果をそれとなく伝えられて誰よりも優れていると思っていた。恋愛対象がいなかった。形而上、ものごとにおいても誰も"そのことに"気づかないフラストレーションと一般的な方からは異常だとされる性指向の硲で生きてきてもう今は崩壊しているが、この感受性で最も美しい類のものを最も深く知っているのは常に僕ぐらいだったように思う。もしも僕以上の人が周りにいたらその人に恋をするにちがいないので。美しさを審美しないのは純粋な人たちだが僕は純粋ではないので常に審美して生きてきた。(だから確實性が高いと言いたいのだよ)。
最近精~科に通い始めたカウンセリングの時間にはロールシャッハとか絵をかくテストとか知能検査みたいなやつを受けた。WAIS-R成人知能検査?では、ある記号取捨選択のペーパーテストで制限時間でやれるところまでやるものは右下最後まで解けた。ページをめくるともう問題がなかったので4page目だったの?という具合にストップウォッチを止めた。でも一方この知能検査は中学一年のときにもやった記憶がある似たような記号問題があったけど、あきらかにあの頃みたく流暢に解けなかった課目が多くあった。冴えてない項目があったのは腑に落ちないだけだけど、やはり知能はかなりの部分、滅んでた。機械的なものは残り、アナログな思考は消え失せてる。
というわけで僕が思っているだけでは説得力がないが、平均的な秀才や平凡な天才のうちで霊性の高い人やよく自然界に生きている人たちはおそらく今の貨幣から抜け出せない輪廻は絶對的でディプログラミングの説得の効かない洗脳の根深いものと同価に思っていることだろう。団塊世代のかなり多くは個人主義をイケてるとして横行させ、此処洗脳の角笛に書いたことを言っても死ぬ前には気付くかもしれないが金の切れ目が縁の切れ目であるうちにボケて死んでゆく人がほとんどだろう。
不景気になると賽銭が増える。しかし本来~社仏閣といふものは御利益のためにあるものではないんだよ。増額分は、願掛け代と計算されると思う。それ以前から参詣に来ている人はまだ霊性的に前途はあるも何も良い事なければ文句を言うようなお客様姿勢では‥‥その方はこの地球や宇宙のお客様なんだろうか?利他に目覚めて初めて~仏に至る道のりに入るわけで団塊世代もジュニアもその道のりに入る以前が険しいだろう。以後は個人の資性次第で。

240 名前:melange◆b4/i9ropzQ 2009/01/29 21:05
定額給付金は『~社仏閣紙幣』で払えばよいと思う。
一人2000円の神社仏閣紙幣を渡して、公的な神社仏閣にお参りさせる。(神社仏閣のみが銀行で換金できる)
ご祈祷が大体、食膳の招待と込みで2000円〜5000円なので半分は自分で出すとして半分は出してもらえる。
困窮しないと大切なものもわからないもので、百年に一度の大不況と云われるこの時期だからこそ神仏のあり
がたみを理解できるというもの。また神社仏閣の人にはやる気を起こさすことができる。
なにより神社仏閣の霊性・プネウマにあやかることができて一時的だが不景気などどうでもよくなるだろう。
せめてまだ感受性のある20歳までの子だけでも対象に、自国の文化や近所にそんな神社があるのかと教えたげたい。
しかし政治家は報道されているほど馬鹿ではなく学歴も高くしっかりした人物が多いけど、考えていることはチープだ。
じじばばの発想は現実に腐れてる。お金でなければだめなのだろうか?お金にも3種類ぐらいあっても(神社仏閣用・
税金用・一般的通貨)いいのではないの?カンフル剤で一時凌ぎしている物流信仰にそろそろ限界を感じてほしい。
定額給付金の予算があれば保護すべきものを保護することができるというのに。

241 名前:ナナシンクロニシティ 2009/02/21 07:46
おおかたの科学の肯定者は自分で0から考察し発見を積み重ねてきたわけでなく
図書館で手にした本を肯定しているだけ(単純な信仰状態)だから
自己の信仰対象は絶対なるデータであると
権威を感じておられる

242 名前:ナナシンク・v・ニシティ 2009/03/14 21:30
― 何をもって全知全能とデファインするのか ―
「あなたには持ち上げられない岩を作ってください」
と、俯瞰できるはずの全体を「単子」で評価すれば破綻する。
素粒子を含む現象全体で見ると、そこには縁がある。おのおのが単独で宇宙全体を構成しているわけではない。善因善果 悪因悪果は 關係性に於いて プラマイゼロになるわけである。それも演算可能な数値ではなく立体の図形や次元や時間を含めて初めて可能になる性質によって、イコールになってる。音が逆相でキャンセリングされるように。cf. MDR-NC32NX
よって、音における音叉のような間接的な作用を含めたときに、我々の識別が分類するところの霊性における相互作用のみならず、はじめて可視光通信〇肉体含めた全てにおいて全知全能となり得るわけである。― 我々の知能でも個々の細胞は個々で各々活動しているわけではない。一般的には統合されている。
~は至高の霊性をもっている。こちらの個別的な倫理主観よりも優れている。

243 名前:ナナシンクロニシティ 2009/04/15 20:50
島根にボランティアで海岸掃除に出かけたあと
 出雲大社に行って帰るとすごい逆玉のお見合い話がきた。
 不動産のところの子。(親が断ってお流れになったけど)
あの人に会いたいなぁ、と思っていたら地下鉄の車内で鉢合わせた。
 本当に奇遇だった。「うどんありがとう」と言えなかった。三年ぶりだった。
ちゃんと宿題をやってから遊びに行ったらビックリマンのキラが出た。(小三)
煩悩を絶っていた時期はやたらとモテた。(オージャスの作用かな)
友達は一畑山薬師寺で良縁成就をやると、農業バイトで一生続く友達ができた。
犬山成田山の大念珠を手の平で包むと円熟した仏性を感じ取れる。(夏はひんやりと)
願いの叶った話を蒐集すると、際限がない。
しかし…たとえ繋がっていてもすべては"偶然"だと切り離すことができる。
一個の原子はペースト状ではないので。パンの生地のように。
必然か偶然かそれは森か木かの違いでしかない。
その人の判断がレガートかスタッカートかの違いでしかない。

244 名前:ナナシンクロニシティ 2009/04/22 22:33
[霊性]は非我の影響で性質が変わる。電車でも前後駅で人が乗ると重くなる。金山駅で人が降りれば軽くなる。平均より気の重い人はその逆になるだろう。お墓も一千体もいるから重い。御霊の心が空から程遠いのだろうか。でも供養を続ければいずれ平等覚に近づけるはず。昭和天皇は伯家の鎮魂法を受けられ、三千柱以上をご浄霊されたという。
霊性は多分魂の振動(エランヴィタール)したもの。となると[魂]の機微はもっと繊細で個性的で、直接的な影響を受けるものになる。好きな子が乗ってくると(向こうがこちらを意識している場合)その影響で背中が温かくなったり嬉しく緊張する。その子の生きている世界、青春のみずみずしい感性を楽しめたりする。勝手に想像が膨らむ。それが僕の経験できなかった青春となると僕はその力によって救われたり(補完療法)、その力を受けたあとで自分の人生に比較してしまい自棄になりその力を無駄にしたりする。
ネット上は非我からの作用がなく気軽に自己の魂の性向のみで記述できる。話題になっているその世界を実際には知らなくても主観で判断できるので自己の魂の性向がそこにダイレクトに現れることになる。人が介在してない。よって臨床心理を行うにはその記述が一番客観的に判断できるものになる。でも臨床心理師が見ていることとなれば裸の自己は現れにくくなる。ネットの意思表明は裸同然に弱い。弱いものほど匿名性の井の中で吠える。暗ければ可能になるという世界。そういう弱い者は海に流せばよい。
エランヴィタールとか霊性というものには意識の問題が介在している以上、意識を無視して語ることはできない。認識することもできない。「以心伝心」が(作られた意識よりも多く純粋無意識によって)フラットに往還している様子は、それを意識をしていなければ解らない。無い。神棚に神饌を供えて反応(祓い清めの作用)がくるという日常についても、それを意識してすぐさま普通の人(EQ105-115)にわかる種類のものではないので(もともとが神に音叉する出生;位の人でもない限り)、今の信心のない人間は、科学(その恣意的な定義)に都合よくも自己洗脳してきているので得をするわけでもなく損をするわけでもなく、平凡な考えで生きている。

245 名前:ナナシンクロ・v・シティ 2009/04/25 02:22
道徳の善悪の物理的な考察----性の煩悩を避けると月を重ねるごとにかっこ良く、可愛いくなる。
かっこかわいい、それは主観によって判断された善性であるが、かっこかわいいとモテる現象があるゆえ、主観に留まっていない。自我の主観が非我による主観に一致してモテている。(なぜだろう?一体何が退廃で、何が美なのだろう?なぜ性行為をやめると美になるのだ?なぜ「美」となる?なぜそこで「かっこかわいい」が出てくる。なぜまたそれを求める。肉体がかっこかわいくなろうとして、以前よりキモがられたというオチにはなぜなりにくい。太古のゲロゲロした爬虫類からふわふわのイーブイへと進化す、それを進化と仮定するなら、なぜ進化によって美となるのか?ゲロゲロの爬虫類のほうに進化してもいいのではないのか。またなぜイーブイがかわいいと言える。美意識や無意識を無視する進化論で進化は説明つくのだろうか。進化に精~論やエランヴィタールの躍動はかかわりないのか?いつも唯物の論理はそこで止まっている。なぜ性行為をやめて精気が身体を満たしだすと、かっこかわいくなるという、かっこかわいいの現象が、なぜかっこかわいいのかが考察されてない。)
人の自然発生する行為には共通項がある。なぜ親が病気になったとき人は「祈る」のか。応援するチームの健闘を「祈る」のか。なぜ祈りを捧げる。「ふぉげる」ではだめなのか? 容貌や所作以外に道徳の善悪についても同じことが言える。自尊棄他は悪である。瞋恚や恨みは悪である。精~が病めばその度合いに応じて悪夢を見るようになる。悪とはそういう波動をもっている。善を保つには努力も必要で、努力相応のものになるというものでもある。そこで反証してみるに、精~的な協和と不協和は普遍的な協和と不協和であるのだろうかどうか?…なぜ精~修養をして協和したものが"挙動不審"と品評されにくいのか。精~論抜きにしては解らない。八正道も十誡も、協和した状態で行えば、なぜか精~特性がコヒーレントに向かいトランスペアレントになり、肉体も滑らかに弾力を帯びて、表情も所作もおのずと協和してゆく。森羅万象"偶然論"なら、そこで挙動不審な人物に進化してもおかしくないのではないか?滑らかではなくゲロゲロに進化してもおかしくないのではないか?表情も所作も不自然に形成されたものこそが進化と云っても正しいのではないか?それを求めていては頭おかしいのか?人それぞれ趣味があるだろうに。その美意識がなぜ道徳的でないのだと言える。それが神的な愛の形だとはなぜ云いきれない。

246 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/06 18:56
食べれば下痢するほど体の調子が悪いと世の中に疑問を持ち出す
タバコを吸って脳の状態が悪いと地球の状態が悪いと思える
射精すると電車の中みな無気力で機械的に思えるように

247 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/10 21:03
人はカルト批判なら意気揚々とすることができるのに
自身の宗教を肯定することはできない。
自身の宗教を無化することにより、大切なものを喪ってゆく。
やがて子供ができた時、子供を見て過ちに気付き後悔する。
後悔するわけでなければイラついている。業を忘れているのだ。

248 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/14 22:34
僕は宗教に関して、『宗教は思想であり哲学だ。神というのは宇宙の捉え方の話に過ぎない。だから別に祈る必要は無い。宇宙はこういう物だ、と認識しておくだけで良い』などと言うほど甘くない。~の力・霊性の作用を毎日吸引して生き延びているのに今更そんな無知相手に構えるほど小心ではない。坊さんの中にも存在するとは言わずに『心の中にいるもの』『信じる人の心の中にだけいる』と達観するのがいる。一般人のように心に嘘をついた欺瞞的な客観はされていないが、裏を返せばその人の修行の成果がその程度だったともいえてしまう。仏説聖不動経 ― 無相の法身は 虚空と同体なれば その住処なく ただ衆生の心想の中に住したもう ― このスタンスは〔存在する。でも心の中に住む〕。
唯脳の発想で明らかに霊性観応しておらずとも、モーリス・ブロンデル※のようにそこそこ霊性の高そうな人もいるが、たいていは純粋に信じている方が位が高い。(※wiki=有限性を超えるものにあこがれる人間の思慕は、単なる行為によっては満足させることができない。それを満足させられるのは~だけであり、それゆえブロンデルは~を「最初の原理にして最後の名辞」と呼ぶ)<‥むしろ知能のキャパに制限されていてしかも恣意的な認知をする知能世界などは存在しないものであり、生命の本能により肉体は自然に適応し精~も真理のありように適合する方がストレス{有限性}がフリーになるので宇宙の無限性のほうを求めて変化してゆくのだろう。生命は進化するほどデカすぎず小さすぎず無駄に尖っておらず無力でもなく性格は偏っておらず円くなってゆく。宇宙の真のありよう{空}に適合した最後の姿は一つの国津~として均衡がとれているものでそれぞれありのままで美しい。>
お寺の子供達のキャンプで管長様が『最近の人は人目を非常に気にする。将来に不安が多いから占いが流行る。人目を気にしない方法は何かに一生懸命打ち込むこと。何かに一生懸命になっていれば人目なんか気にならなくなるから、夢を持って、そのために何をしたら良いかをよく考えて、一生懸命に生きてね。』と子供たちに言われていた。信仰とは人目を気にする状況下ではできないもの。霊性干渉など完全に信仰して対象と同期してないとできないもの。浅はかにバカにされようが一生懸命に生きる者が正しい。心根座っている。

249 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/30 01:05
善良な宗教と邪悪な宗教は違う。善良な霊性・邪悪な霊性、あるいは美しい音・醜い音、その形容詞などでも決まってくる。(霊性とか音とかそれ自体は判断に関係なく存在している)。もうそんなことどうでもよい。うまれたるままの心が崩壊しているからカルトになるのだ。崩壊していないのなら宗教になるだろう。

250 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/31 22:20
善悪とか正しいとか間違っているは無意識の演算のうちにある。
宗教への偏見はカルト宗教によるストレス障害が主な牽引になっているが、
そうでない人の場合は危機感や吝嗇や虚栄心が主な理由になる。
そのイドラに気付けないことそれ自体もまた総合的に見てマイナスを生じているので
間違い(認知的不協和)に近い。魂の成長する方の足を引っ張ってる。

251 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/31 22:21
我々は~を超えることはできない
かげぼうしを追い抜くことができないように

252 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/01 14:20
『道徳は宗教の産物じゃない。ある宗教を産み出した文明の道徳観がそのまんまその宗教に組み込まれただけの話。順序が逆だよ。』という思想が蔓延しているようだけど、その思想に憑依を受けたまま、なにかに精通しようとした努力も、なにかの法則を自ずからの力で発見しようとした懊悩も、経験ないのだろうな。あるのは都合のよい態度のみで。
道徳は仏教でいうならダルマ(仏)そのもののことだろう。それは表現すれば一般的な世の中に於ける道徳にもなろうが、それ自体は明文化できるものでもない。ある道の天才が、何かの道を極めようした際、または何かの真理に干渉した際、敷衍しているそれを表現した時、初めて傍から見たら宗教になる。それを道徳的だとか芸術的だとか表現するのはいつも傍観者側なんだよ。

253 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/03 20:51
普遍的なことを書こうとして教科書的になるようではそれは小さい普遍性になる。

254 名前:ナナシンクロニシティ 2009/09/09 23:57
ある論理系があったとしても 別の視点が加わると崩れる
創造論 ← 進化論
また初めの論理系を崩した視点を補完する視点で 初めの論理系の補完説明がつく事がある
進化論 ← L'elan vital
創造論 ← L'elan vital
創造論と進化論はお互いに矛盾命題であっても、L'elan vitalが敷衍する事によって、創造論自身と進化論自身は単独では正しいということになる
それが論理系のうろ

255 名前:ナナシンクロニシティ 2011/04/10 13:02
福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅは福島原発以上に危険なようだが、
神に意思がないのなら運命は決まっている。
神に意思があるのなら運命は変わる。

(一般的に言うところの物理しかないのであれば、いつどこに天災が起こるかは、人間には予測できないだけであって、もう決定している。)
無神論なら潔く、生きるか死ぬか、既に決まっているという意気込みで生きれば良いと思う。
神毀損者は、神に導かれて安全な場所に居るようなこともないと思う。はじめからどうなるか物理的に決まってる。

256 名前:ナナシンクロニシティ 2010/02/05 07:37
†χ◆χ◆χ◆χ◆χ◆χ◆χ◆χ◆χ◆χ†

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